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誰よりも利己的であれ わたしには読書の時間が必要だから(なんでもない日に短歌でタイトルをつける日記9/9~15)

好きな歌集から短歌を一首紹介しつつ、毎日の日記を書いています。
週のタイトルは自分で詠んだ短歌になります。

9月9日

夜になる手前どこかの水底の静かな青が背中に染みる

『悪友』榊原紘

日が落ちるのがやや早くなってきていることを感じるものの、日中の最高気温は未だに35度を超えていて、果たして今の季節は何と形容すればいいんだと問いたくなる。

だれに?果たして、この問いはだれにぶつければいいのか。

じんわりと身に染みる清涼感を感じる短歌だと思う。

10日

阿呆らしく偏頗な屑に脆き拝み続ける豚の利己主義

『くるぶし』町田康

とくに書くことがない日は、意味を掴みづらい短歌を選ぶ。

偏頗行為とは、既存の債務についてされた担保の供与や債務の消滅に関する行為で、偏っていて不公平な行為を指すらしい。
主に借金の返済の際に使われる言葉で、債務者が支払不能になった後や破産手続開始の申立てがあった後に、特定の債権者だけに弁済したり担保を提供したりすること。

偏頗行為の具体例としては、「親族や知人にだけ借金返済をする」みたいな話。

短歌は、いいところは身内で消費しまくったうえで、さらなる利己的な意志を隠さない、どこぞの県知事にぴったりの短歌。
来年には大阪万博もあるし、さすがにもう、維新も落ち目だろうと思いたいけれど、仮に維新が終わったとしても、似たようなネオリベは次から次に出てくるし、どうにかならんもんかねぇ。

11日

ぼくだけに聴こえる声がぼくを殺人者に変えて聴こえなくなる

『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』木下龍也、岡野大嗣

職場の仕事爆早サイコパス系ナルシストが能力主義すぎてキツい。いつも僕のとなりにいる彼らの同期(ASDとか境界知能っぽい?)のことを、仲良しの若者と本人に聞こえない程度の声でずっと喋っている。本人に聞こえなければ、ほかの誰に聞こえてもいいと思っているのか、ぼくが地獄耳なだけなのか……。

実は、本人に聞こえている、なんてことがないことを願いたい。

僕もASD傾向があり、あまり器用な方ではない(特にそういった診断を受けたことはないが、現職は初めてと言っていいくらい向いている仕事だと思う。)し、仕事の覚えが遅いその同期(ぼくにとっては後輩)の指導担当なので、なんとかしたい。
彼一人の仕事の不足くらいならだいたい自分でカバーできると思っているが、問題が一つあって、ぼくはぼくでHSP傾向が強すぎるために、悪意に満ちた小声のせいでストレスが爆上がりして、モチベーションが爆下がりしている。

あと、いい人ぶってしまったが、仕事を覚えられない後輩の指導にストレスを感じていないかと言ったらウソになる。如何ともしがたいジレンマに陥っていて、こりゃいかんってことで、癒しを求めて、本を読むことにする。

そのとき私は「今日この瞬間赤坂で最も幸せな人間なんだ」と心から思った。グルメ系の巨大ハンバーガーを食べに行くのも好きだった。あれをやると午後は眠くて使い物にならないので、会社の生産性を下げるささやかな不良行為のようで気に入っていた。給料は変わらないのに!今、私のパフォーマンスは著しく落ちている!食らえ、俺の反骨血糖値スパイクを!と思いながら、うつらうつらパソコンに向かっていた。そんな社員嫌すぎるけど。クッキングパパに憧れて夜中にアイスクリームを給湯室で作ったこともあった。早く家に帰れよ。

『ショートケーキは背中から』平野紗季子

あぁ、このバランスで生きたい。が、現状は自分の健康に気を遣いたいし、そもそも低空飛行の仕事のパフォーマンスも犠牲にする余裕はない。だから、こういう時こそ読書がたいせつだ。休憩中はとにかく仕事から気を逸らして、脳内に反響するイライラを消し去るためにも。

12日

幸せは気の持ちようと思う朝人と光と風流れる駅

『私は日本狼アレルギーかもしれないがもう分からない』田中有芽子

何となく、憂鬱な日が続くので、幸せな短歌を選んだ。
ハッピーな気分は、気の持ちようという努力によるものではなく、親が職場でもらってきたメロンを出勤前に食べたからなんだけど(笑)。

通勤時間の自転車もかなり心地よい風を感じるようになった。
ま、片道40分。半分過ぎた頃には、結局汗かいてるわけだけど。

昨日に続き、昼休みも本を読む。今日は三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』。すでに、いくつかのPodcastやYouTube動画で著者の主張は見聞きしていたものの、改めて「半身で働く」を心に刻みたい。

13日

未分化の 言葉がたぷんと音をたて うつわのような腰骨で待つ

『100年後にあなたもわたしもいない日に』土門蘭

今日も今日とて、本を読む。しばらく遠ざかっていた読書習慣を半ば強引に取り戻す。ようなことはしなくとも、エッセイはテキトーに開いたページを読んでもいいし、なにかインプットして役立てなきゃ、みたいなこともないから気楽に読める。はずなのに、そのエッセイすら最近は読んでなかった。そうだ、本来もっともっと気楽に接していいもののはずなんだ。

読書習慣が途絶えても、積読だけは加速度的に増えていく。だから、本を読むのが速い人は未だに純粋に羨ましいし、おそらくいくつ年齢を重ねても変わらない。
年齢を重ねても、亀のようにノロノロと読み進めることも、どれだけ知識を蓄えようとももう変わらない気がする。

ネガティブなことばかりに帰結しそうだが、無理やりポジティブに方向転換すると、ぼくにとっての本は、刺激の強いコンテンツから離れて、自分のペースに戻してくれるメトロノームのような存在かもしれない。案外、疲れている時こそ、動画より本なのかもしれない。

わたしたちの世界には、回収されない伏線が無数にある。映画や書物の中で、わりばしでアイスコーヒーをかきまぜたら、意味をもってしまう。重大な事件を解決する鍵になってしまう。だからわたしたちはそれを省く。意味のないそれは、ただのノイズになるからだ。 忘れ去られてしまうものにこそ、価値があると言いたいわけではない。ひとびとが見落としているものを、きちんと拾い上げて、大切にしようと、そこにこそ現代人がないがしろにしている価値があると主張したいわけではない。それがただあるということがある。それだけのことだ。 それを保存するということもまた、何の意味もないことなのだろう。出会ってしまったからには、保存せざるを得ないという、応答としての保存。

『世界の適切な保存』永井玲衣

永井玲衣さんには勝手にシンパシーを感じていて、こういう文章を書けるようになりたいと思う。
エッセイのなかに、頻繁に短歌が引用されているところも好きだ。

14日

ありふれた 少女の願いは叶わねど 瞳には星 背中には花

『100年後あなたもわたしもいない日に』土門蘭

午前中は歯医者の定期検診で、午後はその辺の古着屋をぶらぶらしようかと思ったが、暑すぎて古着屋を回る気になれなかったので、友人の服屋でダラダラすることにする。

長話をして、途中学生の客が来たときは散歩に出て、戻ってからパーカとスラックスを買うことにした。パーカは『不思議の国のアリス』のモチーフがかわいくて気に入った。実際に着るのはまだ少し先になりそうだ。早く、この暑さが落ち着いてくれたらいいのだけど。
スラックスはフランス製の古着で細くも太くもない紺色。最近、グレーのチェックのスラックスを一本汚してしまって捨てたから、その補充。色はまったく異なるけれど、使いやすそうだ。

15日

黎明のニュースは音を消して見るひとへわたしの百年あげる

『たんぽるぽる』雪舟えま

1日中、家で自堕落に過ごした。冷房の効いた部屋では、休めば休むほど、休んだ後に動く力まで削ぎ落とされていくような気がして、何をしているのかよくわからない。

例によって、とくに書くことがない日は、意味を掴みづらい短歌を選ぶ。

「黎明」は黎明期などというように、一定期間続くなにかのはじまりを指すものと思っていたけれど、そもそもは明け方の意味らしい。

まだ誰も起きてない時間から動き出して忙しそうにしている人に自分の時間を分け与えられたらなぁ、という短歌だろうか。
案外、今日選ぶ短歌としてはぴったりかもしれないけれど、さすがに100年はあげられない。
明日は、外に出よう。

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