世界とはなにか
世界とは、それぞのれ人の持つ「記憶」である。
人は見て、聞いて、感じたことを記憶し
過去の記憶と照らし合わせてそれを再解釈する
猫を見て、それが猫だと思うのは、それを猫として記憶しているから
同じ物事を見聞きしても、それぞれ解釈が少しづつ異なるのは
それぞの人の持つ記憶が異なるから
10人いれば、10通りの常識
100人いれば、100通りの価値観
1000人いれば、1000通りの事実や真実
人の数だけ世界は存在している
人は皆、少しづつ異なる自分だけの世界を生きている
皆、同じ世界を生きていると勘違いしながら
この世に生まれ落ちたときから、自分だけの世界を生きている
世界の中に存在する他者とはなにか、鏡像である
人は孤独には耐えられない生き物だから
自分が見て、聞いて、感じた他者を記憶し、再解釈し
自分の世界の中に、他者という鏡像を作り上げる
だから私という存在は、私を知る人の数だけ存在している
そしてどれ一つをとっても同じ私は存在しない
自分の作り上げた他者という鏡像と、現実の他者に乖離が生まれたとき
受け入れられるものは、自身の中の他者という鏡像を再構築し
受け入れられない者は、現実の他者を激しく攻撃し始めるか
関心を失い、自分の世界からその鏡像を排除する
そうやって、人はたくさんの他者を言う鏡像を
時に新たに作り上げ、時に排除しながら自分の世界を構築していく
世界に存在する自己とはなにか、鏡像である
自尊心、劣等感、願望、様々なものが入り混じり
作り上げられた鏡像である
世界の中心にある自己もまた、
自身の記憶によって作り上げられた鏡像である
そんな世界も、その中に存在する自己も、他者も常に変化し続けている
記憶は他の記憶で上書かれ、時に自らの記憶を改ざんし再解釈され続ける
記憶が衰えるということは
世界を再解釈し直す力が失われるということである
変化のない世界はいずれ終焉を迎える
死とはなにか、
すべての人の記憶から自分という存在が失われることではないだろうか
人は死そのものを恐れるのではなく
死によって自身の存在が、すべての人の記憶から消え失せることをこそ
恐れているのではないだろうか、
まるで世界にはじめから自分が存在しなかったかのように
だからこそ多くの人は、自身の子を世界に残す
子とは自身がこの世に確かに存在したという記憶である
けれど、その子もまた自身だけの世界を生きているのだということを
忘れてはいけない
世界とは人々の持つ記憶である
2024年2月26日