ひろゆきどうするか問題とトロッコ問題
宮沢喜一を知っているか?
月に一度の「田原カフェ」を僕は楽しみにしている。田原とはジャーナリストの田原総一郎さんのことだ。今年で88歳になる田原さんが、早稲田の喫茶「ぷらんたん」の2階で、毎回一人のゲストを呼び対談をする。
その対談を起点に、20名ほどの参加者も議論に加わるイベントだ。
参加者は29歳以下(今は33歳?)に限られるのだが、オーバーエイジ枠として初めて参加させてもらったのが、8月のこと。
翌月の9月は僕がゲストとして招かれて、お金と経済について語った。それ以来、何度か食事や雑誌の対談もさせてもらっているが、防衛、少子化、ジェンダーなどにさまざまな分野の情報を常にアップデートしていらっしゃるのはさすがだ。そして、田原さんほど宮澤喜一愛にあふれる人はいない。「君は、宮澤喜一を知っているか」と毎回のように尋ねられる。誇張なく、これまで10回くらい聞かれた。
さて、先週、10月の田原カフェが開催された。今回のゲストはYoutube日経テレ東大学のプロデューサーの高橋弘樹さん。大人気番組「家、ついて行っていいですか?」の生みの親でもある。
高橋さんとは、日経テレ東大学でお話しさせてもらったが、僕のダラダラした話を要所要所でまとめてくださった対談の達人だ。
1秒でつかんだ高橋P
今回の田原カフェのテーマは「令和のメディアリテラシー問題」。
なんとも硬いテーマだが、高橋さんは開始早々さらっと説明してくれた。
会場がどっと湧く。
場の空気を1秒でつかんだのだ。まさに彼の書いた本のタイトルどおりだ。
高橋さんがおっしゃっていたのは、ひろゆきさんに代表される新しい言論やメディアの捉え方を考えないといけないということ。テレビや新聞とは別に、YouTuberが世論を作っている時代になっている。
情報を発信するメディア側にとっての”ひろゆきどうするか問題”は、
”ひろゆきをどう扱うか問題”だ。
専門家でもなんでもないYoutuberに無責任な発言をさせるのは問題かもしれないが、どんなに正しいものをつくっても見てくれなきゃ意味がない、というのはその通りだと思う。まずは、人々が興味を持ってなんぼだ。
日経テレ東大学が始まった頃は、数百再生しかのびなかったが、ひろゆきさんを起用したり、成田悠輔さんを発掘したりして、数百万再生の動画を生み出すようになったらしい。
ひろゆきさんは取り扱いに気をつけないといけないが、人々の注目を集めさせることには成功している。
「これはトロッコ問題です」って書いてあげてください
注目は必ずしもいい意味とは限らない。Twitterでもひろゆきさんはたびたび炎上している。たとえば、こんな発言でも。
しかし、これには驚いた。彼の発言に対してではない。この発言に対して、批判的な意見が多いことだ。寝たきり老人やその家族が感情的になるのはわかるが、そうじゃない人たち、特に政治家が批判しているのは驚きだ。
彼がつぶやいているのは、マイケル・サンデルで有名なトロッコ問題に他ならないからだ。
前方にいる老人を助けようと進路を切り替えれば、勤労世代が犠牲になる、と彼は指摘しているだけだ。
少子高齢化の影響で、労働生産人口は減り、高齢者は増える。2019年に211万人いた介護職員の人数は2040年には280万人必要になると言われている。医者や看護師も含めれば、その数はもっと多いだろう。同じ期間に労働生産人口は1000万人減ると言われている。
高齢者に対してこれまでと同じように医療や介護サービスを提供するなら、いまより相当高い割合の人的リソースを彼らに割かないといけない。ひろゆき氏が指摘するように勤労世代の負担は増えて、社会が疲弊するのは必至だ。
「これは、トロッコ問題ですよ。みなさん議論しましょうね」とマイケル・サンデルが学生に質問しているなら、きっと批判されなかっただろう。ところが、ひろゆき氏が話すからけしからんと批判しているように思える。
高橋さんは、言っていた。ひろゆきさんは中学生なんですよ、と。僕なりに解釈すると気遣いがないということだろう(彼なりには気遣っているとは思うのだが)。裏を返せば、忖度しないニュートラルな発言をしているとも言える。
大人は、彼の気遣いできないところに同調する必要はないし、批判してもいいだろう。だが、忖度ない発言については、問題提起として捉えるべきではないのだろうか。
田原カフェの中では主に製作側のメディアリテラシーの話だったが、視聴する側のリテラシーも問われていると思う。
”ひろゆきどうするか問題”は、視聴者側が”ひろゆきの発言をどう捉えるか問題”でもある。
彼の発言にイラッとすることもあるが、指摘された事実は事実として受け止めないといけないと思うおいらです。
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どうしてゴールドマンサックスのトレーダーだった僕が、漫画「ドラゴン桜」の製作に携わるようになって、さらに高橋プロデューサーが注目した本を書いたのかは、こちらから。