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その会社には、アイデアだけはあった

MNHの小澤です。

入社を決めたぼくは、MNHの事務所で、会長と毎日のようにブレーンストーミングをしていた。

「計画をつくっても、それどおりになるわけがない。その時の状況でどうするかを判断するんだ」
そう断言する会長に、事業計画という文字はない。雑貨メーカーとしては日本最大級の企業を一代で築きあげた彼の、野性的な勘だけが頼りだった。

売り上げは、その年100万。

会長との話のなかでは、アイデアの卵がポコポコ目の前に散乱していた。
でも実際はなにもない。商品もないのだから、信用もない。
でも不安はあまり感じなかった。
おかしなことに、そんな状態が好きだったのだ。

NPO時代も、そうだった。
事務局すらない未整備の組織を、ぼくはひとつずつ組み立ててきた。専門学校在学中から、NPOの活動に参加していた若き日の自分に、公務員などの安定した就職先を紹介してくる知人も少なくなかった。でも、一貫して断り続けてきた。

“できあがっている組織”に入るのが嫌だったのだ。

そんなバタバタした時期に、実は結婚もした。

入社前の10月にスペインとイタリアに新婚旅行に行くことを会長に話した。すると、なんとローマのフィウミチーノ空港に、同日、会長がいることが分かったのだ。
プロ級のフェンシングの腕前を持つ会長は、クロアチアでの世界大会に出場する予定だった。
会長の乗ろうとしている日本への飛行機と、バルセロナから着いたぼくの飛行機。これらがローマですれ違ったのはわずかな時間だった。出発ロビーにいる会長に、バゲッジクレームエリアで荷物を受けとっていた自分が「いま着きました」と電話をかけた。
「あんな偶然ないよね」と、今でも会長と笑って話す。本当に会っていたら、偶然が強烈すぎて死んでいたかもしれない。



転職に結婚。MNHに奇妙な縁も感じつつ駆け抜けた2010年は、重大な転機であったことは間違いない。

そしてその2010年の12月1日。ぼくはこの“アイデアだけはある”会社に、正式に入社したのだった。


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