累(14)を読んだ
完結すること大切さを、改めて教えてくれた、素晴らしい作品だった。
この作品を知ったのは最近のこと。
実写化した映画を紹介する番組から。
最初は、芳根京子かわいいなあ程度の興味でググってたのだが、作品の設定が妙に気になり、当時発売されていた13巻までを一気に読んでしまった。
一昔前の昼ドラにあっても良いようなドロドロの人間関係。
王道っていいね。
安心して見ていられる。
むかし、水戸黄門に期待していたのと同じ系統の安心感。
最終巻では、収まりの良い、きれいな終わり方を見せてくれたと感じる。
あくまでも主観ね。
断言すが、私が知る、演劇を題材にしたマンガの中での最高傑作である。
演劇マンガと言えば、あのレジェンドがあるじゃないか!
と言う方もいらっしゃるであろうが、あの作品は完結していない。
完結していない作品はまだ評価を下してはならないのである。
マラソンの大会で考えてみよう。
42.195キロのうち42キロまでトップを走っていても、残りの195メートルのどこかで走るのをやめてしまえば、それは棄権であり記録無しであり、評価できないのである。
だから、この作品は最後まで書ききって、終わらせたという点で、あの有名な演劇マンガを超えていると私は考える。
作品を振り返ってみると、見た目の醜さというものは、どうやっても表現し難いものだったんだろうなぁと思う。
具体的に醜い顔を描写すると、同じような容姿をした人からの反感や苦情が避けられない。
他の登場人物が整ったデザインなのを、あえて1人だけ顔が作画崩壊させることで、読者に醜さのイメージを委ねたのだろう。
正直に申すと、終盤の累から、醜さを感じる事はなかった。
累の醜さは、読み手のイメージに左右される。
序盤では、嫉妬に苦しみ、美しい他者を憎む、醜い人間だったが、後半は1人の女性、1人の女優としての葛藤を抱えるどこにでも居そうな人間として描かれていた。
だから、終盤は醜さを感じなかったのだ。
劇場で実写映画を観た人も、ぜひこの作品を手に取って読んでみていただきたい。
その際、別物として読んでいただきたい。
14巻という、手ごろな長さで話を、完結させた作者は素晴らしい。
ありがとう。