ワンカップ大関の空き瓶に仏花を飾る

機能不全家族の中で育った。

まず、両親の仲があまり良くなかった。私が4,5歳の時には毎晩離婚するかしないかで喧嘩をしていた。結局しなかったが。

無条件の愛情なんてこれっぽちも貰えなかった。

小4から塾に通っていたのでテストでいい点が取れないと「あんたにいくら金かけてると思ってるの!」と母親にキレられた。(余談になるがその当時の塾の講師のおかげで男性恐怖症になってしまった。後日この話は書く。)

何かわがままを言うと「何でそんなことを言うの?あんたなんて産まなきゃよかった。」と言いながらため息をつかれた。

実の親に本気で産まなきゃよかったと言われたことがある子供がこの世には一体何人いるんだろうか?

両親に存在を認められるために感情を殺して何事にも一生懸命努力した。そのおかげで見てくれだけはいい人間になった。が、感情が死んでしまった。自分では何も決められなくなってしまった。

今日着る服でさえ母親がいいんじゃない?と一言言ってくれなければ何を着ていいかわからず、自分で選んでもこの格好は変なのではないかと不安になった。

父親は土日はパチンコ三昧で家にいてもずっと居間でテレビを見ている。小学生の時に昼時に父親がラーメンを作ってくれた。キッチンから居間まで父親と私で各々のラーメンを運んだのだが、その時に互いに箸を持ってくるのを忘れてしまった。それに気づいた父親が私に向かって一言「本当、使えねぇ奴だな。」と言われたのを今でも覚えている。

身体的虐待はなかったものの(そもそも両親と触れ合ったことがない。)精神的に追い詰められていった。

私の家はおかしいんだなと小学生の頃から薄々と感じていた。みんな夏休みには家族で旅行に行っていた。羨ましかった。行ったことなんてない。今だに友人が両親と仲よさげにどこかに出かけた話を聞いたり、写真を見ると羨ましさで死にたくなる。

中学、高校もそれなりの成績でそれなりの扱いやすい生徒として振る舞った。そもそも自我がないので何にでもなれた。相手が求める人物像に合わせてコロコロと態度を変えた。いい意味で適応能力とコミュニケーション能力が高く、悪い意味で情緒不安定だった。

大学に進学し一気にこれまで耐えていたものが崩れた。精神が持たずに2年の秋から4年の春くらいまでカウンセリングに通った。きっかけは海外留学だった。

都内の大学に進学できたことから、一人暮らしが始められると希望に息を巻いていた。しかし結局親に反対され夢は絶たれた。そして大学に進学したことによりこれまで耐えて背負っていたものが一気に崩れた。

大学には様々な人間がいるがそのほとんどが私の境遇を理解できそうもない人間ばかりであった。虐待を受けた人間の物語を第3者目線で読むような人間ばかりであり、親にきちんと愛されてまともに育てられた人間ばかりであった。そのような人間は自身の感情に素直で他人につけ入ろうともせず、簡単に人を信用する。そして生まれた頃から愛されているので自己肯定感がとても高い。切に羨ましかった。私もそうなりたかった。

遊び程度の週たった1,2回のアルバイトで生計を立てている人間がいるのも意味がわからなかった。また一人暮らししているのにも関わらずバイトもせずに遊びほうけている人間はもっとわからなかった。当時は定期代も学費も自分で稼いでいた。(学費は払えなそうになかったので奨学金を借りた。今も毎月返済を続けている。)

他人を羨んでも仕方がなく自身の環境や思考を変えるしかないと模索していた。そして私はホームステイ制度のある海外留学に目をつけ親に留学に行きたいという旨を伝えた。外国ではあるが別の家庭環境を体験でき、さらには半年間親元を離れられるなんて一石二鳥だと思ったのだ。

しかし、返事は「行くのは勝手だけど金は出さないからね。」だった。

最低賃金が670円のクソみたいな田舎に住んでいる家庭にとって200万は大金であり簡単に出せるものではないことは重々承知していた。しかし、大学に進学すると小学校の頃のように毎年家族で海外旅行をしたり、幼少の頃からピアノとバレエの習い事に通わされていたのとあたかも自分の意思とはうらら腹に両親に強制的にと話す人間が多かった。このような家庭に住んでいる人間の親は子が200万欲しいと言ったら簡単に与えられるんだろうなと実感した。経済的格差と劣等感で死にたくなった。

翌日の大学終わりに隣の県に住んでいる祖父母の家を訪ねた。留学の費用を借りるためだ。親が子の希望を叶えられるような家庭に生まれなかったこと、世の中の不平等が辛く、道中の電車内ではずっと泣いていた。そのせいかなかなかの混雑した電車内であるのに誰も両隣に座ってこなかった。その寂しさが余計に私の悲しさに拍車をかけた。

祖父母に土下座し、出世払いという名目でお金を頂いた。

機能不全家族で育ち、精神的に不安定であり、自己肯定感が低く、経済的劣等感に抑圧された人間は環境の変化を手にすることができた。が、この年で形成された性格なんて簡単に変えられるはずもないし、私は絶望に浸っているのが大好きなのだ。留学が人生を変えたなんて期待しないでほしい。


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