危機一発!コロナで生まれ変わった玄米デカフェ
MNHの小澤です。
試行錯誤によりできあがった「玄米コーヒー」だが、その後に「玄米デカフェ」に生まれ変わり、ゆくゆくはMNHの主力商品になっていく。
改めて振り返ると、この商品はいくども荒波を乗りこえてきたのに気づく。
まず2014年、庄内町で「お土産品」として売り始めた頃(*)。
そもそも「玄米コーヒー」は、あまりおいしいとは言われていなかった。
発売時も試行錯誤をしていたし、味が安定するまでには3年程かかったと思う。
当時のぼくらは「黒カステラ」や「つや姫スナック」など、ゲリラ的なお土産を多く手掛けていた。それに対し「玄米コーヒー」はインパクトがない正統派な商品だ。
正直、売れるという確信はもてなかった。
…蓋を開けて見ると、やはりそんなに売れはしなかった。
しかし不思議なことにゼロにもならなかった。
その後もバーンと行くことはないにしても、低空飛行の売上がずっと続いていった。
しかし、ぼくは当時から一筋の希望を抱いていた。
うまくいけば息の長い商品になるんじゃないか、と。
コーヒーを飲む習慣がある人が気に入ってくれれば、日常的に使ってくれる可能性が高い。
そして、そんな人が増えれば安定的に売れ続ける可能性もあるのではないか。
そんなある日、どんな人が買っているのかを店頭の人に聞いてみた。
すると意外にも「地元の人」だという。ぼくの予想は少しは当たっていたのだった。
販売から4年目の2018年。
「玄米コーヒー」を含め、東北雇用の事業を全部やめてしまおうと思った時期もあった。
東京を拠点にしているMNHが、山形で事業を展開するのは、もうかなり大変だったからだ。
しかし米農家を守るという、当初の趣旨を思い出し、結果的にはもうひと踏ん張りすることにした。
そして2019年12月。コロナ禍に突入した。
日本中が震撼し、瞬く間に観光客が減り、山形のお土産屋さんも大打撃を受けた。
低空飛行を続けていた「玄米コーヒー」もついに撃沈。
売上はゼロになったーーー
ぼくらは頭を抱えたが、買ってくれていた少数のお客さんを励みに「このタイミングで玄米コーヒーをブランディングし直そう」と決意した。
今こそお土産の用途を超え、もっと広く全国の人にも知ってもらいたい。
「玄米デカフェ」とネーミングも変え、デザインをはじめ、なにもかも一新した。
そしてECサイトの立ち上げに着手しはじめたのだ。
そして、2020年の夏。ECサイトでテスト販売をしはじめた矢先のこと。
阪急うめだ本店のバイヤーから1本の電話がかかってきた。
「うちでポップアップストアを出してくれないか」と…
百貨店では「西の横綱」ともよばれる阪急うめださんに出展できるなんて…!
今でもその感動を覚えている。
これが大きな転機となった。そこからは毎年出展させていただいている。
これを皮切りに、さまざまな場所で出展する機会を得られたと思っている。
多くの産業に打撃を与えたコロナだったが、こと「玄米コーヒー」にとっては、救世主だったのかもしれない(今だから言えるけど)。
(*)クラッセの「なんでもバザールあってば」や庄内空港でお土産品として販売していた。最初から一般市場で売るのは難しいと思ったので、販路のあるお土産品として売り出した。