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#エッセイ
ホットミルクとかけがえのない嫌悪感
私はホットミルクが嫌いだ。
5年程前、まだ私が高校生だった頃の寒い冬の日。
寝坊して慌てて家を出て行こうとする私に、父が決まって玄関で差し出したのは、大嫌いなホットミルクだった。
ただでさえ猫舌なのに、表面に張り付いた膜が追い討ちをかける。
“何故熱くした?”
そんな思いを牛乳と一緒にグイッと飲み込む。
そして、明け方の痺れる空気で舌を冷やしながら、よく学校へ向かった。
そんなこんな
大きなミミの木の下で
やっと会いに行けた。
誰かにとっては早朝のジョギングコース。
子供にとっては毎日の通学路。
犬にとっては存分に駆け回れる散歩道。
そんな日常の背景のひとつに過ぎないけれど、なんとなく心が穏やかになる川沿いの道。
その道を見守るように立つ1本の木の側が、私の特別な場所になりました。
今から5年と半年前。
ペットショップの眩しすぎる光の下、手のひらに包まれて震えながらも、唯一じっとし
降り止まぬ雨の中、スクリーン越しにこう悟った
「表裏一体」この四字熟語が脳内で踊り出す、『天気の子』はそんな映画だった。
作中、駆け巡る感情に幾度となく振り回されながらも、心の奥底には間違いなく世の中の確信が芽生えていた。
晴れを望む人も居れば、雨に病まないでと請い願う人も居る。
自らの幸せは、気付かないところで他の誰かを痛めつけているかもしれない。
あの子の笑顔を支えているのが、地球の裏側の涙だったら?
「表裏一体」
幸せを選ぶ