【GITADORA昔話】ギタドラ「スキル」誕生20周年になるんだなぁ…
もやし親父です。
11/29は、ギタドラに「スキル」という概念が生まれた
「GUITARFREAKS 8thMIX & drummania 7thMIX power-up ver」
こちらの記念すべき稼働日となっています。
あの時の事は…まるで昨日のことのように今はっきりと思い出すことが出来ます(ロード第884章)
…というわけで、
前回書いたこちらの続き…というわけではないんですが、
ギタドラに「スキル」というものが生まれたあの時の事を
思い出しながら、ちょっとまた昔話をしてみたいと思います。
お話は、家庭版GUITAR FREAKS 1stをしこたま楽しんで、
いよいよ家庭版2ndへ足を踏み込むところから始まります。
○アーケードデビュー前哨戦<1年半の修行の日々>
あの激情と興奮の「MAGIC MUSIC MAGIC」との出会いから、
すっかりと自分はGUITAR FREAKSの虜になっていた。
これからさらに数多の名曲達、
あれやこれやのヤベェ譜面達と運命的な出会いをしていくわけだが、
その前にアーケードにデビューする前、すなわち家庭版での奮闘についてちょっとだけ振り返ってみようと思う。
1st完全制覇を成し遂げたあの後、「GUITAR FREAKS 2nd mix」をHIGH SPEED EDITIONばりの馬鹿げたスピードで購入し、
プレステ2用のソフトでさらに新作も出ていると聞いて「GF3rd & DM2nd」も400bpmばりの無茶のあるスピードで購入した。
(※…以降、GuitarFreaksをGF、DrumManiaはDMと略します)
今となっては本当に恥ずかしい話だが、ようやくここで友人Sがいっていた「ドラム」とはDMのことだったのかぁ…と、初めて知ったのだった。
DM2ndからは、早くもセッションも可能になった。要は2人以上で同時プレイが可能になったのだ。興奮が止まらない。
とりあえず間に合わせで普通のPSコントローラーで遊んでみた。がしかし、当然それだけでは満足できなくなるのはゲーマーの性。
『これは……ドラムも……専コンがいいよね……』
みんなの思いがミナデインの如く一つになった瞬間だった。
そして翌日には、稲妻の如きスピードでDM1st+DM専用コントローラーを購入した自分がいた。
ここまでの連続購入は、わずか一か月の間での出来事。まぁまぁ狂っていたと思う。
早速みんなでDMの練習を始めた。…が、自分含むほとんどの友人たちは
手と右足が一緒に動く現象から抜け出すのにめちゃくちゃ時間が掛かった。
さらに緑タム・赤タムなんて降ってこようものなら為すすべもなくゲージが削られる。
ムズイ。難しすぎる。東京フレンドパークを僕たちはもう笑うことができない。
簡単な曲でも当たり前のようにミスを量産してstage failedする我々を尻目に、「Waza」、「CENTAUR」、「Depend on me」が出来る友人S、改め『シュン君』は英雄のような扱いとなっていった。
はっきりいって、彼はレベルが違いすぎた。「DMの経験が前からあるだけ」とはいうが、それにしても違いすぎる。ただただ、カッコよかった。
ドラム駆け出しの我々の内で当時人気だった曲は、
3rd&2ndの「春~spring~」と「SUNNY DAY SUNDAY」、そして「バンビーナ」だった。
自分が知っている曲は、どうしたって選曲のハードルが下がる。ついつい版権に人気が偏るのは新入り音ゲーマーのサガというものではないかと思う。
ましてやドラムという慣れないゲーム。知ってる曲ならなんとなく叩ける、という感覚的なものも味方していた。
そうやって、しこたま版権を楽しんだ後は、力試しに難しめのLONG曲をやって、難易度と疲れで爆発四散、というのも当時の定番だった。
DMは新鮮な事もあり、仲間内でかなりの人気となった。皆が3rd&2ndに夢中になった。そのせいか、せっかく買ったGF2ndはもっぱらもやし親父専用機となっていた。
「MAGIC MUSIC MAGIC」と「LUNCHTIME BLUES」を始めとした超名曲の数々…GF2ndも怪作といえる楽しさがあるのになぁ。
理解されない苦味こそあったが、皆が帰った後の自主練習で黙々とやっていくうちにEXTREME+モード(現在のEXT譜面)が少しずつクリアできるようになっていった。
夏休みは夢中になってみんなと3rd&2ndを遊んだ。そして、いつの間にか秋が近づこうとしていた頃。
4th&3rdが、発売された。
うわ、マジか。もはや当たり前のように即時で購入し、我々は更にどっぷりとギタドラにハマっていった。
当時の版権曲は「Liar! Liar!」「ダイナマイト」「BORN TO BE WILD」など、今振り返ってもなかなかの顔ぶれ。
そして、このあたりの仲間内でのメガヒット曲はなんといっても「RIGHT ON TIME」。
曲ヨシ、譜面ヨシ、中毒性ヨシなこの曲。起動すればまずみんな、こぞってこの曲をプレイしていた。
特にドラム譜面が大人気だったわけだが、友人K改め『カズ君』はこのあたりからドラムが急成長した。ちなみに自分はハイハット連打がどうしてもできなかったのでいつもゲージが地を這っていた。
…ちなみにEXTRA系の隠し曲は、この頃ともなると逆にみんな敬遠していた記憶しかない。
1stの頃はみんなあんなに熱中してEXTRAのLUCKY?STAFFを出そうとしていたのになぁ…と思いはした。
が、4th&3rdのEXTRA、そしてENCOREで出てくる曲は…あまりにも…難しすぎたので…これは仕方がないと思う。
ということで、なんだかんだ家でガッツリと「ギタドラ」を楽しむようになって、なんと早1年半が経とうとしていた。
残念ながらこの頃には、仲間内でも飽きる人は飽きてしまっていた。割と本気で頑張っているメンツは友人のカズ君、シュン君、そして自分の3人に絞られていった。
そんな中、シュン君に提案されたのが
「そろそろゲーセンでやってみない?」だった。
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●解説:家庭版について
・GUITAR FREAKS 2nd
GF2ndの当時のEXTRA曲は
中ボスが「MAGIC MUSIC MAGIC」(!!)で、
ラスボスは「KING G」でした。
2ndのボス曲が「MAGIC MUSIC MAGIC」と分かった時はとんでもない量のドーパミンが出ました。まさにENJOY THE GAME。
で、ラスボスのKING Gを討伐すると、エンディング曲で出てくるのは「menber introduction」というド渋いフュージョン系の曲。これもなんらかの形で復活してくれないかなぁ…と思う名曲なのです。
・Drum mania(初代)
発売が早かったのはGF2ndの方で、DMはそれに続いて出た形。
DM側はこの時点で、すでにセッションが可能となっていました。
…ただ、3rd&2ndを先にやっていたせいでDM1stのインターフェースに慣れることができず、当時は起動する回数が少なかったのが正直なところ…。(難易度変更とハイスピ変更が複雑なコマンドだった)
DM1stは特にEXTRA曲はナシ。
しかし名曲は多く、「Ultimate Power」「Road for Thunder」そしてNAOKI氏の素晴らしいバラード曲「When I dream of you」あたりは今でも復活希望。
そして我々の間でボス的な扱いだったのは「Across the nightmare」「Depend on me」そして「waza」でした。
「waza」は今でも復活希望。なので、ポップンでもちょくちょくやったりしちゃう。あとギター・ベース譜面も追加してほしい。
ところで、今でも大好きな曲の一つである「Across the nightmare」、我々の間では通称「サムスピ」でした。これ、我々だけだったんだろうか…?
クリップにでてくるあのSAMURAI、すっごく牙〇幻〇郎に似てない?
または若かりし頃の志○雄○実とか…。
………めっちゃ似てない?
・3rd&2nd
ギタフリ側ではベースが初実装されたのはこのあたり。
そしてLONGが本格的に実装されたのもこのあたり。
当時のLONGは「BONUS TRACK」というモードで選ぶものでした。
また、当時のEXTRA曲は「COSMIC COWGIRL」と「SAY WHAT YOU MEAN」でした。難しいは難しいけど、最近のギタドラと比べるとボス曲っぽくない。それがまたよかったんですよね。
―――あぁ、一応お断りしときますが、当時基準ではこの2曲はメチャクチャ難しかったです。
LONGの中に入っている楽曲「1175」は、このEXTRA2曲と当時の人気曲「P.P.R」を加えた3曲繋ぎのメドレーとなっており、ギターでフルコンするとコンボ数が1175になる、と言ういわゆるボスラッシュ曲でした。
1175というコンボ数、当時は「メチャクチャ多いなぁ…」なんて思ってたんですよね。なのになんで『単曲で1000ノーツを超える曲』なんてもんが今はゴロゴロとあるんスかね…?
ましてや、「将来は2分間で1523ノーツをしばく曲がでるんやで」なんて、当時の自分が聞いたら絶対に爆笑するだろうな。
オメーだオメー、オメーの事だよ
・4th&3rd
シリーズ初のENCORE曲が出た…のは歴史的にとても重要ではあるんです。が、そのために使うEXTRA曲が「CLASSIC PARTY 2」。
ギター譜面の凶暴さ、ドラムの地味な難しさを記憶している古参は、果たして何人いるのやら。
当時はセッションでベースを誰かが担当して、それを使って進出するのが妥当、といっても過言ではなかったです。ギターは最初で心が折れる。
それでいて、アンコール曲はあの「DAY DREAM」なのだから、本当の意味での白昼夢…。当時のDAY DREAMは、名前通りクリップも白昼夢染みててヤバイんですよね…。
ご存じの方は言うまでもない「あの」譜面なので、当時の我々は完全に意気消沈してました。LUCKY?STAFFと比べると絶望の桁が違いすぎるんよ…。
ちなみに、公式で「ギタドラとよんでくれ!!」と言ってたのは4th&3rd。
これが今のGITADORAまで続くんですから、まさに歴史の1ページの塊のようなシリーズですよね。
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○もやし親父、アミューズメント施設に立つ
そう、すでにギタドラ歴は1年半。
アーケードに疎いもやし親父も、ボウリング場やゲーセンで目に入るギタドラが気になって気になって仕方がない頃になっていた。
ゲーセンは「GF 4th & DM 3rd」では既になく、自分が意識して見始めたころには「GF 6th & DM 5th」という大分進んだバージョンとなっていた。
しかし、よく分からない事もあった。
とあるデパートの中に入っているverは「GF 5th & DM 4th」だったし、
隣町のK町にあるゲーセンなんて、何故か「GF 2nd & DM 1st」だった。家庭版より古いじゃん…。
なんで場所によって、こんなにバージョンが違うんだろうか?理由が不明すぎてめちゃくちゃ混乱していた。
事情通のカズ君曰く、理由は「金がない店は新しくしないからだ」、との事。バージョンアップはやっぱりお金がかかるんだ…。ゲーセン知識が無知すぎるもやし親父は、また一つ賢くなったのだった。
当時、一番新しいバージョンが入っていたのは、家の近くのボウリング場とジャスコというデパートのゲーセンだった。
ただ最初は、人がいない所で慣れていきたい(意訳:過疎ってる所じゃないと怖い)と自分がシュン君に打診し、
当時バージョンアップが遅れていたビブレというデパートの「GF 5th & DM 4th」を触りに行った。
初めてのアーケードGFは、とにかく、めちゃくちゃ緊張した。
感触が、インターフェースが、コントローラの重さが、全部違う。
あわあわしていると、今度は家庭版になかった「時間制限」にまで追い詰められてしまっていた。
え、うそ、曲選ぶのに制限時間あるの?入ってる曲が何があるかも選び方も分からないのに、あわ、あわわわわ。
よく分からないままよく知らない曲を選んでしまい、緊張と混乱の極みに陥ってしまったもやし親父。
まるで緊張で棒立ちしている歌手のような直立不動っぷりでのプレイとなってしまい、その様子を大層友人たちに笑われた。ちくしょう。
しかし、すごかった。
緊張もしたし、見られているような気恥ずかしさもあるけど、家でやる時と比べると桁違いに楽しい。
音圧が違う。選べる曲が多い。知らない曲もある。画面がデカい。ボタンもデカい。
家庭版との違いは、これだけのはずだ。やってることは何も変わらない。
なのに、まるで初めて海を見て感嘆の声をあげる子供のように、新しい世界の広がりに心が躍ったのだ。
クレーンゲームに興味はなかったし、メダルゲームはハマりすぎる性分だから逆にやらないようにしていた。
そんな理由でゲーセンにあまり近付かないように気を付けていたもやし親父は、ここでとうとう「ゲーセンに行きたい理由」が解禁される事となった。
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●解説:アーケードと家庭版の時系列について
アーケード稼働日と家庭版発売日については、このような時間軸のズレが存在しています。そりゃ当時アーケードの知識がゼロだったもやし親父が混乱の極みだったのも、頷けるってもんです。
アーケードと家庭版には、2シリーズくらいのズレがあるのかな?という印象をこのあたりの当時は持っておりました。
そして残酷なことに、「もう少し待てば家庭版5th & 4thがでるって事だよね?100秒、家でやりたいなぁ…ッ」とキラキラ目を輝かせておりました。
無垢で、無邪気な、世の理を知らぬ、若きもやし親父がそこにはいたのです…。
家庭版はこの4th&3rdを期に、
Vシリーズのアケコン発売が決定するまでの間は暗黒期に突入します。
なので、この期間の闇を知っている身からすると、
「家庭版があるというのは実は贅沢なことなんやで」と言いたくなっちゃうんですよね。…これこそまさに親父の小言やな。
無論、2022年11月現在の家庭版、そしてアーケードに対して何も意見がないのかというと、そういうわけではないですけどね。くわしくはこちらにて。
とりあえずアーケードデビューはしたものの、人前で恥ずかしい思いをしたくないから予習をみっちりしたい派のもやし親父さん。予習手段として贅沢にも「とりあえずサントラを買いあさる」という手法に出ました。
当時はCDで収録曲を予習して、気に入った曲をアーケードにやりに行く、というのが定番の手法になっていました。
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○沼の中へ 沼の中へ 行ってみたいと思いませんか
過疎デパートゲーセンにて「5th & 4th」をしこたまプレイをする日々が続いた。
ギターはボタンとピックの大きさ、重さの克服に戸惑っていた。家でできた曲がアーケードでは全然できない、なんていうのも当たり前で、
家のコントローラさえ繋げられるなら、きっとあの曲もこの曲もクリアできるのに…などと歯噛みする日々であった。
ドラムなんて、家とアーケードは全然違う。バスドラがぺったんこじゃないし、椅子の調整の仕方も分からないし、シンバルやタムの位置も全然慣れないし。
ただでさえ「RIGHT ON TIME」すらまともに叩けなかった自分からすれば、
手に入れた船で不用意にうろついたせいで高レベルモンスターに蹂躙されるような、某RPGの勇者の気持ちにしかならなかった。
しかし、高校に入学してある程度の時間がたった頃、
もやし親父はようやくアーケードの環境に慣れ始めてきたのだった。
「RIGHT ON TIME」をはじめ、ドラムもそこそこのレベルなら出来るようになり、ギターは、メチャクチャ難しい曲やオルタが多い曲でなければある程度クリアできるようになっていた。
そんな折、見知らぬ外国人からセッションに誘われた時はさすがに緊張した。
お互いにスローテンポな曲を選曲してまったりと遊んだ後、
「ギター、ウマイネ。セッションアリガトウ」と言われた時の何とも言えない清々しさは鮮明に脳裏に焼き付くものになった。
後で知ったのだが、その人は自宅の近くの有名なケーキ屋のパティシエさんだったらしい。世間は狭い。
続いて、ボウリング場で「6th & 5th」も遊び始めた。バージョンが変わると、やはり新鮮な気持ちになって楽しい。
などと思っていた所に、なんと逆転現象で過疎デパートゲーセンに「7th & 6th」が入る事になったとカズ君から聞いた。
バージョン飛ばしで新しくなる事ってあるんだ!と感動する自分に対し、
「いや…たぶん、もやし親父が頑張ったから新しくなったと思うけどね…」とボソッというカズ君。
自分が頑張ったから…?その言葉の意味は、当時はよくわからなかった。
新しいギタドラが入ってから、そのデパートのゲーセンは風変わりなことを始めた。
音ゲーコーナー(5鍵、ポップン、ギター、ドラム、キーマニ)がサークルで囲まれて、入場料500円を払えば全てフリープレイという超ド級お得イベントを水曜日限定で開催しはじめたのだ。
このイベントが行われるようになってから、学校帰りの水曜日は必ずゲーセンというのが週課となった。
ちなみに、ギタドラが混んでるときにちょっとだけ友人たちとキーボードを触ってみたが、難しすぎて爆笑した。
自分にはとりあえずギタドラしかないな、と思ったのでとにかく隙をみてはギター・ドラムをローテーション。新作を玉砕上等で何回もトライできるのは、もはや自分にとって合法麻薬だった。
熱中する日々は続き、9月上旬。ボウリング場もデパートゲーセンも「8th & 7th」が無事に入ることが告知された。
また、新作を遊べる。今度はどんな曲に出会えるだろう。
まるで残暑に灼かれるアスファルトの如く、自分のギタドラ熱もジリジリと熱を帯びていくのだった。
しかしそんな折。新作が稼働してわずか一か月するかしないかの内に、デパートが新しくなる為一旦閉店になるとのお知らせが入った。
どうやら大元の会社が変更になるらしく、デパートの名前が変更となり、ゲーセンも多少なりとも変更があるような話だった。
え、水曜日の楽園はどうなるの?ゲーセンからギタドラがなくなったらどうしよう?と、残暑終わりの冷えた風が体と心に襲ってくる。
デパートの新装開店当日。
ちゃんとリニューアルされたゲーセンに、
ギタドラは、しっかり鎮座していた。
よかった。ちゃんと、あった。ちゃんとあったよ…。
ただし、水曜日のボーナスタイムは、残念ながら継続はされなかった。まぁまぁショックだったが、それはしょうがない。
「8th & 7th」は友人たちと遊ぶときはデパートで、自分で練習するときはボウリング場で、という遊び方をするようになった。
このあたりで、少しだけ、ほんの少しだけ「マンネリ」のようなものが自分を襲うようになってきていた。
自分は、このゲームをこれ以上上手くなれるのだろうか?シュン君、カズ君はまだまだうまくなりそうな感じだけど、果たして自分は…?
一通りの収録曲を遊びきった。ある程度のレベルであればクリアはできる、でもフルコンなんかはとても狙えない。そんな中途半端な状態。
もちろん好きな曲を遊んでるときは楽しいのだが、流石に何回もやっているとなんとなく飽きてしまう。
難しい曲はいつまでもクリアできない。クリアするための糸口すらつかめなかったりもする。
さて、どうしよう。新作がくるまではペースを落としてもいいのかもしれない…などと思い始めていた。
そんな折、初雪がちらつきそうな寒さが襲ってきた11月下旬。待ちに待ったバージョンアップのお知らせが掲示されていた。
そう、ここでとうとう、本格的な『沼』が姿を見せ始める。
それはギタドラにとって、否、音ゲーという分野においての、まさに「革命」ーーーーー。
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●解説:当時体験していたアーケード版について
・5th & 4th
ここでVシリーズラストまで続く、レベル表記99段階が生まれます。
そして、ENCORE曲の”佐々木三部作”と言われる曲はここから生まれます。
このシリーズでは「The Least 100sec」がラスボス。
ギターも、ドラムも、キーマニも、全てにおいてボスにふさわしい難易度で
ことさらドラムの中間(通称:滝地帯)は抜けれるだけでもすごい、フルコンできる人は人間ではないとまで言われてました。
まぁ…今の感覚で見ても、例のあの地帯は控えめにいって頭がおかしいっすけどね。そんなのが20年も前からあったという。
※…ギターパート単体でENCOREに行くのは至難の業、というかほぼ不可能でした。なにせEXTRA曲が「CLASSIC PARTY 3」でしたので…。
・6th & 5th
「NONSTOP」モードが追加され、コースクリアを狙うという新しい遊びが追加されたのはこのシリーズ。
メドレーも含めていいのなら、本当の意味でのNONSTOPは実はDM1stからありますけどね(DM "Powerful" MIX)
当時の人気曲は「BOBBY SUE AND SKINNY JIM」「正論」そしてなんといっても「天体観測」がテッパン、といったところでしょうか。
そして、このシリーズではEXTRAが「FIREBALL」、ENCOREが「子供の落書き帳」という構成。
どちらもクセが強い…。概ね、このあたりのシリーズの佐々木曲はENCOREではプレイできず、もっぱら次回作で遊ぶのが当たり前って風潮でした。
・7th & 6th
今でも根強い人気を誇る楽曲やコンポ―サーの曲がたくさん出てきたのがこのシリーズ。
「DEPARTURE」「Destiny lovers」「O JIYA」「蛹」などなど。版権も「innocent world」「ROCKET DIVE」「BURN」など良曲ぞろい。
個人的にはめちゃくちゃ衝撃だったのは、なんといっても「蛹」。攻めすぎでは、とツッコミたくなるあのクリップ。あさきの名を轟かせたのは間違いなく「蛹」といえるでしょう。
そして、このシリーズではEXTRAが「MODEL DD2」、ENCOREが「Concertino in Blue」という構成。
……え、MODEL DD2でパフェ率高くないとENCOREに行けないンすか…?
っていう鬼条件も甚だしい内容だったため、コンチェはごく一部の人にのみ与えられるご褒美曲のような位置づけだった記憶があります。
そして、このシリーズからはなんとBONUSTRACK(LONG)にも専用EXTRAが追加された画期的なシリーズでした。
そちらはEXTRAが「One phrase Blues」、ENCOREが「under control」と、どちらもこれまた骨太な構成。
表のコンチェ、裏のアンコン。この表裏の明確な違いがたまらない構成です。当時はどっちもやったことねぇけどな!
・8th & 7th
色々なものが「始まった」といえるのは、おそらくこのシリーズから。
選曲後のスタート長押しでのオプション変更、地味だけど今でも重要な要素はここから始まってます。
そして、このシリーズではEXTRAが「三毛猫ロック」、ENCOREが「MODEL DD3」という構成。
ここから数年後のギタドラXG初代、最初のEXTRAが「三毛猫ジャイブ」だった時、
実はすごく懐かしい気持ちになったんですよね…。この時の流れを再現してくれたのかな、なんて思ってます。
そしてそして、BONUSTRACK(LONG)は「ツミナガラ…と彼女は謂ふ」⇒「Infinite」という構成でした。
ツミナガラについては、「おい、蛹よりやべーヤツ来たぞ(主にクリップ的な意味で)」と当時はめちゃくちゃ話題になりました。
そして、ENCORE曲のInfinite。良曲で名曲だと自分は思いますが、当時は随分おとなしい地味な曲だよね、と話題だった記憶が。
ある意味、呪われそうなヤベー曲を乗り越えて出てくるのがさわやかな曲という感じなので、これはこれでアリなENCOREだなと思いますけどね。
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○ギタドラの顔、沼への直行便、「スキルシステム」の始まり
もうすぐ雪でも降ってきそうな寒空が広がる12月の始め。
まぁここなら寒さは関係ないけどな、といつものゲーセンにきたらギタドラにシステムアップデートがあったようだった。待ってました。
そして、一緒に来ていたカズ君曰く「これからはカードを買ってやったほうが面白いっけよ」という話が。というか、カズ君はいつも情報が早いなぁ。
…ん?で、カードって、何?カズ君は既にそのカードとやらを買っていたらしく、よく分からずにキョドっている自分に色々説明してくれた。
「GF 8th & DM 7th power up kit」
ここから、e-AMUSEMENTというネットのシステムを使って、
なんと「個人の成績」を曲ごとに記録しておく事ができるというのだ。
なに、それ、革新的すぎる…
ここまでのシリーズでも、インターネットランキングへの投稿などは出来るといえば出来る環境ではあった。
しかし、自分のスコアじゃあ結局ランキングなんて絶対乗らないしなぁ…などと、ほとんど自分にとって関係のないものという位置づけだった。
ましてや、何十回も全曲を遊んだ家庭版に比べると現行アーケードはあまりにも収録曲が多すぎるため、
いつどの曲をやってどんな成績だった、なんていう記録や記憶は、まぁまぁ朧気になってしまう。
なので、気に入った曲がある程度クリアできるようになれば自分はもう満足かなぁ…なんて思っていた所だった。
そこに、自分の腕前と記録を残すことができる「スキルポイント」そして「達成率」が導入された。
まず、客観的に貴方の今回の成績はこれくらいの%といえるよ、と判定がもらえるのだ。これがとにかくデカい。
「とりあえずクリアできりゃいっか」とか「フルコンか、クリアか」というような極端な感覚がそぎ落とされ、
「少しでも、上手くやる」という、『数字』に対する欲望がわいてくるのだ。
ゼロか、イチか。ONか、OFFか。今までの音ゲーの成績は、極端にいえばそんなイメージだった。
そこに対して、このシリーズからは75%から80%にしたい…というような「スモールゴール」が簡単に設定できるようになったのだ。
もちろん今までもC・B・A・S・SSのランク付けに対して目標を持つことはあったけれども、シリーズによってランクのつけ方は割と曖昧だったせいで、目安にするのはなんとなく避けていた。
なので細かい数字単位でみることができる「達成率」という数字は、新鮮で強烈な印象を自分に与えるものとなったのだ。
そして、それと同時に体感することができるもの、それが「上達の実感」だ。
前はこれくらいの成績だった、という指標があり、
また繰り返し同じ曲・同じ譜面をやった時にその成績を超える。
たったそれだけの事が、とてつもなくうれしい。
わいてくる上達の実感に至る欲望。そして深い欲や望みを叶えた時の、脳内麻薬のような達成感。
これは、今までのギタドラでは全く味わったことがない新たな感覚だった。
シリーズ稼働期間中、今までになく夢中になってギタドラに時間を費やした。休みの日はいつでもゲーセンだった。
知らない曲にもドンドン挑戦するようになり、だがしかし玉砕し、それでも100円を入れることを止められなかった。
もう水曜日のフリープレイなんてなくても、自分には関係ない。100円投入の儀式、それは別の自分に命を吹き込むルーティンのようなものになっていった。
夢中になる事、数か月。
このシリーズも終盤となった頃、自分のギターのスキルポイントは、
なんとあの「シュン君」と「カズ君」に並んでいた。
この事実はまさに、沼にどっぷり頭まで浸かるほどの「上達の実感」だった。今回のシリーズはまさに、自分にとってのpower up kitとなりえたのだ。
せめて友達と肩を並べるくらいまで上手くなりたい…という、起源の願いはここで成就された。
しかし、そこから自分は、さらに深い沼へと突き進む事となる。
息もできない沼の中で、息をするのも忘れるように、深く。深く。
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● おまけ
2003年2月頃のもやし親父のステータス
なんと、この時点ではまだオルタ曲もフルダウンごり押しでした。
知識ゼロから家庭版で練習していた代償が少しずつ顔を出していきます…。
というわけで、またまた11900文字にも及ぶ自分語りでした。
多分、このタイミングでスキルという概念が誕生してなかったら、自分はこんなにGITADORAを続けていなかったかもしれない。そう思うとなんだか不思議な出会いだったなぁと思います。
続きは、また気が向いたら。