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『夜、鳥たちが啼く』を観て

最高な意味で最悪な映画だった。

邦画にありがちな案の定ハッピーエンドを想起させるようなぶつ切りのエンドシーン。しかし、私はこの作品をバッドエンドだと断言する。

以下、簡単なあらすじ

売れない小説家である慎一は自分の嫉妬深さから同棲していた恋人にも振られ鬱々とした日々を過ごしていた。どれくらい嫉妬深いかというと、彼女がバイト先の店長(男)から貰ってきたカーテンを発狂ながらブチブチィッとカーテンレールから外しぶん投げたり、仕舞いには店長に殴り込みに店まで行き玉ねぎで顔面を殴りつけるほどの嫉妬深さである。

そんな慎一が離婚した友人の元妻、裕子とその息子アキラに一軒家を貸すことになる。(慎一は隣のプレハブ小屋で主に生活する。)

しかし、この女裕子もなかなかの寂しがりやで夜な夜な息子を寝かせた後夜の街に繰り出し男と酒を飲みワンナイトラブを繰り返すのであった。特にラブシーンはなかったが多分何人かと寝てはいると思う。

お互い少しずつ歩み寄り仲良くなり等々慎一と裕子はセックスをし、まるで恋人かのように過ごし始めるのだ。そして最後は花火大会で花火を見上げるシーンで終わる。なんて心温まるハッピーエンドだろう。お互い恋人と夫に捨てられたもの同士傷を舐め合い擬似的ではあるか温かな家庭を築きなんて幸せそうなんだろう。ずっと続いたらさぞかし幸せだろう。アキラ少年もとても嬉しいと思う。

しかし、斜に構えた性格の私は本当にこの満たされた関係がずっと続くのだろうかとても疑問に思う。なんなら映画が終わって私はかなり絶望した、2時間くらい鬱になった。

異常なほどの嫉妬心を持つ男と極度な寂しがり屋の女。そんな2人がこのまま互いに傷を舐め合って穏やかに安定して生活していけるのだろうか。

慎一の腕にできたクラゲの傷が治ってしまったら。何かの間違いでプレハブ小屋というトリカゴから慎一が抜け出してしまったら。この関係が終わってしまうのではないだろうか。

1番引っかかったシーンが、公園で慎一とアキラ達が楽しくだるまさんがころんだをし、帰宅した直後、玄関の前で裕子は「だるまさんがころんだ」と呟く。でもすでに慎一は小屋に入り、仕事を始めようとしている。その時の寂しそうな裕子の表情といったら!

裕子が夜遅く帰宅した時の「男と会ってたの?」と慎一が恋人でもなんでもないのに裕子に聞くセリフ、そしてそれにyes noで返さない裕子。

それぞれの感情の齟齬が生じて積み重なり、この関係性は長引かないだろう。

よくいわれているのが、20代で形成された人格はなかなか治らない。お互い深い愛情があれば別だとは思うが所詮は赤の他人。なんなら裕子は慎一に対して「アキラに期待させないで。」や、「甘えてられないから…」などと否定的な発言もしている。

私が想像(妄想)するに裕子の方がとてもしっかりしているので、出て行かなきゃと裕子が発起するも慎一が引き留めるの繰り返しになると思う。そのままずるずると生活できればいいが慎一の元カノが言っていたように子供なんて育てられる経済力ではない。そのうちまた慎一が裕子の職場に殴り込みに行くのが目に見えている。

いつかはどちらかが本気で相手を思って変わらなければ幸せになんてなれない。恋愛とは愛情とはそういうものだと思う。相手に嫉妬深くなってしまうことは自分に対する自信のなさの表れ。寂しくて男を取っ替え引っ替えしてしまうのは心から愛される自信がないから。自信がないもの同士が互いの自信を満たせるような恋愛ができると私は全く思わない。

いい意味でもう2度と観たくない。

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