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最近の読書で出会った素敵な言葉や学びの紹介
「エッセンシャル思考」
「教えてください、あなたは何をするのですか、その激しくかけがえのない一度きりの人生で」
人生は短いから「より少なく、しかしより良く」していくために、人間には決断が求められる。
決断とは断つものを決めると書くように、取捨選択が必須。
時間的資本は唯一皆が等しく持っている資本だからこそ、それを何に割くのかが非常に重要。
やらなくては→やると決める
どれも大事→大事なものはめったにない
全部やる→なんでもできるが、全部やらない
何かを捨てるには、いつだって度胸が必要。それでも捨てなきゃ変わらない。
何かを変えることのできる人間がいるとすれば、その人は、きっと…大事なものを捨てることができる人だ
「論語と算盤」
できるだけ多くの人に、できるだけ多くの幸福を与えるように行動するのが、我々の義務である。
立派な人は立派に生まれたのではない。立派であろうと努めて、諦めなかった。本当に自分がどうありたいか、これに尽きる。
人は十分に修養すれば、1日1日と、過ちを少なくし、善いことをするようになり、聖人に近づいていくのです。
過ちを少なくして、聖人が取るような行動を取りながら、日々を積み重ねていけば自ずと聖人に近づくことができる。
夢なき者は理想なし。理想なき者は信念なし。信念なき者は計画なし。計画なき者は実行なし。実行なき者は成果なし。成果なき者は幸福なし。ゆえに幸福を求むる者は夢なかるべからず。
ただ漠然と「幸せになりたい」と考えて幸せについて考えていても幸せになれるはずがない。
「君たちはどう生きるか」
そういう経験を前の時代から受けついで、その上で、また新しい経験を積んできたから、人類は、野獣同様の状態から今日の状態まで、進歩してくることができたのだ。
人はなぜ学ぶのか。その答えがこの言葉に詰まっている気がする。
生きた年数だけ、人は経験を重ねて学びを積み上げる。
しかし、それだとどうにも足らない。なぜならば時間が限られている。
すべてを自分で身をもって経験して学びにできたならそれに
学問や書籍は、すべて先に世に生まれてその時代を確実に生きて死んでいった人々からのプレゼントである。
そんな素晴らしいプレゼントがあるのに、それを学ばずしてゼロから生きようと足掻くなんてもったいない。
君自身が生きてみて、そこで感じるさまざまな思いをもとにして、はじめてそういう偉人たちの言葉の真実も理解することができる。
まず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくこと。
どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、よく考えてみること
本を読んだだけで満足はするな、ということ。読書で得た学びをどう経験に活かし、結果として自分のどんな言葉で学びを紡げるようになるかが大切。
学問なき経験は、経験なき学問に勝る
結局のところ、人間は実感が伴わなければ腹落ちできない。
「図書館の魔女」
図書館は人の知り得る世界の縮図だ。
おのれ自身の認識と余人から預かる知見が、ほかのどこにも増して火花を散らしてせめぎ合うのがここ図書館なんだ。
まだ読んでいる途中の本書。素敵な言葉に出会えた。