やっぱり無理筋?お酒の事業
MNHの小澤です。
「お酒の事業をやろう」。
つつじヶ丘へ事務所を移転した頃。ふいに会長が言った。
会長が考えていたのは、既存のお酒になにか企画を入れ、新しい価値を作ることだった。
例えば日本酒。
今でこそ「獺祭」が火付け役となりブームとなっているが、2014年当時はかなり低迷していた。そこにちょっと変わったストーリーやネーミングで工夫を加えたらおもしろいんじゃないか、と。そんなことを考えていた。
さて、お酒を販売するには、酒類免許が必要なのはいうまでもない。
しかし、日本ではこの業界に素人が入ることは不可能に近い。
どの地域でも大きい卸問屋がその土地の酒の利権を握っているからだ。
ではどうするか?と考えていた時に、救世主のような法改正があった。
「自分のオリジナルブランドのお酒だったらおろしてもいいよ」という自己商標酒類卸免許というものができたのだ(*)。
ぼくらがやりたいことにもマッチしていたので、早速取得するのだが…
…こういってはなんだが、ぼくは正直「お酒は難しいんじゃないか」と感じていた。
なぜって、お酒は粗利が低い。流通の常識も古く、問屋と小売の取り分がほぼ決まっていて、単純にもう、たくさん売らないと儲からない。
加えて飲食店にお酒を売るには、卸の免許に加え小売の免許も必要…などなど、規制が複雑に絡み合い、正直無理筋じゃないか、と思っていた。
しかし、会長の意志は固かった。
まぁ、お酒は地域の一大産業でもあり、その地域に新しい価値を提供するのはMNHのめざすところでもある。結果的には会長の想いを尊重し、ぼくもいろいろと駆けずりまわることになった。
いざ「自社ブランドの酒をつくろう」と立ち上がるも、そもそもぼくらはお酒がつくれない。早速、MNHの商標のお酒をつくってくれる、手ごろな酒屋(OEM元)をあちこち探した。
いろいろ調べると、大手メーカーからの委託で特大の焼酎ボトルなどを作っているところがあるにはあった。しかしぼくらはもっと"小ロット"だ。
クラフトビールがそこまで流行っていない時代でもあり、ぼくらが望む小規模なOEM製造をやってくれる酒屋は、ぶっちゃけないに等しかった。
そんななか、「ここと組んだらおもしろいんじゃないか」と会長が候補先をあげてきた。
「LAODI (ラオディ)」という、ラオスでラム酒をつくっている日本人の団体だった。
見たことも聞いたこともない団体だったが、早速彼らとコンタクトをとって、ファミレスで落ちあった。こちらの構想(妄想?)を細かく説明すると、最初は不信がってはいたが、最終的には依頼を受けてくれることになった。
……しかし、結局この事業は日の目を見ることなく、幕を閉じた。
繰り返すが、やはりお酒の業界に入り込むのは非常に難しい。
特にECサイトもまだ成熟していなかったその時代において、仮にうちが仕入れられたとしても、販路もなく売れる保証がない。提案している自分自身もまったく自信がないゆえに、話もまとまるはずがなかった。
ある程度社会が成熟している日本において、昔からある古い産業に今さら素人が1から入り込むのは本当に難しいと悟った。
最初から感じてはいたが、やはりぼくらにお酒は無理筋だったのだ。
(*)2012年にできた自己商標酒類卸売業免許は、蔵元や酒造メーカーに自己が開発した商標で委託製造してもらった酒類を卸売できる免許。