愛と憎しみは紙一重
12月にしては暖かい日差しの中、私は窓のそばで日光に当たりながら読書をしていた。
そこへ後ろ足を引きずった黒い猫が庭の向こうからこっちに向かって一直線にやってきた。窓を開けてやると当たり前かのように室内に入り私の隣で毛づくろいを始めた。
「こうも毎日寒いとやんなっちゃうよぉ、ねぇ?」
猫は私に同調を求めた。
「確かに野良猫には厳しいだろうね、凍死率も少なくないし」
と、私は本の文字を見つめながら返事をした。
「怖いこと言うねぇ。ああ、こたつが恋しいったらありゃしない」
「野良なのにこたつを知ってるなんて珍しいね、どこの家の世話になったの?」
「いいや、元飼い猫だったんだよぉ。今はやめて野良猫ってわけさ」
「へぇ、、、」
飼い猫から野良猫になる猫には大抵飼い主が引っ越しのため捨てられた、虐待から逃げ出したなどあまり良くない理由が多い。なので私はここで口をつぐんだ。しかし、猫はそんなこともお構いなしに話し始めた。
前の飼い主が虐待する人で、猫が足を引きずっているのは飼い主が猫の足をゴルフバットで殴ったのが原因だった。
理由もなくただただイラつくと猫を蹴った。常に空腹で真っ当な食事も得られず毛はボソボソでガリガリだった。
だから猫は常に狩りをしていた。鳥やトカゲ、蛇を捕まえては庭先で食べていた。
しかし、飼い主がそれに気づくと猫を思いっきり殴った。
その時に決まっていう言葉が
「弱いものを虐めちゃダメでしょ!」だった。
猫は酷く混乱した。猫にとって鳥やトカゲは弱いものであるという認識は当然である。だからこそ捕食している。飼い主もそれを理解している。ではここでの猫と飼い主の関係性は?猫の方が弱いのでは?あれ?ではなぜ今猫は殴られているのか?と。
この話を聞いて心理学の1つである
ダブルバインドというものを思い出した。
ダブルバインドとは矛盾した発言と行動を相手に行い混乱させ上手く相手の心を手の内に収めるというものである。
例えばあなたは馬鹿なんだからと叱りながら優しく頭を撫でたり、相手に可否の選択肢を与えず、AとBどちらがいいか選択させたりすることである。よくあるダブルバインド的会話がA「そのようなことをしてはいけない」
B「ではなにをしたらいいのですか?」
A「そんなこともわからないのか!」
というものである。
この猫の飼い主はそれに近い行為を行なっていた。自分の行動を悪だと決めつけているのにも関わらず相手に責任を諭すようになすりつけるのである。
ここで私が不快に思うのは弱いものいじめを本当にして欲しくなかったのなら自分からまずやめるべきであったのにも関わらずあたかも自身を正義のように振る舞うことだ。
人間の行動の中で1番苦手かもしれない。とてつもない吐き気を覚える。悪の根本であり私を悪に染め上げたのは相手なのに相手はあたかも平然と私が初めから悪かったように扱う。
だからこそこのように文章化することによって少し浄化をしているのだと思う。
その猫は頭がおかしくなりここにいてはまずい、関わってはいけないと本能的に感じ家を脱したそうだ。
そして今は野良猫一筋で生きている。
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