『TRUTH behind U』に照らされた、ワイのクソデカ感情の残滓
もやし親父です。
はい、ということでですね、こちらの文章は
前稿の歌詞考察及び大好きポイントを抽出した後に出たコーヒー滓みたいなものになっています。
いわば、自主ボツ文章・参考文献紹介・あとがきのGOTTA MIXです。
ただ「ボツ」というのは、あくまで前稿のテーマにそぐわないから自主的にボツっただけで、語りたくない部分ってわけではないんだ、これが。
蛇足も蛇足ですが、前稿にて書き尽くせなかった細かい部分はこちらに全部ぶちまけます。
これでワイの中の『TRUTH behind U』への感情は出し尽くすッ!!受け止めろッ、オラッ!!
それでは、
ゆっくりしていってね!
○『うた』という歌を歌った「うた」はどちらだろう
前稿の解釈記事では、あくまで『TRUTH behind U』は『うた』pt.2ということにしていました。
でもあれ、実は『うた』pt.0、すなわち「うた」が『うた』という歌を歌う前の時間軸である可能性もありますよね。
『TRUTH behind U』そのものの解釈自体はどちらであっても変わらないので自主ボツとしているのですが、意外とこれは最後まで悩んで結論がでなかった…というかどちらでもイケるなと思った内容になってます。
流石に、前稿の解釈文章の中でこんなことまで言い始めたら
ワイ自身もこんな感じになると思ったので、こちら側で強めに供養します。
これは「うた」というキャラクターの情報が少なく、「うた」の時間軸も前後が定まっていないからこその考察ともいえます。
ミステリアスで余白幅の多いキャラって…「「いい」」よね…。
うたちゃんの心の変化を整理するとすれば、時間軸でどちらが先かという考察は意外と重要です。
あんなクソ長い文章書いた後でそんな混ぜこぜをするのか貴様と言われても、「だって可能性はあるんだもん…」っていうションボリ顔しかできません(´・ω・`)
さて、考察を進めるにあたって重要となる『うた』の歌詞はこちらです。
ぶっちゃけ、これも解釈が難しい歌詞をしているんですよ。
「私はこういう解釈をしているよ!」というのを教えてくれる方、よろしければXのリプやDMなどで教えていただけると嬉しいです。ワイは『うた』のほうが解釈幅が広くてムズイなと思ってます。
その上で私の中の印象としては、一言でいえば「歯がゆい思いをしている少女の感情むき出しソング」という解釈です。
で、この歌詞を紡いだのが「うた」という設定だとしたら、これは『TRUTH behind U』で自身を受け入れた「うた」なのか、それとも自身をまだ受け入れていない自暴自棄にも近い状態の「うた」なのか、それによって受け取り方も随分変わってくるよなぁ・・・などと感じています。
もし、これが『TRUTH behind U』の後の「うた」だとしたら、自身の感情の整理ができた上でこれを歌っているわけです。
すると、どうでしょう。『うた』で紡がれた感情の羅列は、
「私の感情をぶつけてやる!」という尖鋭的で攻撃的なものではなく、
「私の中にいる感情は、こんな有様だ!」という意味合いの慟哭となります。
それは攻撃ではなく伝達となり、それは絶望ではなく熱情となるわけです。
さて、ここで『うた』のアーティストコメント、「ポップンSunnyPark」サイト内のmamiさんのコメントをみてみましょうか。
これをどう捉えるか、という話です。
最初、mamiさんは歌詞の内容を見て、ファーストテイクでは力強く歌っていた事が示唆できます。
しかし、wac氏から「抑えて」という指示をもらっている、ということは「うた」というキャラはこの時点で「激情を外に出しすぎないようにしている女の子」であることが確約しています。
これを、私は
【激情を持ちながら、しかし歌に出しすぎると「のろい」で他者を傷つけることになるかもしれないから無理やり抑え込んでいる】状態の「うた」、と今回は捉えました。
つまり『TRUTH behind U』の前の「うた」です。
で、その抑えきれない感情は体で表現した、すなわちCOOL・GREAT時のヘッドバンギングに繋がるというわけです。
おとなしめな雰囲気の子が放つヘドバンは感情の集約なんやで。とても「「いい」」よね。
ただ、逆のパターンとして
【激情に対して、自身の心の整理がつき「のろい」を受け入れた】状態の「うた」である可能性も全然あり得るというわけです。
つまり『TRUTH behind U』の後の「うた」です。
じゃあ、感情をコントロールできているはずなのにヘドバンしてるのはどうなの、といえば
【自分の苦い過去の表現をする過程で、苦痛と感じている部分を散らす】ためのヘドバンである可能性、という路線はありませんかね。
人間ですもの。ましてや思春期の女の子ですもの。そんなすぐに自分の全部の感情を抑えられるわけがありませんって。
そもそもアラフォーに差し掛かったくせにこうやってクソデカ感情抱いてるおっさんもいるわけですから、「人間の感情は完璧にコントロールできる」と考えるのはそもそも無茶ってもんです。
最低10%くらいは「この感情は自分でもコントロールできない」と知覚したうえで諦めて受け入れるくらいが丁度いいと思います。
えっと、なんの話をしていましたっけ。
「うた」の時間軸考察の話はとりあえずこんなところです。
結論:どっちでもエモい。
エモいって言っちゃったよこの人。
○解釈の余白の広さ
げに恐ろしきは、wac氏やPON氏、そしてMarLさんらの作る曲の「余白の広さ」です。(『TRUTH behind U』でどれくらいwac氏が絡んでるかはちょっと不明ですが)
常々思ってるんですが、この方々の作る曲って「リスナーの形に合わせてメタモルフォーゼする」特性が高い気がするんですよ。
例えば、wac氏の最近ビビっときた性癖曲は「灰燼」なんですけど、私なんかは「あれ作曲時のwacの心情だよな」とか考えちゃうんですよ。題名もジャンルも物騒だし…真意はもちろん不明ではあるんですが…。
音色が「蠍火」に比べて寒色気味というか…余韻を残さないで燃え尽きるように区切る終わり方とか…なんかね、色々考えちゃうんです。
まるで某常務執行役員さんの「悲しい事があった時に作った曲」みたいな、アレです。
でも「灰燼」はきっと、「蠍火」pt.2ダァァ!!カッコイイ!!ムズイ!!!!という捉え方をする人のほうが多いはずです。むしろ、そっちのほうが自然だと思います。
それに、別機種にも「蠍火」が移植されるタイミングだったから、そちらの注目度を高めるための作曲だったっていう戦略的なものを狙った可能性も十分ありそうだし。
捉え方はいろいろです。
例えば、PON氏の最近のボス曲でいうとポップンの「F/S」っていう曲があるんですけど、あれも出た当初は考察が盛んにおこなわれていましたよね。(後追いしようとしたけどちょっと纏まったポストが見つからなかった)
担当キャラのエルムが「エルム街の悪夢」を元ネタにしている可能性とか、「F/S」という単語についての考察とか、実はミスリードを誘っていて神話のエルムのほうが元ネタではないかとか、むしろダブルミーニングを狙ってるのではとか。
議論が加速している様子を眺めていてめちゃくちゃ面白かった記憶があります。今ならポップンカードが追加されたから、より考察も捗りそうで面白そうやね。
いずれこれもまた、捉え方はいろいろです。
自分なんかは「エルム街の悪夢」という映画は名前は知ってる程度の知識しかなく、実際の映画を見たことはないので、そういった考察がすぐに出てくる人スゲェなぁと思ったりしました。
リスナー及びプレイヤーである我々個人にしたって、当たり前ですけど得意分野って全く違うわけです。
分野による知識量や経験値、境遇などに違いがあるわけですから、それによってそれぞれの解釈が数々生まれるのは当然ってわけです。だから電流の走るような新発想を目にしたときとか、矢木のような顔して「すっげぇ…」って思ったりします。
プレイ当時の境遇でも視点は大きく変わってくるでしょうし、視点の違いによる解釈は栄養価がダンチなので積極的に摂取していきたい所存です。
えっと、なんの話をしていましたっけ。
いずれ、その解釈幅の広さ(=わざと空けている余白)が、wac氏とPON氏の曲はめちゃくちゃ広いなぁと感じています。
ほいでもって、そこにさらに乗っかってくるMarLさんの歌詞よ…。もうぶっちゃけますけど、あの方の歌詞は「性癖」ドストライクなんですよ。ほんと、いい歌詞ばっかり…すごい…好き…。
『哀彩』をはじめとして、手がけられた歌詞は全て「いい…」とため息を漏らしそうになるものばかりです。非ッ常にエモーショナル。
そういえば『哀彩』の裏話で、小説レベルの原案を書き起こしてから歌詞に仕上げた、というのあったみたいですよね。その原案文章、どこで買えますかね。
いずれ、バックグラウンドの広さは保証されている歌詞であるというわけです。
そんな方々が関わっている『TRUTH behind U』が、解釈の余白が狭いわけがないのは自明の理ともいえます。
っつーか広すぎるんだよ。
ボーイング社のエバレット工場くらい広いわ。
○本当は考察したいアレコレ
さぁ、本当は考察に加えようとしていた自主ボツ部分もどんどん供養していくぜ!
そもそも考察として入れるには不確定事項が多かった部分ばかりなので、下記の内容はノークレームでオナシャス!
・ジャケットに写っている花
ここまでくるとジャケットの花も何かしら意図があるんじゃないのかと勘ぐってますし、実際考察の中にも組み込む必要があるのかなと思っていた時期がありました。
ただ、私の大変残念な特性の一つに、花を見分ける能力が著しく低いというものがあります。
図鑑と一緒に見比べればいいじゃんといえば至極その通りなのですが、
花を見分けるポイントもイマイチ自信がもてないので「形」「色」が似てればもう確信をもってコレだと断定することはできないんですよね…。
実際、今回の考察でも頑張って調べようとしたんですが、正確に見分けられている自信が持てず、ましてや歌詞の解釈だけでもあの量になっちまったので本文には掲載しませんでした。
間違っている可能性も踏まえつつ、以下は自分の見解ですが…
白い花はガーベラでしょうか?
花言葉は「希望」となるそうです。
赤い花・黄色い花はキンレンカとか?
花言葉は「勝利・困難に打ち勝つ」だそうです。
赤い花は別にあるとすれば山茶花(サザンカ)?
これは「ひたむきな愛」という意味だそうな。
紫の花はコスモス?(調和)
あるいはロベリア?(謙遜)
…とまぁ断定はできないものの、
おそらく本来「うた」が求めていたものを花言葉にして表現しているような気がしました。
多分ですけど、花の中に過激なイメージやマイナスイメージの花言葉はないものと思っています。
・「うた」の顔が見えない理由
引き続きジャケットの話です。
格好やモップから、左上のキャラクターは間違いなく「うた」と特定できるようにはなっています。
ただ、ここの「うた」に顔がうつっていない理由ってなんだろうなぁ…と思ったわけですよ。うつってないというか、髪で隠しているともいえるのですが。
で、これも意図があるのだろう、と私は考えました。解釈は以下になります。
1.あえて表情を読み取らせない
手が届きそうな所まできた、という「安堵」や「歓喜」の表情である可能性もありますし、逆に壁に阻まれ、どうして届かないのかと「悲しみ」を帯びてたり「怒り」をにじませている可能性もあります。
見る人に、そのどれかという表情を「あえて見せない」という可能性が考えられるのかなと思います。
2.その表情は「描く」ことができなかった
前稿にて書いたとおり、『TRUTH behind U』のうたちゃんの感情は複雑な迷路のような経緯をもって整理された、と解釈しています。
では、ジャケットの花に手を伸ばすときのうたちゃんの心情は、上記1の「すべての感情」を内包している可能性もあるわけです。
それは、描けませんよねぇ…むしろ「描かない」が正解とすら思います…。
3.感情を移入させるための仕掛け
うたちゃんの感情をあえてジャケットで描かないことにより、曲を聴く人に「感情を読み取らせる没入感」を与えたという路線もあるのかなと思います。
なんなら、あえて顔を描かないことにより、自身をそこへ感情移入させやすくなる効果も高まると思います。
私なんかは、見事に感情移入しすぎて深みにハマって24,000文字を放つに至ってしまったわけですがねガッハッハ。
なんなら本稿と前稿を合わせれば38,000文字になりますがねガッハッハッハ。馬鹿なんじゃないかな。
ジャケットの話はこんなとこです。
・「うた」の一縷の夢ってなんだったんだろう
もうこればかりは、今わかっている情報だけでは憶測レベルを超えないんですよねぇ。
一族の宿命だとか、「のろい」の根源の話だとか、見えない所に潜むストーリーもあるかもしれません。
が、あえてここは「歌う」という、うたちゃんのアイデンティティにそった軽い考察をしてみます。
歌を歌うという行為って、やっぱり「表現」の一種じゃないですか。
ともすれば、歌詞に想いをのせて、歌う時の声の表現にも想いをのせて、表情にも、手振りにも、歌う時の自身すべての表現にも想いをのせる必要があるわけです。
で、それをやろうとする場合は、なんたって自分が自分を一番理解して表現にのせる必要があると思うんですよ。
自分の隠したい過去や見たくない感情にフタをしていては、そこに「感情」をのせて表現することはできないと思うんです。
メチャクチャ難しい話ですけど。
つまり、一縷の夢とは、
「自分の触れたくないものをそのままにして、それでも自分を理解してもらえるような歌の歌い方はないだろうか」を探ってた、という説はどうかなと思います。
もうこれ以上痛い思いをしたくない。けど、自分の事を理解してくれて、自分の歌を聴いてくれる人を増やしたい、そんな方法はないのかな、みたいな。
うん、重いな。
この辺なんかは、ブッダの教えでいう所の「無明」にも近い深淵ですよ。生涯をかけても、それを「一縷の夢」と捉えるに至る人なんて、そんないないって。おっかねぇなぁ。
あぁ、でも、「一縷の夢=願いの果て」と解釈するとしたら、確かに冒頭で「君」が「願いの果てに僕らの距離を知るのが怖い」と言っている意味も分かってくるよなぁ。
それがうまくいったとしても、それで幸せなの?抑圧されて生まれたこの感情は、納得できるの?みたいな。そういったアプローチにも繋がってくるかもしれません。
うん、重いな。
なんかもう、うたちゃんが「命のある意味」に気付いてくれて、本当によかったよ…すごい子だね、うたちゃん…
・「うた」の一人称
頭が固い人間なので、『うた』での一人称が「あたし」で『TRUTH behind U』での一人称が「僕」ってのはどうなんだい?
という考えも、実は解釈当初の引っ掛かりの要素だったんですけど、そこに関してはジャケットの顔を描かなかった理由に近いものがあるのでは?と考えています。
くどくて申し訳ないのですが、『TRUTH behind U』が問いかけるものというのは性別が関係ない内容なので、あえて「僕」という一人称を用いる事によって性別の差をなくすという没入感の工夫がされたのでは、と邪推しています。
あるいは、単純に歌詞としての響きやテンポの問題で調整した、とかね。深い意味はない可能性も十分に考えられます。あと、MarLさん自身が「僕」という表現を好んで用いていたからという可能性もあるでしょうし。
もうちょっと考察に沿った解釈をするならば、自身と自身の精神的な対話なのでユング心理学でいうところの「アニマ/アニムス」であったり、河合隼雄さんという心理学者の「たましい」の概念に近い表現に寄せたという説だって考えられると思います。
とまぁ、これについては解釈レベルまで原稿があったんです。最後の最後まで本稿に入れるか悩んだんですけど、削りました。
大枠で見れば歌詞解釈的には本筋にあまり関係ないし、説明がすごくクドくなるだろうし、一部の方からすれば若干心に引っかかる表現になることが避けられないだろうし。
あくまで私は『TRUTH behind U』の良さを広めたいだけで、この見解に付随する説明をつけ足して解釈の本筋を薄めるのは本意ではなかったのです。
え?じゃ、なんでこっちに書いたのかって?いやぁ、それは、その。
うたちゃんが実は僕っ子だったら最高だなってど~しても言いたくて
えっと、なんでもないです。ごめんなさい。本当に申し訳ございません。
・「うた」が屋上を選んで歌を歌う理由の深堀
1.「のろい」を散らしている可能性?
「のろい」は音波や衝撃波のようなものである可能性があり、開けた場所でかつ空に向かって歌うようにすれば、力が分散されて何も傷をつけないで済む可能性があった、とかはどうでしょう。
そして、近辺で同じ条件を満たす場所は学校の屋上以外なかったという路線はあると思います。
2.誰も屋上に来ないであろう時間を見計らっている可能性?
LOSEアニメの教室見てて思ったんですが、あれ授業中なんじゃないすかね。もしかしたら、うたちゃんは授業を抜け出して屋上に行ってる可能性もあるのかなと。
持っているモップは、実は授業をサボった罰として掃除を命じられていたから持っていたもので、その罰の時間をうまく使って屋上に行き歌を歌ってるっていう可能性もありそうですね…。
・じゃ、なんで「のろい」で窓ガラスは割れたのか
咳き込む時の角度ぉ…ですかねぇ…(自信のない顔)
咳き込む時についうっかり下を向いてしまって、その時に下の階に「のろい」を向けてしまったという路線はありそうだなと思っています。いや、ある…のか…?
・そもそも「のろい」ってなんなんだぜ?
分かりませんね…
同様の力をポップン世界の住民が他にも持っているかもわかりませんし、うたちゃんが「のろい」を持ったタイミングが先天性なのか後天性なのかもわかりません。
そうなってくるとやっぱり出生にも謎がでてくるし、幼少期のうたちゃんがどんな生活を送ってたのかもわからんし、なにも分かりませんね…。
まっ、そこはあえての「余白」でしょうから、それぞれのうたちゃんを自分で想えばそれでヨシ!でどうですかね。
ポップンワールドで物理的に作用する「のろい」の詳細はサッパリわかりません!!以上、閉廷ッ!!
ワイの知らん所に乗ってる情報もあるやも知れんし、誰か知ってる人いたら教えてクレメンス。
ということで「考察記事の自主ボツ部分」の供養は以上です。
どれか少しでも共感してくれる部分があったのなら、ボツになったワイの思念も浄化されると思います。
○もともとのサブテーマについて
『TRUTH behind U』のサブテーマは「表現者への鼓舞」と位置付けていましたが、実は準備稿レベルでのサブテーマについては「哲学」と表現する予定になっていました。
こういう話になると、
「え、あぁ…うん、哲学ね…めんどくさそうだね…」と思っちゃう人、多分メチャクチャいると思うんですよ。
でも、前稿を読んで(乗り越えて)こちらも見ていただいている方は、きっと哲学にも興味をもってくれているのではと信仰します。
しかし…
ボツにした元々の原稿では、このサブテーマの説明のために、下記のような文章を序文として垂れ流す可能性がありました。
これは私の持論ですが、「哲学」は現代社会を生きるにおいて有利とされる「スキル」や「知識」とは一線を画したモノと認識しています。
哲学的知識は、深めれば即座に就職に有利に働いたりとか、履歴書を飾るネタに活かせるような、そういう「お手軽で便利なもの」ではないという事です。
そもそも、哲学が題材にするものは基本的に「答えのない議論」になるものばかりってイメージ、ありませんか?
小難しい前提条件を沢山理解しなければならない割には一定のゴールが存在しないし、昔のよくわからん偉い人の小難しい理論が書いてる本は、表面をなぞって見ても単なる理想論の並べ立てという印象になりがちです。
白黒がはっきりしないくせにむやみに小難しいもんですから、人類のほぼ99.99%くらいの人は「哲学はめんどくせぇ(めんどくさそう)」と考えると思います。
かく言う自分もその一人です。哲学は、学問として捉える場合は本当にめんどくさい。
つまり、それをサブテーマにしているのではと私が感じるほどに『TRUTH behind U』という曲は解釈の余地が広く、そして非常に難解な曲である…という私の結論は先に喋っておきます。
いきなり予防線を張りまくるような文章で情けない限りですが、私自身が「簡単ッッッ!!簡単ッッ!!!」と感じる事が出来ない曲であった以上、これは先に正直な気持ちとしてお話ししなければと思っておりました。
しかし、その反面として『TRUTH behind U』は、「哲学」に触れる「きっかけ」としては、とても優しい内容だとも思います。
登場人物の「うた」を知り、背景情報を知り、『TRUTH behind U』の歌詞に想いを馳せる事で、哲学の知識がなくても必然的に哲学的な思考を張り巡らせることが出来ます。
そして、あくまで『TRUTH behind U』や「うた」について考えるのであり、
自分に向けた思考(自己没頭)は真似事で抑えることもできます。
ようは、テーマの深みにハマり過ぎず、苦さを抑えながら一線を画して思考を深められるのが良いポイントという事です。
これも持論ですが、「哲学」は薬のようなものと思っています。
ほどよい量と丁度いいタイミングで摂取すれば良薬になりますが、文量を間違えたり体に合わないものを接種すれば毒にもなる。
そして、接種状況によっては依存症に陥る可能性もある上、飲み合わせに注意しなければならないものすらある。
そして何より、哲学は脳にとって苦く感じることが多い。哲学と薬には共通点が多いと思ってます。
しかしその上で、哲学は事前に飲んでおくことによって何らかの予防薬としての効果を発揮する側面もあるため、全く触れないよりも、まずほんの少しだけでも煎じて舐めてみて、自身への反応を確かめる事も大事だと思います。
ちょっと例えが分かりづらかったかもしれませんが、ようは「哲学的思考」を持つこと自体はすごくいい事だと思うよ、というお話です。
そういう意味でも、『TRUTH behind U』という曲はおススメです。
口に苦し良薬、それが私の『TRUTH behind U』に対して行き着いた結論となります。
っていうね。
持論が長い。
誰が読むんだよこんな導入で。
原稿用紙3枚も使うな。
や、元々哲学への興味をもってる人ならすんなり受け入れてくれるかもしれないけどさ、『TRUTH behind U』の考察を見に来てくれた人がこんな導入文見せられたら即ブラウザバックしそうじゃないすか。あぶねーあぶねー。ただでさえ20,000文字オーバーの狂気の文章だというのに。
書いている内容自体は、もやし親父が哲学に対して感じている事を正直に書いていますし、前稿には確かにそういった要素もあったわけですから嘘をついているわけではないんですけどね。
それに、考察をさらに煮詰めていったら「心理学」や「仏教」まで絡んできたので、「哲学」一本での解釈説明は無理があると判断したわけです。
そもそも論として、『TRUTH behind U』の解釈幅が広すぎるってだけですけどね。っつーか広すぎるんだよ。ボーイング社のエバレット工場くらい広いわ。
正直な所、書き直した序文の仕掛け方がうまくいったかどうかだけは、今でもちょっぴり不安です。ただ、練り直した結論は、自分でも凄く納得感を持つ事が出来てスッキリしています。
あぁ、もっともっといい文章がかけるようになりてぇなぁ!好きなモンに対するラブレターなんて、ナンボでもうまく書きたいですからね!この世を愛で満たそうぜ!
○歌詞と歌声とメロディの奇跡的な共鳴
そう、ラブレターを書きたいんですよ僕ぁ。
前稿では『TRUTH behind U』の歌詞解釈に終始24,000文字を使うという狂気を垂れ流してしまいましたが、当然ながらメロディとか、歌声とか、そういう所にも好き好き大好きポイントはあってですね。
単なる感想文じみた内容にはなるんですけど下記に残しておこうと思います。
まず、イントロ部・導入部のピアノとギターの音色。これ好き好きポイントです。「寂しさ」「不安」「虚ろさ」といった寒色的な心情を的確に表現していると思います。
ことさらギターは、細やかな音色が「感情の燻ぶり」を表現しているように感じて、個人的には非常にお気に入りな音色です。
歌いだしの前のギターは特に、右から左から、揺れるように聴こえてくるのも感情揺さぶりポイントです。好き。ここは目を閉じてイヤホンで聴きたい箇所です。
だから、GITADORAの紫G正規譜面はめっちゃ難しいけど、なんか納得しちゃいました。
指がもつれるような、心の葛藤の処理のしにくさ、みたいなものを表現しているようで、「ムッズ!でもわかる!!」ってなってます。こんなの私だけかもしれませんが。
(※…赤Gはもうちょっと簡単にしてもよかったと思うヨ!)
また、1回目の英語歌詞部分で跳ね上がる様に入るピアノの強い旋律が入った後、一度落ち着いたメロディに戻ってからサビに差し掛かっていく時のスネアロールは、心情を開放する行進をしているような表現に感じて、とても好きです。
そもそも自分は、「メロディを静から動へ移らせる間に入るスネアロール」が大好物で、曲の盛り上がりを予感させる表現としてこれが入っていると、メチャクチャにテンションが上がってしまうんですよね。
『終曲・改「三儀の凱奏」』中盤のスネアロール地帯とかもかなり性癖です。
だから、あのスネアロールをドラムマニアでやりたかったんですよ。一体化したかったんです。うたちゃんの前進にあわせて、行進するようにスネアを叩きたかったんです。
そして1回目と2回目のサビ。曲が一気に「動」へと置き換わる瞬間。
かき鳴らされるピアノの力強い旋律が歌詞、歌唱と強くシンクロし、抑圧された心情、心の開放、カタルシス的な表現を加速させる展開は、何回聴いても鳥肌がたってしまいます。
また、最後のアウトロは、あたかも絡まり合った二本の糸がほどけてしまうような寂しさや無常さを表しているようで、「それでも、人は繰り返す」事を示唆しているかのような、曲を一番初めにループさせるかのような切ない気持ちを引き出してきます。
きっとうたちゃんは、これからも色々な苦労をしていくのだろうな、と思います。『TRUTH behind U』は、解決ではないですからね。新たな始まりですから。もしかしたらそれを表現したラストなのかなと思います。
うたちゃん…幸せになってくれ…!!!
そしてそして、好き好き大好きポイント「歌唱」ですよ。
メインボーカルのMarLさんの声質は、あまりにも『TRUTH behind U』のストーリーや背景、そしてメロディに「完・全・合・致」していると思います。
もちろん、歌詞を書いている人が歌うのだからそりゃ合致もさせるでしょ、というツッコミもあるでしょうが、それにしたってそのシンクロ率がとんでもないものだと感じるのです。
「抑圧」とか「逃避」とか「絶望」とか、「希望」とか「覚悟」とか「慟哭」とか、「安らぎ」とか「喜び」とか「問いかけ」とか。
複雑すぎる要素を全て内包するような歌い方はMarLさんの力あってのものですし、MarLさんの声質だからこそ表現できるものと思います。
「命のある意味を」「祝福の証だ」の部分の歌い方なんてさぁ…最高すぎるんでさぁ…。
あと、バックコーラス担当のPON氏の歌唱も、ポイント高いですよね。彼がツインボーカルを務める曲も、好きな曲メチャクチャ多いんですよ…「Fate No.23」とか、GeMiNioИ曲全般とか…
また、2人で歌唱をしていることによって、「君」と「僕」感であったり、「僕達」感がより強調されて、歌詞の内容をより強く引き出しているようにも感じるのがポイントです。
歌詞・メロディ・歌唱。
これらの異常なまでのシンクロ率の高さ。
これこそが『TRUTH behind U』を奇跡的なほど魅力的な曲にしたポイントだと思います。
○シリーズのテーマに合わせた意図
前稿の内容について感想をつぶやいて頂いていた方々の中には、当時のポップン・ノスタルジアのシリーズテーマに合わせた内容、という路線の解釈をされていた方もいらっしゃいました。
その視点は、完全に抜けていました…ッ
「うさ猫」「forte」のテーマ、そしてそれの架け橋となる「共演会」という解禁時のテーマ、なるほど確かにそれも考察に含めるには十分すぎる材料だと思います。
「君」「僕」そして「僕達」は、機種を指すという考え方も含められるようになる…すごい、また解釈の幅が広がった。
ともすれば、FEVERアニメでうたちゃんの足元にいた「黒猫」にも強烈な意味が生まれてくる可能性があります。
ポップンの当時の表題に含まれていた「夢」という単語に、一定以上の意味も生まれてきます。
あぁ、そう考えればジャケットのうたちゃんの後ろの紙はやはり楽譜だと自信を持って解釈することも可能になります。
そして楽譜はノスタルジアを連想させて、ノスタルジー、すなわち「懐古」「追憶」に繋がり…
さらに「うた」がノスタルジアforteの世界を歌ったという可能性も…そうなってくると、『TRUTH behind U』の内容や表題はダブル、いや、トリプルミーニングに…
やっべ、脳汁でてきた。キモチイイ。
でも、ワイのような頭と心の人間が、ここからさらにノアのストーリーまで絡めて考察すると多分メモリ不足で脳がトンじゃう気がします。あっちのストーリーも、すごいからね…うん…。
有識者、誰かまとめてくれッ!
いやぁ、インターネット、最高やね。
感想を頂いた方々に、改めて御礼申し上げます。
○参考文献のご紹介
前稿の『TRUTH behind U』歌詞解釈をするにあたって、
「あ~、こりゃ今の自分の知識だけでは無理じゃ~」となった為、いくつか参考にした文献を最後にご紹介します。
・100分de名著『ブッダ 真理のことば』
・100分de名著『ラッセル 幸福論』
リンク先は多分売り切れのままで公式テキストは購入できないので、書籍で購入するとしたらkindleが手ごろかと思われます。
また、100分de名著シリーズはNHKオンデマンドで動画として閲覧できるので、気になったタイトルは1カ月1,000円で勉強し放題です。
後期の100分de名著は、とんでもなく鋭い感性で伊集院さんがコメントするのがメチャクチャ面白いです。なんかNHKの回し者みてぇなコメントだなこれ。
・文章で伝えるときいちばん大切なものは、感情である。
ライターのpatoさんを私は尊敬してやまないのですが、この本には「伝えたいこと」がある人には絶対に刺さる内容がてんこ盛りです。
文章や構成の調整なども、ほとんどはこの本からノウハウを得て実践しています。あとは単純に読み物としてもおススメです。
実は前稿、執筆が75%くらいに差し掛かったところでピタッと書く手が止まってしまっていたんですが、この本のおかげで残り50%にブーストを掛けることができました。(意訳:25%を消去してから50%を書き上げた)
○さいごのさいごに
『TRUTH behind U』に狂った人間のコーヒー滓までご覧頂き、誠にありがとうございます。
ここまで読んでいただいた方、私と「ズッ友」になりましょう。
ほら、「Zutt」も「ズッ友」からもじった名前らしいし、この曲を通して貴方と
ってなわけですよ。
リアルで対面したら絶対一緒にお酒飲もうね。約束だよ。
最後に、以下を宣言します。
『TRUTH behind U』、俺はお前と添い遂げるッッッ!!!!