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「100個売れた!」という原始的体験

MNHの小澤です。

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中谷製菓がかりんとう製造を引き受けてくれることが決まると、次の課題は“売り場の確保”だった。

以前にもお世話になった多摩信用金庫の知人に相談すると、アーバンという会社を紹介してくれた。多摩エリアのレストラン等を展開している、地元では有名な企業だ。

不思議な縁だが、ぼくはアーバンの社長を知っていた。NPO時代のスポンサー企業だったのだ。
ぼくらはここでも“儲かりまっせ”だけではなく、かりんとうを地域でつくって地域で売り、地域貢献をしたいんだ、という話をした。

するとアーバンの社長も共感してくれ、「売り場の使えるところを使っていいよ」と快諾してくれた。そしてアーバンの運営する、高尾山の中腹の「権現茶屋」の売り場の一角を借りることができたのだ。

一方、会長が自身の雑貨メーカーから引っ張ってきたデザイナーが、並行してかりんとうの商品企画を練った(*)。ちなみにパッケージはごくごく簡素にすることにした。事業計画もなく売り上げ予想もたたないなか、ここにコストをかけて在庫の山になるのはごめんだ、的な発想だ。

かくして2011年4月頭に「天狗の鼻棒かりんとう」が権現茶屋に並ぶのだが…

最初の100個が売れたとき、僕ははからずも、全身がしびれるような感覚を味わった。

「売れたーーーー…」

純粋な嬉しさが胸の奥から込み上げた。

自分たちが考えて、自分たちが作ってきて、お店に出して、お客さんが反応してくれた。
そして実際にお金を出して買ってくれた。

マルシェで、想いをこめた野菜をお客さんに手渡す瞬間の感覚ともいえようか。
これは商売の原点ともいえる、原始的な体験だった。

すでに販路があっての商品企画だったら、この喜びは得られないだろう。
なにも整備されていない会社だからこそ、いちから作り上げられた。
大変だったが、同時にそれは幸せなことだと思った。


その後につづくゴールデンウイークでの売り上げはさらに好調だった。売り場のかりんとうはなくなり、嬉しい悲鳴だった。

後日、中谷社長から「一回売って終わりだと思っていたよ」と言われた。メーカーにとっては大きな誤算だったようだ。


(*)天狗の鼻かりんとうは当初「まわりから自信がなさそうといわれる人、自分でも自信がない人はそのまま食べてください。まわりから自信過剰だといわれる人は折って食べてください」というストーリーで売っていた


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