「なんとなく」
こんばんは!
あ、また0:00をむかえてしまった!
今宵の写真は、娘が撮った近所のやつかな。
パチパチと知らん間によく雲を撮ってて、良いなと思うやつがあったりしますね。
えと、今日は、いや昨日はとても良い日でした、最近の私にとって。
今日はサロンの予約が無かったので
栗の渋皮煮🌰を、作ってた。
毎年作るんですが、今年のは栗があんまり良くなくて、煮ても煮ても硬いやつが多かった〜(т-т)
来週また1キロラストに頼んでいるので頑張ってみます。
て、栗の渋皮煮がどうのじゃなくて、わかる人はここから少し熱心に読んで頂けたら嬉しい。
私は、ほぼ2年くらい「感情を感じるメソッド」てのを、やっています。
感情(喜怒哀楽)を体感として感じるちょっと聞いただけでは分かりにくい、ややこしいメソッド。
理屈、仕組みは簡単だけど、やってのけるには簡単じゃないやつ。
けれどもこれ、引き寄せの法則なんかよりもカンタンでかつ、タイムラグなく結果として現れる方法(メソッド)なので、飽きずに頑張れています。
結果として、今日の私がいる。
ずっとこのところ、案件(感じないといけない課題)がたくさん出てきて、少しウンザリしていた。正直これが一生続いていくなんてたまらなく辛いだろうな、やり方あってると思うんどけどな。
けどこの方法しか幸せになれると思えることしらんしな。と、半ば辞める事を諦めつつ
ひとつずつ解決していくしかないかてんてんてんって思ってた。
今日はzoomでそのメソッドの認定講師さんが質問に答えてくれるやつで、前からサロンの予約が入らなかったら出席しようと思ってカレンダーに予定していて、質問なんて浮かばなかったけど、1番ノリくらいの勢いで参加して、イヤフォンで聞く専していた。
栗をコトコトアク取りしながら。
1人目の質問者さんの話を聞いていたら、2人目の質問者さんの話とリンクしているなと思いながら、自分の案件も引っ張り出して聞いていた。
ら、娘の受験(最近こればっか)の不安が出てきた。結局は、自分に矢印向いてるよな、受験と絡ませて自分の身を案じているよな。
受験に失敗するのが怖いのはワタシ。
怖いのは世間の目。一番に浮かぶのは元ダンナ。あんなにいきがって親権取ったのに、なんや、行きたい高校にも行かせてもやれないじゃないか。とか、あんなに絵が上手いのに、頭悪かったとか。娘さん可哀想だったねと言われる。だとか。
私はいつも自分は頭が悪いと思っている、成績もずっと悪くて、勉強以外の事で頑張って人が知らない知識を頑張って身につけてきて、そこでカバーしてきた。
分からないことは直ぐに調べて解決するのが自慢(笑)
好奇心というより、なんか生きていく鎧、術のように身につける。
それはすべて、勉強ができなかったことをカバーするため。
母からも勉強しないし、小学校も行きたがらなくて呆れられていて、昔は不登校とは言わず単なるズル休みと言われていた時代。
母が笑っていたという記憶もなく、父は酒飲み暴力、幼少期はズタボロな家庭環境。自分の感情など泣けば怒られる、わがままと言われ、言うことをきかなければ、えらい目にあう。の思い込みで出来上がっている。
オマケに私は生まれて直ぐに捨てられているそうだ。兄から母が亡くなった14歳の葬式の日に暴露され、大好きだった祖母に事情を聞かされた。知らんがな。と常に戦闘モードだった多感な時期の14歳中3女子に分かるはずない。
喜怒哀楽感情にフタをして、自分の人生なのに辛すぎて、まるでドラマを見ている感覚で52歳まで自分に寄り添うこともなく生きてきてここへきてやっと、
感情を表舞台に出せるときが、突然今日やってきました。
なんだか質問したくなってきて、まとまらないまま、zoomで質問した。
娘の受験で出てきたのは私の母親に対する
「私のせいにしないでよ」だった。
母は、いつも、私が悪い。聞いてもくれない、わかってもくれない。
わかって欲しくて話をしてもケンカばかりしてた毎日、ある日突然、母が亡くなった事を話し、どこをどういうふうに感じたらいいか質問してみた。
まじ、わかんなかったから。
そしたら認定講師さんは、私のその背景を聞いて、お母さんが亡くなったのも私のせいだと思ってるね、と。
そう。ずっとそうです。
大喧嘩して「死ねばいいのに」と一瞬思って、「死んだら困る、嫌だ!」こんなこと思ってしまって、ごめんなさいと心の中で謝ったけれど、次の週、母は亡くなった。
だから笑えないし悲しめない、自分の心にずっと嘘をついてきて、自分のせいで母は死んだと思ってしまい、本当の自分の気持ちが出てきても、それは悪だと思って自分責めしているとやっと気がついた。
認定講師さんは、「もう一度、私のせいにしないでとか怒りたいこと出したらいい」と答えをくれた。
ので、1時間ほどワークを思うまま、母にもう一度文句を言って体感を感じてみた。
散々、母にこのメソッドで怒りは出してきたけど、今回は久しぶりに母へもう一度きちんと
言いたかったことをぶつけてみた。今までやってきたワークは、言うと思うと辛いから若干逃げていたとそれにも気づいた。
どうしてもっとわかってくれなかったの、いつも私のせいにして!と怒ってみた。
頑張ってきたのに、報われなくて、悲しいと言ってみた。
その想いを体感に落として集中すると、辛くない。
ふっと「かずえは賢い」と頭の上で声がした。
え?次の瞬間に昔住んでいた大好きな家の庭で家族全員が写っている写真が頭に浮かんだ。
私は当日多分1歳かな、やっと立ってるくらい。
あ、私、生まれてきてて良かったんだ。とふと思えた。
だれも悪くなかったんだ。大切に育ててもらったし、そういえば母も私のそばで笑ってた。1度は捨てたかもしれないけど、戻ってきて必死にやり直そうと頑張ってくれていたよな。楽しかったよな、あの家でみんなで。
私は6歳頃までその家に居て育ち、小さかったけど身体で楽しかったことを覚えていた。というより、思い出した感覚。
新しい家に引っ越してから、母の表情の記憶が怖いものになっていっていたのかも。最初からあんな不幸を絵に書いたような家庭じゃなかったと思えてきた。
そうだったな、昔の家では母の好きな猫も居て私も写真で楽しそうに母の作ったお寿司を笑って食べてたよなぁ。
母も頑張ってくれていたんだ。
と、初めて人としての母親の立場に立って見れた。
母の苦悩も少し分かった気がした。
暖かかったよなきっと。と涙が出てきて思い出せて嬉しかった。
夜、もう一度同じ認定講師さんのzoomがあったから参加して、この一部始終をシェアさせて頂きました。
みんな悩んでてここに来てる人達だから、少しでも自分の体験が誰かの励ましや学びになってくれたらいいなと思います。
このメソッドの理屈とやり方は簡単なんですが、
やっていくと簡単じゃない時もあり、挫折しがちですが、誰にでも頑張ればできる簡単なメソッド。頑張って下さいと思います!
読んでくれている方には、
ほわっとしていて、イマイチ伝えられないけれど、今、私はとにかく安心出来る場所があったと思えて幸せ。
娘の受験のことはまだ少し怖いけれど、もう少し母との感情を体感として整理整頓できたら
なにか変わるかもしれないなぁと思います。
そして
人生、ていうか毎日、毎秒、完璧に物事は進んでいて、無駄がない。
今日のzoomに何故か入りたくて堪らなかったこの「なんとなく」は、私をきちんと導いてくれていたことにびっくりする。
長い文章を、読んでくれてありがとうございます。
じゃあ、またね!
明日は娘の義務教育最後の体育大会です!
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