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【雑記】あの頃の初心、忘れるべからず

X(旧:twitter)で、にわかに話題になっていたような気がする「音ゲーの低難易度不要論」なるトンチキ話について、ちょっと思ったことを書き留めておきたいと思います。


○まずは私の主張から

言うまでもなく、私は「低難易度という存在は重要」と考える派です。というか、この考えを持っている方のほうが恐らく大多数だと思います。

そしてもちろん、「低難易度をプレイする人へネガティブな発言をする事は許せない」と考える派でもあります。

ただ不思議なもので、「低難易度へのネガティブな意見を持つ人」はごくわずかながらも層としては存在し続けているのも世の常でございます。
もちろん、ある程度の知識や腕前を持っている人が「低難易度をクリアしないと高難易度に挑戦できない」というシステムに対して不満や不服を持つ気持ちも、当然分からなくはないです。
まぁ、分かるけど、作り手側にも色々あるんだよ、きっと。そこは冷静に「なんでやろなぁ」と理由を考察するくらいにして広い心を持って許してあげて欲しいものです。ダルイって気持ちもまぁ、分かるけどさ。

そういった「システムに組み込むのは嫌」という人を除いたとしても、やはり根本的に「低難易度は不要」と頑なに意見を持ち続ける人は一定数存在します。
さらには「低難易度をプレイする事は甘え」「低難易度をプレイするのは金の無駄」「低難易度は観ててもつまらない」などと、にわかには信じられないようなネガティブな暴言を、さも当たり前のように平気で口にしてしまう人も残念ながら一定数存在します。

○「知識の呪い」という概念について

こういった方々が偏った思考に陥ってしまっている原因の一つに、「知識の呪い」というものが挙げられると自分は思います。

「知識の呪い」とは、wikipediaから引用するとざっくり下記のような内容になります。

知識の呪い(ちしきののろい、: Curse of knowledge)は、他人とコミュニケーションを取っている個人が、自分の知っていることは、他の人も知っていると思い込んでしまい、そのことについてあまり知らない人の立場を理解することができなくなってしまう認知バイアスである。一部の著者によって専門知識の呪いとも呼ばれている。

wikipedia「知識の呪い」より引用

これは即ち、知識や経験を重ねた人が習熟をする前の状態の人の気持ちを分かってあげられなくなる状態の事を言います。
音ゲーに当てはめて言えば、「最高難易度をフルコンできる腕前の人が、最低難易度をクリアできない人の気持ちや原因を理解してあげられない」という状態の事をいいます。かなり乱暴な例えですけどね。

この単語は、自分もつい先日知ったばかりでした。ただ、「こういうのってあるよなぁ」という漠然とした感覚でソレがある事は分かっていたので、ちゃんと単語として命名されている事を知った時はなんかスッキリしました。

結局これって、自分が素人だった時の事を忘れているか、思い出せないような状態の事を言うんですよね。でも、この「知識の呪い」に掛かってしまうことは恥ずべき事なのかという点においては、「人間ならば必ず一回は掛かる呪い」ではないかと私は思っています。

○「自分基準で考える」という、人間の呪い

恥ずかしながら、この「知識の呪い」については自分も鮮明に覚えがあるんですよ。

自分は家庭版1stで「Cutie Pie」という最低難易度の曲を全くクリアできなかった過去があります。他の友人たちはさも当たり前のようにクリアしていたので、「あぁ、自分は他の人に比べて、本当にこのゲームが下手なんだな」と自認していたことを記憶しています。

そこから月日は経ち、ギタドラに「スキル」という概念が生まれたのち、自分はこう考えました。

「自分のスキルなんて、他の人はみんな超えるのが当たり前だ」

実際にまだギタドラを続けていた友人たちは自分よりもスキルが上だった事も重なり、この考え方はさらに強固になっていきました。

そこから更に月日が経ち、GUITARFREAKS11thの頃でしょうか。長らくギタドラから離れていた友人が久しぶりにアーケードでプレイするとき、自分にこう聞いてきました。

「あさきの曲で、自分でも出来そうなのない?」と。

いや、そんな、自分でも出来そうなものって…。貴方、自分よりも上手かったじゃない。そんな皮肉みたいな聞き方ある?と内心ではイラっとしながら、自分はスキル稼ぎにも使っていた「月光蝶 EXT:G」を勧めた事を記憶しています。自分は一応フルコン未遂までは出来てるし、これなら問題なく楽しめるだろう、と。

そして、イントロを越えることなく、友人はゲームオーバーになりました。

「自分でも出来そうなのって言ったじゃん!お前の方が今は上手いんだから、そこは汲み取ってくれよ!」と友人にはメチャクチャブチ切れられました。うん、多分同じ立場だったらワイでもブチ切れると思います。あの時は本当にゴメン、友人S。

その時の友人はギタドラに対して年単位のブランクがあり、一方自分は暇さえあればゲーセンに行きギタドラをプレイしていました。そのプレイ歴の違いはちゃんと自分も分かっていたはずなのに、「自分が出来るものは他の人にも出来るはずだ」という考えから逃れることはできなかったのです。

この出来事こそが、自分が「知識の呪い」の片鱗を初めて意識した瞬間でした。

○「知識の呪い」は別に音ゲーに限った事ではない

ちなみに自分は、仕事では導入教育を担当しておりまして、現在までに延べン百人以上の新規教育を経験しています。

で、実はこの仕事でも「自分が覚えられるような知識は誰でも覚えられる」という先入観を持ってしまっていたせいで、最初の1年間くらいは大分教育に苦戦をした記憶があります。

そこで行き着くわけです。人は誰でも最初は初心者である、と。そもそも自分だって、今のこの教育を出来るようになるまでにンか月以上掛かっとったやろがい、と自分が何も知らなかった頃を思い出し、ようやく現在の教育で不足していたモノへの気付きを得たことがあります。

それと同時に「あぁ、あの時ギタドラで友人にブチ切れられた原因は、これだったのだ」と気づくことができたわけです。

なので、こういった「自身がまっさらだった時の事を忘れてしまう」という呪いについては、別に音ゲーに限ったことではなく、人間の営みほぼ全てに当てはめることが出来る内容であると自分は確信しています。

あとこれはあくまで自分に当てはめての分析なのですが、私はあまり昔から自己肯定感が高くないタイプの人間だったので、余計に「自分ごときが出来るものは誰でも出来るに違いない」と自分を強く卑下していた事もまた、悪い方向に働いていたのだろうと思っています。あくまで自分は、ですけどね。

○初心は、忘れてしまうもの

程度の大小はあれども、そういった「知識の呪い」は誰にでも起こりうるものと思います。

だからこそ、我々日本人が必ず一回は聞いたことがある「初心忘れるべからず」という格言は本当に重要な事なのだなぁ、と納得する事しばしばでございます。

ちなみにどうでもいい事なんですが、「知識の呪い」という言葉が生まれたのは1980年代後半なのだそうです。一方、この「初心忘れるべからず」という格言は今から600年以上も前の室町時代、世阿弥の名言だったそうです。いやー、世阿弥だったのかこの言葉、全然知らんかった(さっき調べた)。

研究によって確立された近代的な概念を、600年以上前から「そういうもの」として存在を認知していた世阿弥ってホンマすごいですね。

あの時の自分はこうだったなぁ、という過去を思い出すのって、いわば「自分が未熟だった頃」を思い出すことでもあるので、きっとそれが苦痛な人ほど「初心忘れるべからず」は難易度が高いのだと思います。

ただ、その苦痛を乗り越えて、まっさらだった自分の姿を見直すことが出来れば、きっと初心者の方々にも丁寧に寄り添える心を持つことができるのではないかと私は思います。

○最近のギタドラ

最後に、最近のギタドラの「いいねぇ」ポイントなんですけど、

新規参入の方々の「この曲がはじめての経験になるかもしれない」とか「この曲がルーティンに組み込まれるかもしれない」となりうる、キー曲の譜面を丁寧に作りこんでいる印象が強くなっています。好き。そういうの、とってもいいと思います。

弐寺でも着々とビギナー譜面が追加されていたりしますし、やっぱり最初の「とっつきやすさ」と「クリアする楽しさ」はかけがえのない重要な要素なので、今後も是非作成側の方々には頑張っていただければと思います。


最終的には、みんなが優しくなって、みんなで楽しくゲームができれば、それが最高にいいっすよね。ということで、今回はこんなところで。

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