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私の編みもの はじめてものがたり その1

空前の編み物ブーム到来だとか⁈

1997年からニット作家を名乗り20年以上、私にももちろん編み物との出会いがあった。
そもそも自分はなぜ編み物を始め、40年以上続けてきたのか細かいところを振り返ってみようと思います。

編み物師範資格を持っていた母の道具をこっそり持ち出し編み始めたのは小学校3〜4年生頃だろうか。

以前の投稿にも書いたが私はちゃんと編み物を習ったことがない。
一度だけ母に教えてもらったが、ダメ出しの連続で母から習うのが辛くなってしまった。 
モチベーションを保つため最初に誰に習うかはとても重要だ。
母から教わるのは嫌だけど編み物に興味はある。
(今は何故もっと母から教わらなかったのか後悔しかないけど)
動画のない時代、基本の編み方はすべて本で覚えた。

母は趣味で年柄年中編み物をしていた。
自分や私達兄弟が着るセーター、ベスト、カーディガン、帽子やバッグ、昭和ならではのレース編みインテリアなど、かぎ針、棒針、機械編み、さまざまなテクニックで母はいつも何かしら編んでいた。今でいう「編み物中毒」だったのだろう、笑。
我が家では編み物は特別なものではなく日常生活の一部だった。
家にはあらゆるジャンルの編み物本があり、パラパラとめくって眺めているだけでごく自然に「自分もやってみたい」と思ったのが私の編み物創世期の幕開けだ。

特に参考になったのは母が毎月購読していた「主婦の友」とか「主婦と生活」のような婦人雑誌の付録だった。
本誌よりひとまわり小さな別冊になっていたり、パッと取り出して確認しやすいA4サイズのカードになっていたり、形状はさまざまだったが編み物上級者の母には必要がなく放置されていたものを持ち出した。
付録には針と糸の持ち方から基本の編み方が図解や写真で丁寧に解説されており、
何冊かの付録は作家活動を始めた後も長い間手元に置いて、ぼろぼろになるまで活用していた。
付録と言えども内容はとてもちゃんとしていて出版社や監修者の違いで基本説明でも違う切り口や角度から試すことができた。おかげで複数の先生から習っているみたいにより理解が進んだ気がする。

まずはかぎ針で鎖編みからスタートした。
もちろんかぎ針も糸もうまく持つことができない。
付録を見ながら左手に糸をかける練習を何度もして鎖編みを同じ大きさ、同じボリュームで編めるまでにかなりの時間を費やした。やがて同じ大きさできれいに鎖編みを編めるようになり、それだけでも小学生の自分にとってはすごい達成感だった。

鎖編みができるようになったら細編み、
次は長編みと付録に記された順にひとつずつ基本の編み方にトライしていく。
適当に細編みや長編みを繰り返し丸や四角いものを編むだけで充分満足だったのが、少し大きく編めるようになってくると編み地の端がまっすぐにならず、ガタガタになるのが気になり始める。
毎段同じ目数で編んでるはずなのに幅が変わる。数えてみると目の数が増えている時もあるし減っている時もある。
そもそも数え方もよくわからない。
長編みの立ち上がりの鎖ってなんで1目として数えるの?
どこから編み始めてどこで終わるの?
などなど今だに初心者さんを悩ませる謎の数々は付録に答えが載っていなくて
めちゃめちゃ翻弄された。
毎回同じところを間違える理由が知りたくて何度も繰り返すがまた間違える。

もっと大きくなってからのことだけど、ふと思いついて、編み地をゆっくりとほどきながら解けていくさまをガン見して作業の跡を振り返ってみたらこれがとても有効だった。
動画巻き戻しスロー再生のイメージ。
針を入れた位置、引き出した糸の長さ、編み目のボリュームの微妙な違いを1目1目観察すると編み目の構造がわかって失敗の理由が見えてくる。
なるほどそうか〜!
腑に落ちると改善点もわかる。
この経験のおかげで、講師になった今は一連のかぎ針編み失敗あるあるを手を動かしながら自分の言葉で言語化し説明できるようになった。

母が買い込んだいろんな種類の残り毛糸が家にわんさかあったのもよかった。
素材フェチの私は気の向くまま夏糸、冬糸、変わり糸にも次々と手を出した。
同じ針同じ編み方でも糸を変えて編むと大きさや手触り、質感が変わる。

なにこれ面白い。

気に入らなければほどいて何度もやり直しができる編み物は当時の私にとって最高にコスパのよい遊びであり実験だった。
友達が少なく部活動もせず、帰宅部だったし時間だけは充分にあった。
編み方記号図が読めるようになってくると今度は、パターン集の気になる模様をひとつずつ解読しながら読み始めた。

楽しい。

作品らしいものは特に編んでいなかったが徐々に編み物沼にハマっていくことになる。

つづく

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