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ネット業界: 「その仕事は私の担当ではありません」と言い切る若手は、何かを失っていないか…?

今回は少し老害っぽいこと書きます(笑)

私は現在、インターネット業界で、従業員数の多い大手の事業会社に勤めています。同じ業界の中では、どちらかと言うと、いわゆる「ホワイトな」職場環境だと思います。

その勤務先で20代〜30代前半のエンジニアやデザイナーと仕事をする機会も多いのですが、最近、「その仕事は私の担当ではありません」とキッパリと主張し、割り振られた最小限の仕事しかしない人が増えてきた印象があります(働き方改革の影響?)

あくまでも個人的な肌感覚ですが、ひとりのスタッフが同時並行でこなす仕事量が、15年〜20年前と比べると7割弱くらいに減っているような気がするのです。

で、まず、はじめにお断りしておくと…

私は、「ムチャ振りの理不尽な業務指示にも素直に従うべき」とか、「健康を害してでも残業、ハードワークすべき」とか、「昔はよかった」系の価値観を若い方に押しつけるつもりはありません。

また、どちらかというと、JTC式の無責任なジョブローテーション方式(本人の意志とは無関係に様々な部署をたらい回しに異動させる人事制度)にはあまり賛成ではなく、どちらかというとジョブ型を支持する人間です。

以上の前提を踏まえてですが…
「その仕事は私の担当ではありません」と言い切って必要最小限の仕事しかしない大企業勤務の若手は、何かを損していると思う。

もったいないなあ、って…

なぜ、損をしていると思うのか?

ひとことで言うと「成長の機会を失っているように見えるから」なのですが、それだけだと、ありきたりなうえに無責任な気がするので、少し掘り下げてみたいと思います。

成長の機会を失うというのは、具体的にどのような状況をさすのでしょうか?

「その仕事は私の担当ではありません」と主張し必要最小限の仕事しかしない人が置かれる状況は、以下のようになると思います。

・数(かず)をこなせない
・経験の幅が広がらない
・本番慣れの度胸がつかない

これらの何がマズいのか?
ひとつずつ見ていきましょう。

数(かず)をこなせない

正月休みやゴールデンウィークの長期休暇が終わって久しぶりに出勤するとき。仕事のペースを取り戻すまでに、少し時間がかかりませんか?

ネット業界に限らず、多くの職種に共通すると思いますが…仕事で生産性を上げるには、ある種の瞬発力、スピード感が求められます。そして、そのリズムを身体におぼえさせるには、毎日、継続的に何度も繰り返して回数をこなすしかありません。

野球の1000本ノックや楽器の練習と同じで、継続して取り組んではじめて、仕事の「筋力」は鍛えられていきます。

↓コンサル、のちにスタートアップ企業で活躍されているジョビーホッパーさんのポスト

ただ、規模の大きな組織では、社内手続きや社内調整が多いため、プロジェクトの進みはどうしても遅くなりがちです。

例えば、企画担当者が関係部署との調整に手間取っていて開発作業がストップしているとか、あるあるですよね。

プロジェクトが止まると、アサインされた開発エンジニアやデザイナーは、タスクが何もない空白期間が発生します。

そのような時、「自分の担当していることしかやりません」のスタンスでいると、極端な話、何もせずにボーっとしていることもできる。ラクといえばラクなのですが、何もしていないということは、それだけブランクがあいてしまっていることになります。

ブランクばかりなのでカンが鈍るし、仕事の「筋力」はいつまでたっても鍛えられません。

経験の幅が広がらない

様々な現場での仕事経験がある人は、まず、引き出しが増えます。

例えばインターネットサービスの企画や開発職であれば、様々なジャンルのサービスなり案件の開発プロジェクトを経験することで、経験値がたまり、自身のアウトプットの幅が広がります。

転職時に作成する職務経歴書に記載できる内容も充実しますし、とくにデザイナーなど制作系の職種の方であれば、自身の実績を証明するためのポートフォリオに載せられる作品のバリエーションも増えますよね。
経験の幅の広さは、キャリアアップに有利になります。

ただ、規模の大きな組織では、社内での組織のタテ割り、役割の分業化が進んでいるので、ひとりの従業員に割り振られる仕事の幅は、どうしても細かく限られたものになります。

とくに、規模の大きなサービスを運営している部署に配属されると、サービスの中の細かな一機能のみを何年間ものあいだずっと担当する、といったケースもあります。

そのような時、「自分の担当していることしかやりません」のスタンスでいると、自分が配属された部署で割り当てられる最小限の仕事しかやらないことになるので、長い目で見ると経験できる仕事の幅が極端にせまくなり、スキルもマンネリで頭打ちになってしまうリスクがあります。

いい年をしたオッサンが、「◯◯の分野の仕事しかできません」とボヤいている状況ほど、自分も周りもツラいものはありません…

本番慣れの度胸がつかない

私の勤務先で、インターネットサービスのシステムに大規模な障害が発生したとき。経験豊富なベテランエンジニアの方が、驚くほど冷静に復旧対応にあたるのを間近に見て、感服したことがあります。

なぜ、ベテランエンジニアは冷静に対応できるのか?それは、これまでに数多くのヒヤッとする障害を経験し、修羅場をくぐってきたから…に他なりません。

障害対応に限らず、場数を踏むことで、仕事をするうえで欠かせない「度胸」のようなものが身につきます。

逆に言うと、場数を踏まなくてもこのような度胸を鍛えられるかというと、なかなか難しいと言わざるを得ません。

「自分の担当していることしかやりません」のスタンスで必要最小限の仕事しかしない人は、必然的に遭遇する場数も少なくなるので、いざという時の対応力、スタミナを身につけるのは難しいのではないかと。


…と、ここまで書いてきて、「それは担当ではないのでやりません」のいちばん大きな弊害は、最後の「本番慣れの度胸がつかない」なのでは?…という気がしてきました。

その理由を的確に言い表せる言葉がなかなか思い浮かばず、もどかしいのですが…なんというか、足腰の弱い「温室育ち」になってしまうと思うのですよね。いざという局面で戦力として頼りづらいというか。

もし、今と同じようなユルフワのホワイト企業に生涯勤められるのであれば、そのようなスタンスでも問題ないでしょう。
もしくは、本業とは別に太い収入源の柱があり将来的にもそちらに頼れるのであれば、それも問題ないでしょう(というか、そういう人は、そちらに全振りしたほうがよいかも?)

でも、そこまで上手くいく人は、実際のところはそう多くはないはず。本職をおろそかにしても食っていけるポジションを築くのって、そうそう簡単なことではないと思います。

例えば私の今の勤務先の会社にしても、同じ業界の競合他社との激しい競争は避けて通れず、将来の業績がどうなるかは誰にも分からないのですから。

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