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思い出話から一等遠い位置にいるINFJの私

私はとかく記憶が薄い。


客観的に見ても薄い。
趣味で見た動画の記憶なども、繰り返し視聴して記録をしたとて記憶から消えるから、最近は諦めている。

消えるから、何度も同じものを楽しめる。


嫌だからトラウマで記憶がないとか、そういうのではなく、嫌なことも良いことも詰まる所ほとんど覚えていない。でも、脳には残っているから引き出す作業をしてくれる人がいれば、断片的に思い出す。
すごく楽しいことがあっても、しばらくすれば何をしたか、どういう気持ちだったか思い出せない。
すごく嫌なことがあっても、しばらくすればもう出てこないし、感覚すら思い出せない。
どこに行っても誰と過ごしても何があっても何ひとつそれだけは変わらない。

消えると言うより、想起しづらい状態になるのかもしれない。


何がそうさせているんだろう?と思ったのだけど、絡み合う理由があれど、一番はNi(内向的直観)のせいだと思っています。

思い出はなんで存在するんでしょうか?
否定したいのではなく心からの謎なのですが、昔の話が好きな人は、なぜ昔の話が好きなんでしょうか。
積み重ねた過去の想起にきっと愛着を感じていて、思い出は自分を自分たらしめるからでしょうか。


過去とは程遠いところにいるのがINFJなのでは?と思っています。私だけか?

思い出を保存することはとっくの昔に諦めました。誰か覚えてくれているからいいかなと思いつつ、そこに一切の執着はありません。
引き出されると出てくることも断片的にあるし。

遠くの未来が私を導く。
ビジョン的視点でずっと生きているから、思い出話や過去の振り返りで自我を固定化しなくとも「私はずっと変わらない」。

この上手く説明できないけれど、否が応でも行きつく未来が(言語化できないけれどかなり明確に)決まっている感じは運命ともとれますよね。ちょっとロマンチックでちょっと不自由でしょうか?私にとってはそうでもないけど……

想像した美しい運命を手繰り寄せるために解を導く視点でずっと思考しているから、なかなか現実に生きられないのかなとも思います。

基本的に他人や環境に寛容なのも、最終的にビジョンに悖ることに対してだけは不寛容だから。
行き着く方法がなんであれ、ビジョンに逸れなければなんでもいいのかもしれないですね。


昔した発言を結構本当に憶えていないけれど、他人からのフィードバックから見ると「私だったらそう言うだろう」ということを発言していることが多い。

じゃあ私は昔の私を探す必要などない、最初から私は私だったし、これから先も私だから。

って最近思っています!



昔の記憶 思い出せない

で検索すると、病気やトラウマ系ばっかり出てくるから、もちろんそれが普通なんだけど!
私は全然それが知りたい訳じゃなくて悲しい……🤣

単純に記憶力がないのかも🤣🤣

という、私の感覚についての話でした。
似た人いたら教えてください🙇‍♀️

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