夏になると書きたくなるやつ
自分のものではない骨と筋に手のひらを沿わせて、ひんやりとした弾力のない薄い肌、その奥にとくとくと流れる仄暗い血を、ただ黙って感じている。他人のからだに触れるというのはなんて贅沢なことだろう、と嘆息した。今ここに確かにあるのは自分のからだだけ、思考なんていうのはこじつけとトラウマに基づき「過去」と「将来」という虚像を作り出すだけの消費行為でしかない。8月の正午は水飴のように重くどっぷりと窓の外にあふれているけど、きんきんに冷やされた室内でブランケットに包まり窓から眺める夏は、蝉