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犬も食わない!?青いかりんとう

MNH小澤です。
MNHに入社したぼくの初仕事は、入社3日後。中谷製菓との商談だった。
中谷製菓は大正8年創業の由緒あるかりんとうの老舗だ。


ぼくらは一番はじめに、お土産用のかりんとうを高尾山で売ろうと考えた。
そもそもなぜ「お菓子」であり、「お土産」なのか?

会長は、MNHの経営者であるとともに、売上60億を超える雑貨メーカーの創業者だ。
その販路を利用すればMNHでの新商品も売りだすことは可能だったろう。しかし雑貨は、顧客の購入頻度が高くないことから、“全国流通”させる商流がないと採算がとれない。


しかしぼくらには「地域の若い人の力をつかってものをつくり、地域で売る」というシンプルなシナリオがあった。これを実現するためには、地域限定であっても常に大きな市場があり、流通量が多いもの、つまり食品系。それも過当競争から外れている“お土産のお菓子”に狙いを定めていたのだ。
…というとキレイな感じだが、当時は「かりんとうを高尾山で売れば、売れるんじゃね?」という、ぼくらの直感だった気もする。

そして、そんなホカホカのアイデアを抱えて商談に挑んだわけだが…
「信用がないっていうのは、こういうことなんだ」

ぼくが感じたのは、これに尽きる。


当日、中谷製菓の社長に、入社したてのぼくからMNHの会社の説明をした。続けて「かりんとうを高尾山で売りたい」とOEM生産の提案をした。しかしぼくらは食品をあつかったことがなければ、売り場も決まっていない。

老舗の中谷製菓では、中谷社長の後ろに現場を仕切っている番頭(*)さんがいた。彼が、「なんだかうさんくさい話してるな」と言わんがごとく、懐疑的に聞いているのがひしひし伝わってきた。
そして話は、急展開をむかえる。

自身の経営している雑貨メーカーで「ゾンビ」という商標をとっていた、うちの会長。この商談中に会長が思いついたかのように言った。
「青色のかりんとうを作ってね、“ゾンビの骨かりんとう”ってやったら売れると思うんですよね!」
これがまずかった。
その場が変な雰囲気になったのは言うまでもない。
翌週、中谷社長から「先日のお話はうちではできません」との断りの電話がはいった。

信用がないうえに、100年の老舗企業に「青いかりんとうを作れ」…
断られるのは、当然といえば当然な気がした。

しかし、話はここで終わらなかった。

(*)工場の作業員のうち現場を監督する立場の人


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