緑ハイのゴブレット

毎日外の天気すら分からないまま使い慣れない配布PCでこちこち仕事をし、適当に拵えた雑飯(ざつめし)を食べ、深夜2時に眠るという自粛スイッチが入って以来の生活が相変わらず焼き増されているけど、私の心は2日前から俄然異常な熱量を湛えている。僕のヒーローアカデミアをNetflixでぶっ通し38話(約13.3時間)、ドライアイの両目で飲み干したからである。

昔から「特性」とか「能力」に憧れていた。誰にも代替されない、自分だけにしか使えない力。努力以前の、絶対的で運命的なきまりごと。その賛美が何をきっかけに芽吹いたか、想像には難くないというか、幼少期に腕を突っ込んでかき回せば幾らでも思い当たる。小2からポケモン厳選ガチ勢だったからかもしれないし、ハリーポッターの分厚い単行本で友情を学んだからかもしれない。グリフィンドールこそ王道を往き、スリザリンは陰キャの頂点として闇属性を極め、…え、あと2つ?あったっけ?というのが一般的な印象かもしれないけど、私にとっては聡明なレイブンクローも勤勉なハッフルパフも同じだけ王道で、魅力的に見えた。「見極められ」、「特性」を「分類」されるという、己の意志が介在し得ない”お墨付き”という受動の甘美。もちろん当時はこんなにはっきり意識してはいなかったけど、少なくとも「学区域」でまとめられた同級生らの背中を好んで眺めていたいとは思っていなかったから、中学受験を受けた。教室の廊下側後方、足もとに吹き込む風が爪先を凍らす席で教科書を繰りながら、「自分はもっと他にいるべき場所がある」と思って。結局どこまで行っても誰かが自分を見初めて夢の世界へ連れて行ってくれるなんてトンデモ展開は訪れないことを知ったのは就職後社会人を3年やってからでした。私ははかいこうせんもギガインパクトも決して打てない。反動でかいし。

組分け帽が耳元で囁く言葉、ポケモン図鑑に記録され与えられる通番、つまるところその憧れの本質は「君にはこんな能力があるんだから、こうやって生かすんだよ」というアウトラインを与えられたかったのかもしれない。自分が思い描いた自分との乖離を、その失望を自分のせいにしたくなかったのかもしれない。要はかなりの面倒くさがりだったのだ私は。自分の用途すら決めたくなかったんだもん。自分に一番ふさわしいものがいいから神様決めてよん!なんて、そもそも人間にそこまで大きな差なんてないんだから好きにしたらいいんだよな。

そんなこんなで、あ~~もっと早くこの作品に出会ってたらな!!!!!!!!!!!!!!とヒロアカを観ながら猛烈に思った。己の力を引き出す全ては努力。自分がどうありたいか、それだけを考えていればいい。ていうかまあ出会えたこの日が一番若いんだから今すぐ動けばいいだけなんだよなあ。

俺の推しは心操くん

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