最近話題となった「音ゲーマー」のニュースについての考察
2023年5月の中旬、音楽ゲームを楽しむ界隈(いわゆる「音ゲーマー」)にとっては、あまり耳によくないニュースが飛び交う日々が続きました。
それは某メーカー同士の特許争いだったり、アミュージアム茶屋町店という有名ゲーセンの閉店だったり、犯罪者の逮捕だったり、本当に色々です。
さらに、音ゲーマー界隈にとって印象的だったのは以下の2点のニュースではないでしょうか。
この2案件、悉くが炎上という末路を歩んでおり、当人たちのツイッターアカウントの消去をもってある程度鎮火されています。
しかし大変残念な事ですが、この手の炎上騒動は、長い目で見れば定期的に発生するイベントのようなものです。
もはや「今後も発生していくのだろう」という心構えありきでいた方が、
今後も音ゲーを嗜む(たしなむ)人たちにとって、むやみに心を痛めることのない防衛の礎(いしずえ)になるものと、私は確信しています。
そこで、この1週間で発生した案件についてはしっかりと出来事として記憶し、そのうえでまた将来悩ましい話が聞こえてきた時に自分が何を考えるべきかという事を、今一度ここで思考する時間を作ってみるのは如何でしょうか。
今回のnoteでは、そういった考察をしていきたいと考えています。是非、お付き合いください。
○ 今回の炎上案件に含まれる「共通の要素」について
改めて、もう一度今回の案件についてを振り返ってみます。
先程のまとめアカウントとはまた別の、某有名アカウントを引っ張ってきました。リプライ欄の空気が多少違うので、感受性が強すぎない人であれば、そこを見比べてみるのも面白いかもしれません。
さて、これらの炎上案件についてですが、いわゆる非音ゲーマー(存在を知っている程度や、やった事がない人)の方々が、
「音ゲーマー」という界隈に対して悪いイメージを持つ切っ掛けとなったニュースである事は概ね間違いありません。
逮捕案件についてはともかくとしても、炎上案件2件については考え方の偏りが著しかったせいで「異常性」が際立つものとして紹介されています。
これ、関係のない音ゲーマーから見たらめちゃくちゃイラっとしますよね。まるで音ゲーマーというものが異常者の集まりと考えてしまう人も出てくるかもしれません。
実際、リプライ欄にもそういった事を書き込んでいる人が多数見え隠れします。
でもまずは、イラッとした人は6秒間くらい深呼吸しましょう。…。……。………。ほんの少しでも、気持ちは落ち着きましたか?
腹が立つ内容に対して冷静に分析を進めるには、まずはアンガーコントロール(怒りの抑制)が重要です。
さて、今回の炎上案件、「異常性」が際立っている事については
一般的なバランス感覚を持っている人なら、音ゲーマーであってもなくても理解は出来ていると思います。
これらに対して、いくつかの角度から一つずつ異常性に対しての「要素」を紐解いていきたいと思います。
まず一つ目、双方ともに共通して言えることは【不文律の強要】です。
簡単にいうと、文章や掲示物としてルールが提示されたり、分かりやすく共有化されているものでもないのに、
何かと理由をつけて自分たちの暗黙のルールを押し付けてくることを言います。
誤ったクレジットサービスの継続にせよ、上級者へ順番を譲れという事にせよ、それは第三者からすれば(それは音ゲーマーであってもなくても)完全に知った事ではありません。
にも関わらず、今回無事に炎上を果たした方々は、悉く「当たり前だろ」という擁護の態度をもってガソリンをぶちまけているのです。
ここでポイントとなるのは、炎上している方々は自分が撒いている物が「水」だと信じているところです。
理解できない方も当然いるかもしれませんが、視野が狭いせいで、物事をバランスよく考える力が備わっていない場合、
こりゃ狙ってガソリン撒いてるだけだろと見える発言や行動でも、本人たちにとっては本気で消火活動をやってるつもりであるという話は本当にあります。
そういった視野が狭く、物事をバランスよく考える力が備わっていない人というのは、共感・共有してもらえる発言や行動を行う事が出来たという成功経験に乏しく、基本的に明文化を避ける傾向にあります。
「なんか知らないけど、自分が正しいと思う事を喋ったら悪口を言われた」という事を理由にしているわけですね。
自分の考え方や発言が、大多数の人にとって不快感を伴うものだったとした場合、ここで大体の方は「自分に非があったかもしれない」と考え、その原因や理由と向き合って情報を収集し、その中でバランス感覚を磨いていくわけです。
しかし、それが極端に苦手な方というのも、いる。いるんですよ。
苦手な方は、「なぜだ?自分の考え方は正しいはずなのに、なぜ他の人は理解できないんだ?」と、自分の考え方を疑うことができず、外部にのみ原因があると考えてしまうのです。
そして、「書いたり話したりすると怒られたりする、無視されたりする」⇒「意味がわからない。もうめんどくさい」⇒「なら、もう書いたり喋ったりしなければいい」
こういったパターンの思考に陥る人も、割と少なくはないのです。
「失敗は成功のもと」とよく言われますが、これは人により得意苦手が分かれてしまう難しさがあるよね、という話です。
結果、明文化できない人たちの中で不文律として形成された「何か」が表面化して炎上する時に、ガソリンをガソリンとして認識できずにぶちまけてしまうと言った事がついうっかり起きてしまう。
失敗経験をしてこなかった、あるいは失敗経験から省みる事が苦手だった人が種火を業火に成長させてしまっているわけです。
とても、かわいそうですね。でも、第三者が助けてあげることは残念ながらほとんどできないのが現実です。
なぜなら、燃えて、焼かれて、痛い思いをしても、その原因や理由を知るためには、向き合おうとする意思が自分の中に備わなければ結局不可能だからです。
せめて痛みを知ったからには、外的原因に逃げずに内的原因を探ることができるようになってもらいたいと願わずにはいられません。
とある漫画のセリフなんですが、「痛くなければ覚えませぬ」という考え方は、私にとって金言だと感じています。
○ 「凄い=偉い」と混同してしまうバグ
次は「太鼓の達人」の案件について深堀していきましょう。
こちらで問題になったのは、「俺は上手いんだから下手な人はどけ」というお話です。
これ、普通の人ならたった一行の文を見ても、あり得ない話とすぐ分かるはずです。なぜ、ここまでの火柱がたつ案件になったのでしょうか。
炎上の中心にいた人物達の主張は、
「たくさんの練習を重ね、上級者になるために自分は頑張ってきた。その功績は素晴らしく、誰もが認めてくれているところだ。
腕前をさらに磨き上げていき、さらに挑戦を重ねるために、そこで下級者が邪魔をしてはいけない」
要約するとざっくりこんな内容だと思います。
こちらの発言を分解していくと、
・上級者になるために自分は頑張った ⇒ わかる
・功績は素晴らしいものだ ⇒ わかる人にはまぁわかる
・さらに挑戦を重ねたい ⇒ 頑張ればいいと思う
・だから下級者は邪魔をするな ⇒ なぜそうなる????
こうなります。
この現象は、実は人間であれば誰でも陥る可能性が高い、脳の設計上のバグともいえるものです。
例えばyoutuberでも、再生数やチャンネル登録者数が大台に乗るといった『目に見える成果』を手にした配信者が、
まるで「発言権」を得たかのような立ち振る舞いをするようになり、なんやかんや最終的には炎上したりするというケースも枚挙に暇がありません。
でも、同じような成果を得た人でも、炎上せずに成果を上げ続けられる人がいる。あるいは、一度炎上してしまったとしてもその後に立て直して成果を伸ばせる人もいる。炎上して燃え尽きる人との違いは何処にあるのか?
それは、バランス感覚です。
先程も出てきましたね、バランス感覚。
しかしこれは本当に難しいもので、教科書や教育を受ければ万人が簡単に得られるものではありません。
人は受け取る情報に「偏り」があると、バランス感覚はその偏りに合わせたものに調整されてしまいがちなので、バランス感覚については十人十色、百人百色、間違いなく個人差が発生します。
この考え方が一片方向に偏ってしまっている、つまりバランス感覚が崩れてしまっている事を、心理学などでは「バイアスがかかっている」と表現します。
さて、ここで先程の発言分解をもう少しだけ振り返ってみます。
・上級者になるために自分は頑張った
ゲームに対して上達が楽しみであると考えるタイプの人は、こういった人に対して強い共感を抱くでしょう。
確かにこの人は毎日○クレお金を入れて、すごい密度で練習をしている。もし、そういった情報があったとすればさらに共感は増し、その人を応援したくなることは間違いありません。
これについてはスポーツなどに当てはめても概ね同じ感覚になると思います。あまりピンとこない人は自分が好きなスポーツ選手などを思い描いてみて下さい。
成果を上げている人は少なからず努力し、自己の時間を犠牲にし、成果を上げているのですから、素晴らしい、よく頑張った、そう讃えたくなる気持ちを持つのは人として当然です。
・功績は素晴らしいものだ
今回の太鼓の達人でいえば、最高段位ともいえる「達人」へ挑戦できるレベルになったということのようです。
当然、難しい条件をクリアすることが求められるのですから、そこに到達できる人は一握りとなります。
分かる人からすれば、挑戦できるレベルに至ったのは素晴らしい事であるという認識を持つ事でしょう。
スポーツでいえば、「横綱」「三冠王」「金メダル」など、
他の分野でも「○○賞受賞」という類の功績があるでしょう。
その分野のトップに上り詰めるというのは、いわば歴史に残る偉業ともなるわけですから
拍手喝采の音が轟音来雷となっても納得がいくものとなります。
・さらに挑戦を重ねたい
素晴らしい向上心です。上り詰めて、得るものを得て、そこで終わりではないという挑戦を謳っています。
留まらず、腐らず、より高みを目指そうとする誇り高きプライドを目の前にして、感受性の高い人であればまるで同じ景色をみるかのような気持ちになり、昂ぶりを覚えることでしょう。
いかがですか。
今回の出来事が、もしここで「止まっていた」なら、実は何も問題はありませんでした。
むしろ、ここまでの時点なら、共感して応援したいと思う人もかなりの人数になるのでは?と思います。
ましてや、同じゲームをやっているとか、同じ競技をやっているとか、
そういった境遇にいる人ならば、その共感・応援といった感情は数倍に膨れ上がります。
しかし、現実には
『だから下級者は邪魔をするな』
これに繋がってしまったのです。
ここで重要なのが、「最後の考えに至るまでに、どの程度のバイアスが掛かってしまっていたのか」という問題です。
最後の『下級者は邪魔』という考え方に至るまでの間には、いろんな情報が混じっていました。
頑張ってきた、努力は身を結んできている、自分はもっと頑張りたい…
何回も言いますが、ここまでの経緯に対しては反論や修正の余地は特にありません。
しかし、人間とは恐ろしいもので、ここに至るまでの努力と成功体験によって、あたかも自分の行為は「全て正当である」と勘違いしてしまうことがあるのです。
そして、今後もこの正当な行為を行う事は当然であり、それに関係する主張も全て正当であり、だからこそ正当な行為は邪魔されてはいけないと考えてしまうのです。
先人は、このような有様を「驕り(おごり)」と名付けました。
人間は、成功であれ失敗であれ、経験によって得られる情報を上手く扱うことができないと考え方が偏ってしまう、つまり「バイアスがかかった」状態に陥ります。
先程は「失敗経験」に対しての話だったのに、今度は「成功体験」に対しての話になってしまいました。
結局、良い情報も悪い情報も、どう処理するかという事のほうが問題になってしまうのです。人間は因果な生き物です。
さて、今回の炎上については他にも「賛同者」が多かったことにより異常性が浮彫になりました。
ここまで偏った考え方に対して、同じような意見を持つ人たちが多かったのは何故でしょうか?
先程の人は、確かに努力し、確かに成果を得て、確かに成長をしようとしていたのでしょう。
なので、同じような成果を求め、同じような成長を望む後進側の人間にとっては『先駆者』のような、『先導者』のような見え方をするかもしれません。
「共感」という感情がここまで進んでしまった場合、そこから先はその人の言葉は「全て正しい」と感じてしまいます。
例え、少し自分の中で違和感を感じたとしても、その違和感の正体を整理しきれないと「まぁ、この人がいうなら間違いないんだろう」と、自分のバランス感覚を修正してしまいます。
そう、成功者の言動は、同じ道を目指す人の心理に大きな影響を及ぼします。
横綱であったり、金メダリストであったり、
このあたりではよく「成功者は『品格』を持て」という話がでてきます。
この品格問題については、成功者に対してのやっかみだと反発する人が多かったりするのが非常に悩ましいのですが、
そもそもとして成功者の考え方や振舞い方は、たとえ横暴であったとしても伝染しやすい事を示唆している、実は意味のある話だったりするのです。
なので、頭ごなしに『品格』の話ばかりをせずに、しっかりと納得のいく丁寧な説明をその都度しなければならないと思います。
…難しい話ですよね、これ。
こういう話になっちゃうと「じゃあ誰を信じればいいんだよ」っていう話になります。
これについては、私は持論として「人を信じるのは90%まで」というルールを作って対応しています。
人は、自分の好きな人を100%信じたくなるものですが、そこに10%の冷静さを持ちましょうよ、という考え方です。
好きな人だからこそ、信じすぎない。10%の余白で、相手と自分のバランス感覚を比べられるようにするべき、という考え方です。
これも本当に難しい話なのですが、人間のバランス感覚は、何歳になっても「経験」によって修正されてしまうものです。
例え以前は全面的に支持できていた人であっても、何かの拍子に支持していた人が変貌することは十分にあり得る話なのです。
もちろんその変貌する可能性は、自分にもあります。先ほどの10%の余白は、自分という人間に対しても適用しています。
私自身、自分の事を結構人の意見に流されやすいタイプの人間だと思っているので、こういったバランス感覚、ひいては「自分が何を大切にしたいのか」という信念めいた部分、
自分の根幹となる部分は常に見つめなければならないと、30歳を過ぎたあたりからは特に意識をするようになりました。
これ以上は話が脱線してしまいそうなので、自分語りはこんなところで。
とりあえず、ここまでが二つ目の要素、【「凄い=偉い」と勘違いする】理由についてのお話でした。
○ クレジットサービス問題にみる損得勘定への感情について
そして、もう1件の炎上案件について。
こちらは「店側が設定を戻し忘れていたのが悪い」という主張と、
「わざわざ戻し忘れを報告する事はない」という主張の2本立てになっていました。
まず、「店側の戻し忘れ」についてですが、
賛成も反対もいろいろな意見がある事を尊重しつつ、
私としては「店側」に責任があると考えます。
お店側として、クレジットサービスの戻し忘れと放置は単純に利益率に直結する深刻な問題です。
ましてや、期間限定としていたはずの施策を戻し忘れるとなると、厳しい話ですがどういった管理がされているのか、という話になってきます。
月末の売上の締めなどで、異常値として発見する事が出来なかったのか?
他のサービスに問題は派生していないか?
そして店員の教育状況とスキル管理、OJTやチェックはしっかりと行われていたのか?
等々、数珠つなぎにクエスチョンは発生してしまいます。
仕事柄、本当にこんな話はしたくないのですが、
例えば上層部が存在する店舗だとすれば、バレるとすごい問題になりそうな話が目白押しになりかねない糸口になるのです。
店舗単体で責任を負うことができるならまだいいですが、もし私が雇われ店長の身分だとしたらかなりヒヤリとする話です。
そして、もう一つの主張、「わざわざ戻し忘れを報告する事はない」について。
これは100%ユーザー側が悪い話となります。
なぜなら、これは「本来なら受けることができない利益と分かっていて、黙って受け取る」という行為だからです。
まぁ、これがどう悪いことなのかに関しては炎上まとめのリプライでも沢山の人が指摘しているのですが、詳しくは「おつり 多くもらった」などでググればだいたいわかると思います。
『既に相手方が錯誤に陥っていることを知りながら真実を告知しないこと』という『不作為』が明確であれば犯罪というわけなのですが、
今回はまさに火の玉ド直球ストレート、クレジットサービスが終了している期間だと分かっていて誰も報告しなかったというのが問題なのです。
そういった表示が目に入らず、また事実を知らずに「なんか知らんが安いな、ラッキー」で済んでしまえば犯罪に問われることはないでしょうが、
今回の炎上組は、悉くが分かっていてやっていたと自ら曝け出しているので、開いた口が塞がらずにアゴの間接が壊れそうになりました。
もはや単純にモラルの問題だと考えることができていないのも、見ていて非常に痛々しいです。
指摘により普通の料金に戻された事に対して、「ちぇっ、バレちゃった。まぁしょうがないか」と心の中で思う程度に留めて、口に出さないようにするならまだ10万歩譲って可愛げがある程度で済むのですが、なぜあそこまで言葉を荒げる必要があったのか。
これも先ほどまで散々書いてきたことですが、結局はバランス感覚の問題です。
犯罪の可能性がある事、そして何よりも「その先に繋がる影響」を考えることができない事が、今回のバランス感覚の崩壊を招いていると考えられます。
さらに、同じ場所をホーム(主に自分が通うゲーセンにする事)にしている人たちが、こぞって仲間意識を持って「喋ると損するから黙っていよう」と結託していたのもバランス感覚を狂わせた一因です。
言ってることは分かるのですが、店側のミスを把握しているのにこぞって口裏合わせをする行為は、単純に陰湿です。
個人の損得勘定で判断を止めるのは、ロクなことになりません。
例え相手が悪かったとしても、自分が気づいて指摘をしてあげることができる身分ならば、そこは正直に申し出てあげるのが正しい人間の営みというものです。
ミスをしない人間なんて、この世にはいないんですから。
逆に考えてみましょう。
自分がクレジット設定を担当した店員の立場だったと想像して、この案件が明るみになったとき、設定したのはオメーなんだからオメーが損失を担保しろ、と店側から迫られた挙句、分かってたけど黙っていた人が沢山いた事が発覚したら、どういう感情を持ちますか。
私だったら、お客様不信になりますね。クレジットサービス撤廃を喜び勇んで店側へ進言します。
クレジットサービスは、店側が間違いなく痛みを伴う「奉仕の精神」により行われます。
ではなぜそんなサービスを行うのかといえば、競合店に対抗してだったり、慣例だったり、単純に上層部の指示だったり、まぁ理由は色々です。
客側には概ねメリットがあるわけですから、そのメリットを享受するために
客側も協力できることは協力する、ではダメなんですかね?
先程もいいましたが、最終的にはこれはモラルの問題です。
皮肉なことに、このニュースと時ほぼ同じくして、アミュージアム茶屋町店の閉店の報が飛び交いました。
こちらの閉店の理由については具体的に報じられてはいませんが、昨今のアミューズメント界隈の体力を考えれば、主となる理由は概ね想像がつく部分があります。
あそこまで精力的な活動をしてきたゲーセンですら、閉店してしまう昨今。さらに少し振り返れば、「電脳九龍城」と呼ばれたあのゲーセンも廃業してから既に数年が経過しています。
ゲーセンもお客様も、そしてゲームを提供するメーカーも、垣根を超えて協力しなければいけないフェーズに入っているのではないでしょうか。
三つ目の要素、【モラル<損得勘定】というお話でした。
○ 人は、どうしてもステレオタイプに偏りがちになる
最後に、今回のような案件が「音ゲーマー」と括られて炎上ネタとして扱われた事についてです。
まず、個人的な感想からですが、
「来るときが来たな」というのが正直なところです。
今までは、いわゆる界隈の中だけで扱われるネタとして消化されてきたという感覚が私の中にはありました。
そんなムラ社会的な炎上が、やはり「外側」から見てもおかしいよね、異常だよねという事に「気付かれて」しまい、いよいよもって今回は盛大な業火となってしまった。私は、そういう風に感じました。
もし、今のこの状況で「†俺は辞退する†」が出てきたら、恐らくネットに特大のタトゥーが残ること請け合いです。
もしかしたら、今回の案件で音ゲーマーに目を付けた外部の方々が「†例の案件†」に行きつき、墓を暴くかの如く様々なネタを持ち上げてくる可能性も否定できません。
これについては、外部のバランス感覚との「答え合わせ」なのだと、淡々と処理する他ありません。
もちろん、外部(非音ゲーマー)の中にもバランス感覚が若干おかしい人がいて、必要以上に反応する人もいたりするので、そういった相手と糞を練り込んだ泥仕合に発展する可能性が高まっている部分もあり心苦しくもなりますが、もはやこれも仕方がありません。
問題は、今後、音ゲーが好きで、楽しくて遊んでいるような人たちが、こういったニュースが発生した時にどういった気持ちでいるかという事が大切だと感じます。
それについて、まず一つ目は【煽られる気がしても無視しろ】です。
これは、数十年前から何も変わらない、インターネットの格言のようなものです。
少なくとも、炎上している人が叩かれ、煽られ、「音ゲーマー」と言われているだけなのですから、自分が叩かれ、煽られたなどと考えなくてもいい、相手のいう「音ゲーマー」は貴方ではない、という意味です。
確かに表現とかはちょっとイラッとするかもしれませんが、まぁ自分の事じゃないんだから一旦冷静になろうぜ?というニュアンスで捉えて下さい。
よく炎上ネタやニュースは「ある一定のカテゴリーにいる人たちが起こした異常行動」と扱われることが多いですが、俗にいう、これは「ステレオタイプ」という扱い方によるものです。
悲しいかな人間という生き物は、しばしば「ステレオタイプ」の表現をしたがる生き物で、もはやこれは報じる側のモラルに任せるしかない事なのです。
いや、自分はそんな差別はしない!ステレオタイプなんて嫌いだ!!と思った方に質問です。
貴方は血液型による性格診断を、今までの人生において絶対に否定し続け、主張を貫いてきましたか?
実はあれも、ステレオタイプの典型的な代表例とされています。ちなみに私個人は、血液性格診断はおまじないみたいなものと思って楽しんでいる節はあります。
話を戻しますが、そもそも「ステレオタイプ=悪」ではないのです。
扱い方や表現の仕方によって問題となるだけであり、カテコライズそのものは人間の営みの上では避けては通れない事象です。
ですから、カテゴリーに対しての批判とされるような出来事、記事に対しては、まず一旦自分のことではないと切り離して考えるのがベストです。(当事者はもちろん除きます)
そして二つ目は、それでも自分の意見を表面化したい、なにか言いたいとなった時に【主語が大きくなり過ぎないように気を付ける】という事です。
もっとシンプルに言うならば、売り言葉に対して買い言葉で
「音ゲーマーは~」「音ゲーマーが~」という表現を使って強い反論をしないようにする、といったところでしょうか。
もちろん冗談めいた発言をするときは、そういった誇大表現も文章のスパイスとしては有効だと思いますが、炎上案件のようなピリピリとした議論の際には、少し慎重になって扱わなければならない。そういうニュアンスで受け取って頂ければと思います。
相手がステレオタイプで攻めてきたからといって、自分もステレオタイプに対応しない事が大切、という事です。
自分が代表者として物申す、などと誇大的な考え方はしないほうがいいですよ、と言い換えればわかりやすいでしょうか。
そもそも、カテゴライズに対して、代表者なんていうものは基本いませんからね。少なくとも自分は、それぞれの血液型の代表者なんて聞いた事ありませんし。
最後の三つ目は、【原因をしっかり見極めようとする】という事です。
ここでは敢えて、『ようとする』という表現にしています。断定せず、考えようとする事が大事だ、というニュアンスです。
むしろ、原因を断定させようとする思考は危険を伴います。
当事者でもなく、その場所にいったこともなく、文面以上の情報を知らない場合は、主観ばかりの情報に踊らされやすく、そもそも原因を断定する事が不可能だからです。
ツイッターでの文面も、あくまで書いた人の主観による文章であり、事実かどうかの担保はだれもしてくれません。
実際にそのゲーセンに行き、関係者へインタビューを行い、事実確認を行う事ができて初めて当事者目線からの原因特定ができるようになります。
究極的には、炎上ネタをこうして取り上げてnoteを書いている自分も、元ネタに対しての現物取材は一切行なえていないため、全て嘘でしたという大どんでん返しの可能性すら考慮した上でこういった文章を書かなきゃいけない、ということも念頭に入れなければいけないという事になるわけです。
…個人的には、それでもいいから全部嘘であってほしいなって思いますけどね。
話を戻しますが、原因を断定できずとも「原因をしっかり見極めようとする」ということはとても重要です。
しっかりと物事を自分で考え、理由を探り、自分だったらこう考える、といった思考の試行はバランス感覚を磨くのにとても重要な訓練となります。
そうすることによって、自分や周りの人が、すこしバランス感覚を欠いてしまいそうになっているという事態に対しても、察知したり助けてあげたり、そういったことも出来るようになる。炎上元を助けることはできないでしょうが、自分の身の回りの人を助ける事には繋がるかもしれない。
炎上ネタを知った人がそういった未来志向に繋げて思考を巡らせることができるようになれば、きっと炎上の種火は減っていくと私は思います。
○ 最後に
あさき氏の『神曲』という曲では「我は思う! 世に一切の衆生が無くなるまで人は! 憎しみの海 泳いでいくのであろう!」という歌詞がありました。
人間は、思考が偏りやすい生き物です。それゆえに、私はこの世から炎上という出来事、ひいては憎しみの海がなくなる事はないと確信しています。
先週は様々なニュースによって、正体の分からない怒りの矛先に憤りを覚えているように見えた人も多く、なんとも居たたまれない感情を持ってしまいました。
そういった方々へ、仏堂に入り悟りを開けという話ではなく、もっとシンプルに「向き合い方」を考えて気持ちを楽にしてもらいたいなぁ、と思ったのがこの文章を作成した切っ掛けとなります。
音ゲーマーなどという狭すぎる界隈だけではなく、ここに記載した内容は解釈次第では人の営み全てに当てはめることが可能です。
思想、思考が揺らぐような出来事に対しても、しっかりと自分のバランス感覚を意識し、必要以上に揺らぐことなく冷静な目線を持つことができるようになれば、成熟した議論の場を作成することも可能となるでしょう。
ただ、あくまで、ここに載せている文章は「考察」です。もやし親父という人の、一連の情報に対しての考え方の提示に過ぎません。
もし、ここに記載した文章に強く好感や共感をしていただく事が出来たとしても、それは「90%」くらいのレベルに留めてもらえる事を強く望みます。
そして、残り10%以上の余白をもって、自分の考え方や思考の偏りはどうだろうか、そういった思いを巡らせて自身を検証する力に使ってもらえれば本望です。