美しいお花畑の脳みそを踏み荒らすなよ 静かに愛でろよ(なんでもない日に短歌でタイトルをつける日記7/8~14)
好きな歌集から短歌を一首紹介しつつ、毎日の日記を書いています。
週のタイトルは自分で詠んだ短歌になります。
7月8日
しんどいしんどいと言いつつ仕事を楽しんでいたが、今日はプレゼンの日程決めで、いよいよストレスが爆増した。プレゼン資料を作るのは楽しいし、比較的向いていると思う。他の人よりうまくやる自信もそこそこある。プレゼンは苦手だが、さほどクォリティが求められるわけではないので、しっかり準備すればなんとかやり過ごせる。ただ一番の問題はそのための時間を決めるメールのやり取り。
これがものすごく疲れる。
ぼくは、まず第一に人と連絡を取るのが嫌いだし、その上自分から誰かと約束して予定を入れるなんてことは覚えている限りほとんどやったことがない。プライベートでもひたすら避けているし、仕事でアポを取るようなことは今まで一度もしてこなかった。
だから、社内でのプレゼンの日程決めは、これ以上ないくらいにストレスフルな仕事。もうぐっちゃぐちゃです。仕事が終わっても、自意識過剰な脳みそはずっと回転して、24時間営業でお店の棚を荒らし続けている。
仕事から頭を離すために、『海のはじまり』第2話を視聴する。6歳の子どもは主人公の夏とその恋人の弥生の頭をものすごいスピードでぐっちゃぐちゃにして、ものすごいスピードでクリアに決断まで導く。まだ2話だというのに。ぼくの姪はもうすぐ4歳だけど、油断しているとぼくの想定以上に速いスピードでいろいろなことを考えるようになって、コミュニケーションもぼくの想定以上に考えることが多くなるのかもなぁ。
子どもかあるいは猫の手でも借りられたら、ぼくの頭も片付くだろうか。
9日
同じ歌集の中には「耳で飛ぶ象がほんとにいるのならおそろしいよねそいつのうんこ」など、いくつか「象のうんこ」シリーズの短歌がある(笑)。
過酷な環境であれば、なんでもいいから縋りたくなる。特に、大きなものの安心感は絶大である。 いろんな負の感情も、象のうんこなら大きな包容力で受け止めてくれるかもしれない。ひょっとしたら、最高のサンドバッグになれる可能性を秘めている。
とはいえ、ある種の危険性も孕んでいる。晴れ時々「象のうんこ」じゃ、外も出歩けない。そもそもくさいし、きたないし。同じモチーフでもユニークな想像力の上に、真逆の感情が乗っかる2首の短歌。
2日連続の残業で、2日連続でジムに行けなかった。ジムに行ってないのに疲れている。
だるいせつないこわいさみしい。
残業続きでだるい。懸垂台に会えずせつない。みんなして残業している空気がこわい。ダンベルが握れずさみしい。
だるいせつないこわいさみしい。
10日
今日も今日とて残業で3日連続でジムに行けない、と思っていた。が、ジムのLINEアカウントで利用状況を見ると比較的空いていたので、いつもより遅くなったもののジムに行くことにした。4日ぶりのジムで、気合も十分。
うわああああああ、おおお俺はああアスリートだああ。
となって、いつもより重いダンベルが持ち上がるわけでもなく、いつもより多く懸垂できるわけでもなく、いつも通りの筋トレ。背中のメニューを淡々とこなして、帰宅した。
11日
雨の日は雨の短歌。
よくよく考えると、とくに何のありがたみもない贈り物だが、なぜかただひたすらに美しい短歌だと思う。
もし、仮に雨の最初のひとつぶをキャッチできるとしたら、そのときは誰かに贈ってみようかしら。
「この雨は今朝とれた最初のひとつぶだよ。
貴重な雨だから、君にあげるよ。のど乾いてそうだし。」
うん、やめた方がよさそうだ。
雨の最初のひとつぶをキャッチする努力と贈り物としての価値がまったく見合わない。けれど、この短歌の美しさだけは思い違いではない。
12日
肋骨に花火が上がるほど殴られることはそうそうないし、肋骨に花火が上がるほどの痛みも受け入れるしかないくらいに謝るしかないこともごく稀にしかないだろう。
が、お尻に花火が上がり、目の前の人になんとなくすいませんと謝ることならある。より正確にいうと、コンビニに売ってある据置型のおもちゃの花火を自分から迎えに行った形だが、そういうことがあった。
今朝は雨が降ってなかったので、数日ぶりの自転車通勤。後輪の空気圧が弱くなっていて、雨上がりの道でずさっと横滑りして、どすんと尻もちをついた。幸い、遊歩道だったので、周囲に車はなかった。
が、向かいから歩いてきてたお爺さんを驚かせてしまい、すいませんと一言謝る。とにかく一刻も早く、お爺さんの視界から消え去るべく、やや歪んだサドルを居心地悪く感じながら、自転車をこぐ。
しばらくして信号で止まったところでサドルを元に戻し、お尻に花火の余韻を感じながら、出勤した。
仕事終わりにジムに寄ったが、まったく集中できず30分も経たずに筋トレを切り上げ、帰宅。しばらくはこの鈍い痛みと共生することになりそうだ。
今週もよくぞよくぞ、よくぞ、金曜日まで辿り着きました。
13日
友人が個人で経営する服屋で、もうじき2歳になる彼の愛息のたいへんな身の上話を聞き、応援のつもりで10万円を散財する。詳細は口にするのも憚られるが、昨日の尻に受けた衝撃が鳩尾まで身体の中心をぶち抜いてきた。
今週は散々、職場の残業を愚痴ってきたが、事情が変わった。今後は違和感のない程度に残業しようと思う。人生は時として、オセロのように白黒がひっくり返ることがある。単なる消費欲求を充たすための買い物も、事情が変われば応援になる。買い物は未来への投票行動。当然、その分ほかのところで節約が強いられるわけだが、改めて自分の生き方を振り返るための機会だと思いたい。
当の友人は辛いのは息子だから、自分は明るく振る舞うしかないと笑っていて、こういう時、口にする言葉をぼくは持ち合わせていないので、とりあえずNHKで今週からはじまった火曜日10時のドラマ『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』を薦めておいた。
帰り道、大雨の影響で電車が動かず、1時間ほど駅のホームで立ち尽くす。待っている間に、日記を書きながら、ドラマの原作・岸田奈美さんと友人の姿が重なっていく。
14日
昨日の散財と昨日から断続的に続く大雨もあって、今日は引きこもり。
先週、表題作の短歌を引用した『サラダ記念日』を読む。
明日の朝はEURO2024のファイナル。早く寝よう。