「責任回避」に必死なあまり非人間的な仕様のネットサービスを生み出してしまう組織の問題点とは…?
先日、久しぶりに電車の指定席キップを手配する必要が生じまして。ネットで予約しようと思って、某鉄道会社が運営するチケット予約サービスにアクセスしました。
このサービス、一定期間ログインしないとアカウントが自動的に削除されてしまうステキな仕様なので、しかたなく改めてユーザー登録の手続きを行なったわけなのですが…最初のステップで、5つの利用規約に同意する画面が出現。それぞれの利用規約ごとに「同意」するのチェックボックスがあり、全てにチェックを入れないと先に進めないUI(ユーザー・インターフェース)となっていました…🥲
スマホの画面は小さく、チェックボックスにチェックを入れる操作は面倒ですよね。しかも、同じ操作を5回。
じつはこのサービス、他の部分でも首をかしげざるをえない不思議な仕様が散見され、まるで迷路の中をさまよっているようなUXとなっています。
なぜ、明らかにユーザーにとって心理的負担となる仕様なのに、何年間ものあいだ、何も変わらないままなのでしょうか?
「責任回避」の力学が最優先される組織
市役所などの役所に行った時に、理不尽にムダな書類手続きを要求されてイラッときたこと、ないでしょうか。
部署ごとに違う書類を作成しなければならない…
一枚の書類の中で何ヶ所も押印しなければならない…
利用者の立場からすると、何のためにやらされているのか分からない意味不明な手続きの連続ですが、サービス提供者の側には明確な論理があります。
「万が一のことがあった時の責任を回避するため」
世の中は混沌としているので、何が起こるか分かりません。その中でサービス(お役所の場合は行政サービス)を提供する以上、何らかの問題が発生するリスクは必ずあります。個人情報の漏洩、破損事故、災害、などなど。結果、サービス提供者にはリスクに対する向き合い方が問われることになるのですが、リスクを受容しきれる度量が構造的に欠落している組織の場合、悲劇が生じます。
「万が一、◯◯の問題が発生したら誰が責任を取るんだ?」
これを問い詰める力学(あるいは「空気」と呼んでもよいかもしれません)が強い組織では、その組織に属する個々の構成員は「責任を回避すること」に全集中することが自らの利益につながるため、そのような人々が集まって何らかのサービスを設計する時には、自分が担当する(=問題が生じた時には自分が責任を問われる)機能については、リスクをとにかく全力で潰しにかかる。ユーザーの利便性が犠牲になろうが、そのパーツの「担当者」にとっては、知ったことではない。
結果として、「◯◯のリスクを回避するためにユーザーに押しつけられる負担」のバリエーションがどんどん複雑化、肥大化し、サービスでのユーザー体験が奇々怪界なものになってしまうわけです。
インターネットの世界では…
前述した某鉄道会社のチケット予約サービスは、まさしく、そのような「責任回避型」組織が、インターネットの世界に生み落としたサービスの代表例と言えるでしょう。
あくまでも推測ですが、このサービス全体を通じて一気通貫でのユーザー体験を見ている方は、同社の中にはいないのではないでしょうか…。
え?鉄道会社は独占事業だから、ユーザー体験が多少悪くてもユーザー離れは起きないんじゃないかって?
確かに、かつては、鉄道会社の主なユーザーは日本国内に住む日本人だけだったので、不便なサービスでも事業に悪影響はなかったかもしれません(例えば、ユーザーは新幹線の運営会社を選択できない)
ただ、ご存じの通り、いまはインバウンドとしての外国人観光客が急激に増えています。彼/彼女達は日本国内で利用する鉄道のチケットをネットで予約する機会も多いでしょう。そんな時に、予約サービスのユーザー体験が◯ソだったら…?イヤな記憶がトラウマとなり、最悪、旅先の候補から日本が除外されてしまう可能性もある。
他国と競合している以上、日本国内の閉じた組織の論理だけでネットサービスを設計している場合ではない。国策レイヤーでも取り組むべき課題と思います。