間違った孤独のグルメ
猪五郎はいつもの通り、商談が終わったあと初めて入る店で食事をしていた。
店は比較的すいていて静かだ。居心地がいい。
隣の席の大学生らしき2人の映画談義を聞きながら酒を飲むのも同じ映画好きとして悪くない。
大学生A「だいたい役所広司が出てれば間違いないって気がするよね」
大学生B「そういう人いるよね、『間違いない系』の俳優」
大学生A「藤原竜也は?」
大学生B「あー、うん、俺はギリかな」
大学生A「海外だったらトム・ハンクスとかさ」
大学生B「間違いないね」
大学生A「あとさ、あの人」
大学生B「誰よ」
大学生A「けっこう年配の黒人でさ、いつも割と偉い役とか重要なポジションやる人」
大学生B「んー…声が渋い人?」
大学生A「あーそうそう、声が渋くて、存在自体が渋いんだけどさ」
大学生B「モーガン・フリーマン?」
大学生A「ああそれそれ」
大学生B「分かる。俺も好き」
猪五郎(おお大学生よ、モーガンの渋さが分かってくれておじさんも嬉しいよ)
大学生A「この人がいるだけで映画に箔がつくっていうかさ」
大学生B 「分かるわかる、あといろんな映画に出るのがいいよな。シリアスなやつからアクション映画まで」
猪五郎(ダークナイトのことかな)
大学生B 「アベンジャーズずっと出てるよな」
大学生A「へーそうだっけ」
大学生B「あと面白かったのがさ、B系の服でキャップかぶってさ、なんかチャラい悪役なの」
大学生A「そうだっけ?」
大学生B「なんかノリノリで人殺しててさ」
猪五郎は気づく。
猪五郎(違う…!それはモーガン・フリーマンじゃない…!
サミュエル・L・ジャクソンだッ!)
大学生B「スターウォーズでもいい味出してたよ」
猪五郎(違う違う、違うってば)
教えてあげたほうがいいのだろうか。
いつかこの大学生Aが大勢の人の前でサミュエル・L・ジャクソンをモーガン・フリーマンだと言ったら恥をかいてしまう。
恥をかくだけならいいが、過ちを教えた大学生Bを恨むことになったら大変だ。
二人の友情にひびがはいってしまう。
大学生B「いっちばん最初のジュラシックパークにも出てたな。今から考えると大した役じゃなかったけど」
二人の友情。
美しい青春の思い出に彩られた二人の仲だったのに。
同級生バッテリーとして、プロのスカウトも注目する強打者を三振にとった思い出。
でも準決勝で負けてしまい、敵校の校歌を聞きながら雪辱を誓った思い出。
合宿で中庭に寝転んで、星空を見ながら朝まで夢を語り合ったっけ。
そんな二人が、こんなささいな勘違いで憎しみあうようになってはいけない。
大学生B「ホントいろんな役やるよな、モーガン・フリーマン」
猪五郎(サミュエル・L・ジャクソン!)
やはり教えてあげなければ。
しかし話しかける勇気はない。今までの話を盗み聞きしてたなんて思われたくない。
映画はよく観ているようだから、サミュエル・L・ジャクソンという単語さえ伝えればすぐ誤りに気づくはずだ。
そうだ、咳払いみたいな感じでサミュエルの名前を口に出せばいいんだ。
「ジャクソン」は「はくしょん」にできそうだ。
そこにいくまでの「サミュエル・エル」をうまく咳払いで表現できるだろうか。
猪五郎(ごほごほ、サミュエル、エル!)※以下、脳内での練習
猪五郎(ザミュッ!エルゥ!)
猪五郎(ザュッッ、エゥッ!)
猪五郎(ザッス!オエゥッ!)
猪五郎(ザッス!オエッ!はくしょん!)
猪五郎(ザッス!オエッ!はくしょん!)
だめだ難しい!
…意外と「モーガン・フリーマン」のほうが言いやすいのでは?
猪五郎(モォッ(←なにかがノドにつまる音)ガッ(←咳払い)フリーマン!(←難しいが一気に勢いで言い切る)
行けそうかも。
猪五郎(モオッ!ガッ!フリーマン!!)
猪五郎(モオッ!ガッ!フリーマン!!)
頭のなかでなんどもシミュレーションする猪五郎。
大学生B「で、モーガン・フリーマンのそんときの役がさ~」
猪五郎(違った!モーガン・フリーマンというコトバはもう出ているんだから、モオッガッフリーマンという単語を教えても意味ないんだった…ちくしょおっ!)
猪五郎(いやいや落ち着くんだワタクシよ。世の中には意味がないことなどない。今回は出番はなかったが、モオッガッフリーマンの練習をしたこの経験をいつか感謝するときが来るかもしれない)
大学生B「どの役も演技が深くていいんだよな~」
歯噛みする猪五郎。「演技が深い」というくらい浅い感想があるだろうか?
大学生A「あ、もうこんな時間か。そろそろ行く?」
大学生B「そうだな」
猪五郎(まずいっ!勘違いしたまま今日の話が終わってしまう!)
猪五郎(強打者を三振にとった栄光の思い出を汚すわけにはいかないっ!)
猪五郎(もういい、サミュエル・L・ジャクソンの名前をそのまま口にしよう!)
今までの二人の会話と全く関係なく、偶然サミュエルの最新トピックを見つけて思わず独り言に出た、というテイにすればいい。
食事中にスマホは見ない主義だが、サミュエルのニュースを探すためスマホをカバンから取り出そうとした。
しかしスマホはカバンの奥深くに行ってしまったのか、なかなか見つからない。
大学生A「すいませ~ん、お会計」
猪五郎(畜生、こんなときに限って!)
猪五郎(焦るな、焦るな俺、大丈夫だ!)
猪五郎(こんなピンチ何度も潜り抜けてきたじゃないかッ!!)
大学生たちがいなくなり、さら静かになった店内。
結局スマホは二人の退店に間に合わなかった。
猪五郎はスマホの画面にむかって静かにつぶやく。
猪五郎(そうか、俺が今まで深津絵里さんだと思ってた俳優は西田尚美さんだったんだ)
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