![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/148772831/rectangle_large_type_2_f12d5386fff639c4551a2b0a28972962.png?width=1200)
年齢を重ねるたびにこっそりと下げる自分の大人ハードル(なんでもない日に短歌でタイトルをつける日記7/22~28)
好きな歌集から短歌を一首紹介しつつ、毎日の日記を書いています。
週のタイトルは自分で詠んだ短歌になります。
7月22日
雑踏で「八十過ぎまで生きる人!」と叫べば皆が振り返る
週明け、朝っぱらから熱中症気味で起きる。冷房のタイマーが切れた午前4時、鼓動が早く頭がぼーっとする。体温計で熱を測ると特に発熱はないが、額を触ると熱い気がする。将来、自分が命を失う理由として、熱中症が急に現実味を帯びてくる。数年後、あるいは数十年後に訪れると思っていた気候危機に命を脅かされる未来を先取りしてしまった。
冷房が古いからか、自室の冷房にあたり続けると鼻詰まりが悪化する。先週から続く夏風邪も治らない。今年の夏はもう難しいけれど、冷房を買い替えるか、実家を出て住む場所を変えるか、まじめに考えなければならない。
お金がなければ、一夏を乗り越えることもできない時代がくる。まして、平均年齢まで生きられる人、老後の心配をできる人なんて、どんどん限られていくんだろうな。
「八十過ぎまで生きる人!」
今はまだとくに何も考えずに振り返る人の方が多いかもしれないけれど、近い将来は強い意志と経済力を持った人だけが振り返るようになるのかもしれない。梅雨が明け、いよいよ本格的な夏が始まる。熱中症にはくれぐれも気をつけて生きていきましょう。
23日
通るたび「本日限り」のバーゲンをしている店の赤いブラウス
資本主義というのは、とかく決断を急ぐ。通るたび「本日限り」のバーゲンをしている店を表面的には嘲笑しても、皆が肚の底に思惑を隠しつつ赤いブラウスを店頭に出して、どうにかこうにか他者の目を惹こうとする。
でも、それは言うほど悪いことではない。赤いブラウスはかわいくて、品質がよければ、という条件付きではあるが。
今週も、『海のはじまり』を再視聴しながら、日記を書く。
第4話『なんで、好きなのに一緒にいちゃダメなの?』
水季とはことごとく線対称の、弥生さんの物語が詳らかにされる話。弥生さんのように、周囲の価値観を半自動的に内包した結果、自分の思いを隅っこに斥けてしまっている人は、むしろマジョリティではなかろうか。現代社会の都会に生きていれば、なおさら押しつぶされてそうだ。あるいは砕けて散って、もう自分の思いなんてものは亡きものになっているかもしれない。
その点、これ以上自分の思いを押しつぶされないために、弥生さんが選んだのが夏くんというのは、納得のいく話だけど、その結果として相手の決断を急かしてしまうというのは皮肉である。
ちなみに、今のアパレル界隈の中心の倫理観では、見た目と品質がいかによかろうとも、どこでどのように作られたかだとか、売られ方だとか、もっと多角的にクリーンであることが求められるようになってきている。一方で、SHEINを使うような人も大量にいるわけだけど。
同じように、人の目が集まるところでは、行動の動機にも純粋さが求められる。弥生さんの言動の理由に自分の過去の後悔があることは褒められたことではないだろうけど、一方でそれで幸せな家庭になるのならいいじゃん、という人もいるだろう。その手の結果至上主義よりは、いい方向に向かっていると思いたいけれど、過剰に動機に純粋さを求められるのもしんどい。
テキトーに手に取っても、とりあえず古着ならエコだろ、くらいの落としどころが欲しい。
24日
なんつうかまああれだなあ信長はよくあと三十年も生きたな
高校時代に、名前や生年月日をつかった、ケータイのしょうもない占いで診断されたぼくの寿命は、44歳だった。親兄弟の名前と生年月日を打ち込むと60とか70とか80とかそれなりの年齢だったこともあり、当時はそれをおもしろいと思って、笑っていた。
で、笑っていたら、母親に「あんたが44歳のときはお母さんはまだ生きてる。そんなことで笑うな」と怒られたことを覚えている。
信長が死んだのは49歳。であれば、この短歌の一人称は、19歳くらい。
ぼくは明日で36歳。10代はもう16年以上前のことで、いつのまにか44歳や49歳の方が近い年齢になった。今からあと30年も生きるリアリティもないわけだけど、15年後もまた同じようなことを考えているのかなぁ。
25日
うつくしい思い出になる10年を不安に歩く私でしたね
36歳になった。
20代は販売員として働いて、30代は派遣のテレオペとして生きてきた。この数ヶ月はテレオペを脱出し、説明の難しいオフィスワーカーとして、行政関連の仕事に携わっている。うつくしくもなんともない思い出の10年だけど、探せば少しくらいはうつくしい瞬間もあったとは思うし、今の派遣先は悪くない。現在進行形で心身を蝕む夏風邪もかなり回復傾向にある。先々週に打ったの腰の痛みももう少しで気にならなくはず。
夕方16時頃は激しい雷雨は、職場の建物から出られないのではないか、と思うほどだったけれど、18時には嘘のように晴れて、数時間前の雨の影響は蒸し暑さだけだった。帰宅後にニュースを見ると、まるで地震でも起こったかのような道路状況になっている東北の大雨の惨状を目にする。
とりあえず、この先の10年はもうちょっとうつくしい瞬間を増やしたい。
26日
爆弾のように泣いている二歳児が指差すTOKYO2020
いよいよはじまりました。パリ五輪。まぁ、言うほど見るつもりもないんですけど。スポーツのビッグトーナメントは犠牲が大きすぎて、歳を重ねるごとにそのウラ側の闇の深さに目がいくようになってしまって、楽しめなくなっている。それはぼくが好きなサッカーのワールドカップも同じことではあるけれど、それにしてもオリンピックは負担が大きすぎる。競技の種類も多いし、1都市開催だし、スポーツビジネスとして1競技では成り立ってない種目ばかり。そもそも掲げている大義にムリがありすぎる。2歳児でなくとも、泣き叫びたくなる。どんだけ税金使ってんだと。
どうしてこれだけの犠牲を背負っているのに、表面的なアスリートの輝きだけに目を向けられるのか、よくわからない。スポーツを好きな人間ほど、その犠牲に目を向けるべきだと思う。オリンピックの舞台に立つことを夢見る子どもならともかく、いい大人が平気で市井の人たちの生活を蹂躙している事実をどうして忘れることができるのか。カドカワのたぬきおやじも竹田なんとかって犯罪者も森喜朗もIOCのヤクザも。
あと、「スポーツで感動を」みたいな感動ポルノ的な標語だけはとにかく早く撲滅すべきだと思う。オリンピック関連のメディア発信は特にその傾向が強い気がするので、心底うんざりする。
27日
君の吐く 言葉を固めて 飴にして ときどき舐める 悲しいときとか
「吐く言葉」というと、あまりいい言葉をかけられたわけではなさそうだけど、その言葉を固めた飴となると、あまり悲しいときに舐めるのは向いてなさそうな気がする。臥薪嘗胆みたいなことだろうか。でも、悲しいときには、傷口に塩を塗るような行為のような気がする。もうすこし、「悲しいとき」から回復してから舐めた方がよさそうだ。
とすれば、「吐く言葉」の理解が違うのかもしれない。たとえば、吐き捨てられたようでいて、その実、愛情の裏返しのような言葉ならどうだろうか。
これは舐めるほど、味が変わって面白い飴になりそうだ。
いい年して、飴をすぐ噛んでしまう人間だから、飴はなるたけ買わないようにしている。風邪ひいたときに買うのど飴もシュガーレスの浅田飴だけ。だけにしていたのだが、地味に浅田飴の金額が高いというのと、さすがに飽きたということもあり、最近は久しぶりにいくつかののど飴を試してみることのにした。のど飴を買って、舐めて、噛み砕いて、「また噛んでしまった」と自己嫌悪している。
28日
趣味てんでばらばらだから我々のプレイリストは最強ですよ
数日前に聞いたPodcastの影響で、夏に聴きたい曲プレイリストを作ろうと思い立ち、部屋に引きこもって、プレイリストを作る。夕方16時頃に家を出て、その夏曲プレイリストを聴きながらサイクリング。
昔は、自分のお気に入りの曲を1枚のMDに集めてつくったものだが、こういう試みは簡単だし楽しい。