死ぬために生きているのだ

 6月いっぱいでずっと辞めたかったバイト、失礼、パートでした、パートを辞めることになった。理由はなんちゃら障害?名前は忘れたけどそれになってしまって、目が覚めても起き上がれずに一日寝て過ごしたり、気持ち悪くて立っていられなくなったりするから。パートは立ち仕事なので疲れるし、足がパンパンに浮腫むし太くなるしでいい事なしだった。辞められることになって嬉しい!
 さて、パートが結構私の安定した収入源でもあったので、これからどうしようかという話である。風俗だけでは正直やっていけない。いや、今までパートとかけ持ちしていたから満足に風俗で働けなかっただけで、がっつり週五で出勤すれば生活できるだけの金が稼げるのかもしれない。だけど、うーんどうしようかとなぜか何かを悩んでいる。自分が何に悩んでいるのかもわからずに。
 ところで、最近いい建物をみつけたんですよ。外に階段がついていて、1番上まで上がれる。外から見た感じ、8階建てのようだ。8階から飛び降りたら、どうかな?さすがに死ねるかな?
 私が大学をやめた時からずっと本気で決めていることがあって、それは、死ぬ時は絶対自殺するっていうこと。自分自身の最後ですら、自分で決めないと気が済まないんだなぁ。自分の人生を全部、自分で掌握して、管理下に置きたいんですよ、私は。理由はもちろんそれ以外にもあるよ。
 私、大学に入るためにすっごく頑張ったんだよね。地頭がいくらよくても、適当な勉強で入れるくらい大学受験は甘くない。親に、国立以外はダメって言われてたから、3年生から勉強を始めたのになんとかみんなに追いつかないといけなくて、だからTwitterログアウトしてSwitchも3DSも親に預けて必死に勉強した。おかしいよね、お姉ちゃんは東京の私立だって受けさせてもらえてたのに。まぁお姉ちゃんは、お姉ちゃんのために産まされた私とちがって本心で欲しかった子供だから愛されてたんだろうけど。そして、毎日7時間とか塾にも行かず必死に勉強して先生にも質問しまくって課外授業も受けまくってようやく受かった富山大学、血反吐吐いて頑張って受かった富山大学を、私は1ヶ月で辞めることにしたんだ。そのとき私気づいちゃったんだよね、辞めること、終わることが人生の本質なんだって。そのとき、死ぬ事が人生において唯一の結果って、大森靖子の歌詞にはっきりピンと来たの。だから私は自分の人生に結果を残すために、自分で死ぬことに決めたの。18歳のときに、自分でそう決めた。
 そこからは生きるのが楽だった。どんなにしんどくても、いつだって死ぬ事ができるから。辛いこともたくさんあったけど、全部死ぬためのお膳立てって感じ。私が早く死ねるように、辛いことが好みに降り掛かってるんだろうなって思うと、むしろ嬉しくもあった。
 だから、私来月の7月に死のうと思う。勇気出るかな、いや出さなきゃ、だって自分のためにようやく死ねるんだから。最近大好きだった子が死んじゃって悲しかったんだけど、不思議とあんまり辛くはないんだよね。なんか、それがその子にとっての幸せだったのかなって思うと、良かったねって思っちゃう。だから、私もそっちに行こうかなーって。一緒に幸せになるって、約束したから。
 結局死ぬか死なないかは7月になってみないとわかんないけど、死ねたらいいなぁ。毎日死にたいと思う生活、毎日わけも分からず涙出る生活、そろそろ辞めたいし。辞めれたらいいな、っていうnoteでした。


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