高尾山かりんとうが誕生してから地域商社モデルになるまで⑤
こんにちは、MNH広報部の阿部です。前回は、かりんとうを高尾山みやげにした理由、かりんとうが地域商社モデルの題材になったことなどをお話ししましたが、今回は、その後、課題が出てきたときにどうやって解決したかというお話をします。
流通過程の問題を解決するために地域人材を活用
かりんとうが地域商社モデルの題材になり、さまざまな課題がでてきましたが、その一つが流通過程でした。かりんをうを作るのは東久留米にあるかりんとう屋、販売するのは八王子、そして商品開発する私たちは調布にいます。場所がバラバラなので、モノを流通させるには、必然的に運賃が発生するわけですね。そこで、八王子の福祉作業所の方たちに作業をお願いすることにしました。そして、その地域にいるNPOのおじいちゃんたちに、かりんとうを高尾山まで届けてもらうのです。
地域の人材を活用することで、彼らの活動資金の足しにしてもらうこともできます。かりんとうが売れれば売れるほど、彼らの仕事量も収入も増えていき、WIN-WINの関係になれるんですね。
当初は、かりんとう屋さんでかりんとうを作ってもらって、名前やストーリーを付けて高尾山で売るだけだったのですが、福祉作業所や地域のNPOが入ることで、地域の人たちの雇用やお金が循環する仕組みを内在させることにもつながったのです。現在のMNHの事業の根底には、そのときのモデルがあります。
「それぞれが自分のできることをやる」というスタンス
例えば、弊社ではコオロギフードも取り扱っていますが、コオロギを育てることはしません。養殖しようと思えばできるのですが、養殖はしないのです。なぜか?それは、育ててくれるファームも、売ってくれる場所もすでにあるからです。何が足りないかというと、それを食べやすいように加工したり商品企画したりすること。だから、それを私たちがやりますよ、ということです。弊社にはコミュニティ工場がありますが、工場でできることは工場でやってもらい、工場でできないことはこちらでやります、というスタンスです。この仕組みも、高尾山かりんとうの仕組みがベースになっています。そう考えると、高尾山かりんとうは、弊社にとって原点といえるでしょう。
次回も、引き続き、高尾山かりんとうについてお話ししたいと思います。
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