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庄内のとれたて野菜、いかがですかー? 

MNHの小澤です。

2023年に入った頃だろうか。
ぼくはあるニュースにくぎづけになった。

「都会で働いていたら、うつ病になっちゃって。
地べたに足をつけて自分で何かやっているって実感がもてる仕事をしたくて、
リヤカーで手作りシフォンを売り始めたんです」

そういって笑う、青梅のリヤカー行商の姿を見て、ぼくは息を飲んだ。

「あの時のMNHと同じだー!!」と…

"あの時"とは、2013年の夏。
庄内町で余っている野菜を見たことがきっかけだった(*1)。



産地直送販売の野菜は、午前中が売れどきだ。
昼過ぎて余ってしまった野菜は、販売を委託した農家が引き取って"捨てる"という。ぼくはそれを常々「もったいない」と思っていた。さらに庄内の野菜は都会に比べて安いし、「東京に持っていったら絶対売れるんじゃないか」と本気で考えるようになった。


そして、地元の人に東京へ野菜を送ってもらい、早速販売を試みた。
当時のノルコーポレーション(*2)の昼休みに社員向けに売ってみると、これがそこそこ売れたのだった。

味をしめたぼくらは、本腰を入れることにした。
どうやって売る?と考えた時に、ひらめいたのが「行商」だ。

…と、これには理由がある。


菅会長は1代で日本最大級の雑貨メーカー(ノルコーポレーション)を築き上げた経営者だが、商売の駆けだしの頃は、夫婦2人きりで雑貨作りをしていた。そんな会長はよく「商売、つまり働いて稼ぐことは、社会参加しているという自尊心を高める良い方法だ」と言っていた。そして何か若者たちがシンプルな商売体験をできる場をつくれないだろうか、とよく2人で話していたのだ(*3)。

…こんな想いを抱いていたぼくらが、商売の原点でもある「行商」を思いつくのに時間はかからなかった。

そして立ち上がった。
「今こそ、リアカーをひいて行商だー!!」と。

形から説明すると、MNHではこれを「スタンドバイミ―事業」と命名した。
「私によるスタンド(売り場)」・「寄り添って欲しい(*4)」という意味をかけたのだ。

そして本社の近くの調布市内で、リアカーに産地直送・山形庄内野菜という旗を立て、「とれたて野菜いかがですかー?」と、社員が売り歩いたのだった。

1万そこそこの日銭を稼ぎながら、半年ぐらい続けただろうか。
結局終わってしまったが、もっと続けていたら固定客がついたのではないか、とも思う。

…ちなみに、この頃のMNHは短気(かつ短期)で、いろいろと手は出すものの長続きしないことのほうが多かった気もする。この時も残念ながらそうだった。

しかし、この経験は、後の2014年の山形の野菜販売店「縁日屋やまがた」の立ち上げのきっかけともなる。さらに「つくったものが確実に売れる状況を継続的につくることこそ必要」という確信も得られ、後のコミュニティ工場の構想につながっていくのである。

(*1)MNHでは2012年3月に山形県庄内町に「東北に若者の雇用をつくる株式会社」を立ち上げ、庄内を拠点にものづくりをしていた。さまざまな関係者と話すため、地元の台所の課題もよく聞いていた。

(*2)MNH菅会長が以前社長を務めていた大手雑貨メーカー。

(*3)当時構想していたのは、若者が昔ながらの屋台で地域の野菜を販売し、「自分の力で食べていく」コンセプトのもと、仕入れから販売までの流れやお客さんの顔が見える商売経験ができるような事業。社会起業家を育てることも視野に入れていた。

(*4)「産直野菜をこういう想いで売ってます」と明示し、応援してくれる人を増やしながらやっていくという意味。ホームレスの社会的自立を応援するビッグイシューなども意識していた。


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