ああ、なんか、もう、そういうフェーズに入っちゃったんだなぁ、
最近のこと。
もうすぐ短期留学に行く。
家以外のところで1週間生活するためのパッキングには、だいぶ慣れてきたけど、今回は約1か月。しかも海外。
日本円を外貨に交換したり、生活に必要なものを買い直したり、お世話になっている人に挨拶に行ったり。
ここ数日は、ほぼ留学の準備のことしか考えていないのに、それでもパンクしそうになる。
いつもオーバーワーク気味で、口に出していないのに、
「なんか忙しそう」って印象を人に与えてしまっている自分。
本当は全く器用ではなくて、マルチタスクができるわけでもないのに、
それをずっと、自分自身で、認められなかった自分。
生活の要素を減らして、色々諦めようと思ったら、ちょっとずつ見えてくるものもある、気がしている。
就活軸を聞かれたときのこと。
8月上旬に参加していたサマーインターンの事後面談があった。
すごくいい経験をさせてもらったインターンだったし、そこで出会えた社会人の言葉も印象的だった。どの面談も非常に丁寧だった。
今回も、やっぱり今後の就活とか、わたしの就活軸の話になったけれど、
漠然とした曖昧な回答しかできなかった。
(留学の他に最近考えていたことといえば、
自立して生きるって何だろう、とか、
あのドラマやっぱいいよなとか、
好きな芸人さんがお気に入りと公言していたあの本、私にはあまり刺さらなかったな、とか。つまりふわふわしてたんだよな。心地よかったけど。)
面談が終わって、改めて今後何したいか考えなきゃ、と感じながら、
思ったこと。
「専門学校で、写真とか映像とか建築とかを学んでいる学生って、
スキルがあってやりたいことも明確で、いいよな。」
私は何がやりたいんだろう。何を大事にしたいんだろう。
やりたいことが今明確になくて良いと分かっていても、
ずっと考えている。
就職のことで言えば、色んな業界も職種も働き方も社会にあるけれど、
それを選ぶための自分の判断基準が、ない気がした。
認めたくなかったけれど、ない気がした。
人の判断基準はいくらでも思いつくのに、自分のはどれなんだろう。
基準を持つためには、
「こっちよりあっちのがなんとなくいいな」の「なんとなく」を
言語化し続けるしかないんだろうな。
それにかかるエネルギー量を想像すると、うう、ってなるけども。
分かっていたけど、分かっていなかった、自分で決断するということ。
最近読んだ本でも同じような描写があったけど、
自分で物事を決める勇気と、信じ切る力がないんだろうな、と思う。
自分が、ないのだろうか?と思うときもある。
(メンタルモデルの欠陥欠損モデルって、こういうことなのかな?)
(でも、自分の気持ちに正直でいたいとか、感情上下しながらも無我夢中でいたいとか、そういうこだわりはあるんだよなぁ。)
今までは、なんとなく正解ぽい道があって、それを選べば良かったけれど、
今はそうじゃないんだろうな。
どれを選んでも正解でも不正解でもなくて、
選んだ後の自分次第で、結果が決まるんだと。
その結果も、正解/不正解という表現ではないんだろうな。
関わりのある社会人から言われた言葉が頭に浮かんだ。
「1年先なんて何しているか分からずに、とにかく今を生きてる」
「社会人になったからって、学生と大して変わらないよ。
ずっと悩んで、こうあるべきなのか、こうありたいのか、を問い続けてる」
ああ、なんか、もう、そういうフェーズに入っちゃったんだなぁ、
と思った。
今までは正解ぽいものにすがってたんだなぁ、でもそれはもう終わりで、
分かっていたけど、これからは、自分で道を見つけて、取捨選択していくしかなくて、
それはすごく当たり前だけれど、私にとっては当たり前ではなかったんだなあ、と思って、苦しくなった。
諦めること。
正解を求めようとする自分を諦めよう。
正解なんて最初からないんだし、自分だけの答えを出すしかない。
経験して、感じたことを言葉にして、整理して、、、を繰り返すしかない。
勇気と自信が揺らいでまあまあにしんどくなるし、
こういう決断は社会に出てからもずっと続くのだろうけど、信じて断つしかない。
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