見出し画像

グズな女子が花教室を開いたら52年続いた話


はじめに


スクール歴52年、ショップ15年。現役78歳フラワーデザイナー。
好奇心旺盛、お人よし、後期高齢者です。
人生100年時代。
この時代を楽しく乗り切るにはただの趣味を増やすことや旅行や
レクリェーションョンだけでは到底まかないきれない年月ですね。
自分で考え自分で行動を起こし、人と関わりながらワクワクして暮らせることとは何でしょうか?
・何かを始めたい。
・最初の一歩が踏み出せない。
・好きなことを仕事にしたい。
・その仕事を長く続けたい。
・充実した楽しい人生を送りたい。
そんなあなたに勇気と元気を出していただきたい
そんな思いで書きました。


1 グズな女子が、ルンルンOLになった

「先生って、どうしてそんなに元気なの?」
「毎日なに食べてるの?」
「なにか魔法の薬でもある?」
「いいえ 毎日 同じことしてるだけ~」
「楽しいことをね!!」
「え~それだけ?」
今では先生と呼ばれ、こんな会話が飛び交うお教室ですが

実はグズで内気な子ども時代でした。数学と物理が好きな変な女の子。
そして18歳の時、母を突然なくし、生きる力もなくしてた。

その時、父の友人が
「わしは息子を亡くしたけど、何年たっても息子の歳は数えてしまうんだ。だが親のことはいつか忘れることができる。いいか?禍福は糾える縄の如し
といってこの次にはきっといいことが起きるから、みんなで助け合って
がんばるんだぞ!」と励ましてくれた言葉
今も私の「座右の銘」にです。

そして無事大学生になり、卒業後就職した外資系企業で
出会ったあることにどっぷりハマって人生がかわりました。
それがフラワーアレンジメントだったんです。
会社のクラブ活動で毎週末のレッスンで作る作品にすっかりトリコなっていました。

8つ離れた母代わりの姉が手作りしてくれる洋服を着て、自分で作った
コサージ(花のブローチ)をつけて、ルンルン気分で会社に行く日々でした。
そのころから、毎日が生き生きと宝石のように輝きはじめました。そして
花の資格を手に入れたその時から「絶対教室開くぞ!!」
「こんな楽しい事を誰かに伝える仕事がしたい!」と
強く決意したのでした。

2 教室はじめ


その後大家族の長男の嫁となり同居生活の中で一人3役、毎日が目のまわるような忙しさでした。でも「このままで終わりたくない。初志貫徹だ!」
と一念発起、長女が2歳の時ささやかな「自宅教室」を開いたのでした。

でもその頃は今のような便利ツールはありませんので生徒募集は手書き
それもガリ版刷り。やっとの思いで500枚刷りました。ドキドキしながら
新聞屋さんに持っていったときのこと、今でもはっきり覚えています。
26歳のときでした。

生徒さんが3人入ってくださいました。
そのときから、新しい人生が始まったのです。
これがわたしの原点なのです。

資金なしコネなしノウハウなしの子育て中の専業主婦にとっては
清水の舞台から飛び降りるくらいの大事でした。

3 自宅からカルチャーセンター立ち上げへ

その後、自宅教室では限界があるので
少しでも「独立した教室」が欲しいと思うようになりました。

そこで小さなアトリエを借りたのですが、すぐ手狭になりレッスン日がどんどん増えていって忙しくなるばかり。これでは本末転倒。
家族のことと家事は絶対きちんとすると決めていたので、何とかしなければと考えていました。

丁度その頃わが町に地下鉄の駅がやってきたのです。
これはチャンスと思い、駅近3分のビルの2階30坪を思い切って借りることにしました。30坪は広く一人でまかなうのは大変。
そこでカルチャーセンターにすることにしたのです。

銀行にお金を借りに行くと「事業計画書持ってきてね」と言われました。
「借りた方がきっとがんばれるよね 辞められないから」と自分に言い聞かせながら、書いたことのない計画書を必死で書いた記憶があります。

カルチャーセンターにするメリットとしては
使用料で経費が軽減できる。
広い部屋を教室として使える。
・時間帯ごとに先生が電話番も兼ねてもらえる。
・募集チラシが合同で作れる。集客で相乗効果もある。
・先生同士の交流ができることで仕事も増える、楽しい。
手作り講座が集まれば即売会も開ける。
など多数の利点あると思ったのです。
そこでお友達や紹介していただいた先生10人でスタートしたのです。

最初10講座100人でスタート、3か月で倍、1年で5倍500人のセンターになり事務の人を1人雇って、わたしは6ヶ所の外部教室へ旅行気分で週2日ほど出かけていく生活が始まりました。

カルチャーセンターのおかげで新しいお仕事をいただいくこともありました。忙しい毎日で、自分がいなくてもまわっていくシステムをつくりたかったので、大変好都合でした。
そして手作り即売会と共に30年間続けることができたのです。
たくさんの人との交流で助けていただいたおかげだと思っています。

4 夢のような海外研修

ちょうど50歳のときのことです。
生花のレッスン内容に行き詰まりと迷いがあったころのことです。

その頃、花の世界ではドイツ研修が花盛り。
ドイツフローリスティックを学ぶプロ向け研修旅行なんですが
私には家族もあり とてもいけそうにないツアーでした。

あきらめてパンフレットをテーブルの下においたまま忘れかけていました。
そんな時同居していた義母がそのパンフレットを見つけ、夫に
 「行かせてあげなさい。 私がお金を出してあげるから~」
とまで言ってくれたのでした。こうして私の研修旅行は実現しました。
 
この研修旅行は生涯忘れることのできない楽しい学びの旅でした。
デザイナーのアトリエの広い庭先でのレッスンと楽しいランチ。
ホテルへの帰り道は 作った花束をリヤカーに載せて道行く人たちに
プレゼント。
歩いて帰る道々、歌いながら森のビヤホールに行くのです。
白夜の森の中にビヤホールが現れ、大人も子どもも一緒になって楽しんでいました。これがカルチャーショックというのでしょうか?
生涯でもっとも楽しい旅でした。
これから病みつきになり数年にわたりこのツアーに参加していました。

丁度、第1回のツワーの帰国から1週間が過ぎたころ、東京から男性のお客様がみえました。なんとそのツワーでご一緒したお1人だったのです。
突然「週3日お時間をください!!」
「この地に専門学校を作りたいのです」とおっしゃるのです。

その方は東京と九州で花の専門学校を経営しておられる方でした。
そんないきさつから専門学校のお仕事をいただき、私の行き詰まりや迷いは吹っ飛んで「私にはこの道しかない」と確信したのです。

1年間かけて、場所探し、講師選び、カリキュラム作り、生徒募集と
たくさんのお仕事をいただき開校にこぎつけたのでした。

学校は2000年代には終了しましたが、この経験が今までスクールを
52年続けてこられた根本になっていると考えています。

人にはピンチもチャンスもあること。
そしてこのチャンスを生かすも殺すも自分自身であること。
そのための勉強と力をつけておくことの大切さを、
ひしひしと実感した出来事でした。

5 プリザーブドフラワー協会の立ち上げ

「プリザーブドフラワーの資格は取れますか?」
毎日のように同じ問い合わせ。
2000年代初め、花の世界ではプリザーブドフラワーが一番人気でした。
生花の水分をアルコールと置換することで枯れない花が誕生したのです。
画期的な商品でした。これは何か行動しなければ乗り遅れると考え、すぐ
先生仲間と相談の上、協会を立ち上げることにしたのです。

「プリザーブドフラワーの資格発行とサポート」のための協会です。
1日でカリキュラムを、そして2週間ですべてのサンプルを作り生徒募集。
まず20人の講師を養成しました。

講師になった先生がまた講師を育てるので15年余りで500人以上。
毎年卒業パーティーの中でブーケショー&コンテストを開催していましたが
コロナ禍で行事は一時休止となりましたが、協会は今も活動しております。

6 リーマンショックでショップオープン

2008年リーマンショックの後、カルチャー教室などにもかげりが出てきました。そして2階では限界があると考え、辞めるかどうかの瀬戸際だったのです。64歳のときでした。

でももう一度一念発起、花スクールだけを1階へ移転することに決定。
店も併設してショップオープンとなったわけです。
今までの貯金のほとんどをつぎ込んでしまいました。

内装にこだわったショップはオープンして間もなく中村蒼さん、鶴田真由さん出演のテレビドラマの舞台にもなり、また新しい大きなお仕事もいくつか入ってきました。

その後もいろいろなことを経験しながら、コロナ禍をくぐり抜け、
こうして今もショップとスクールを2人の娘やお手伝いしてくださる方々
と共に続けています。
思えば自宅教室から52年。26歳から78歳になりました。

まとめ


コロナ禍の中、おうち時間を過ごしているとき
テレビから流れてきた歌声に、お昼の片づけの手が止まりました。
それはNHKのど自慢チャンピオン大会の再放送でした。

「あなたは今笑えてますか?
どんな息をしていますか?

「あきらめないで」
どんなあしたも苦しいほど
その命は輝く

風に立つ一輪
僕たちも花になれる

その胸にいだいてる種は
いつかきっと
夢を咲かすよ」

「花になれ」という歌の一部でした。
くぎ付けになり聞き入ってしまいました。
涙が止らず、歌にこんなにも心動かされたことはかつて一度もありません。

過去の自分と重なったのかそれもわかりません。
でも勇気と頑張る力をもらいました。こんな風に人の心を動かす記事が書けるようになりたいと思います。

好きなことを続けて、いつも前向きに生きていればきっといいことがあると信じています。あなたも頑張ってみてくださいね。





 















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?