瞳をとじて〜ミツバチのささやきとシネヴィヴァン六本木
スーパーのセルフレジで人が並んでいるのに気づかなかったり、牛丼屋で手元が狂ってボロボロこぼしてしまったり、アタマでは分かっていても脳がカラダに命令を伝えてくれないことが増えた
王さんと同じくらい憧れの選手だった高田繁さんは、イメージと捕球位置との間に20cmぐらいの誤差が出るようになったと現役を引退したのだったが、守備位置にボールが飛んできてもどうしていいかわからずオタオタしている感じだ
六本木のシネヴィヴァンで『ミツバチのささやき』を観てから四十年近く経っていると知り、思えば遠くへ来た感をまたまた深めた
幼気な子役だった女優も『瞳をとじて』の主演俳優も調べてみたら同世代だった
シネヴィヴァンと発音するとき、上の歯で下唇をしばらく咬まねばならず、日本人にとってはそのぶん特別な映画館であったかもしれない
オーブンした時からたびたび通った、ゴダール、ロメール、タルコフスキーを知ったのはここだった、コッポラが製作という『コヤニスカッティ』という実験的なドキュメンタリーも記憶に濃い
同じビルにあるWAVEでCDを物色していると、自分が都会的で文化的な学生である気がして、麻薬的にバイト代が消えていった
そこまでさかのぼらないと『瞳をとじて』に行きつかないのだが、三十余年ぶりに撮った長編映画第三作と知り、この監督の作品はニ、三本しか観ていないという記憶は正しく、曲げようのない事実だった
物語は1947年を起点とし、悠久の時が流れる歴史浪漫とかでないゆえリアルで濃醇だ
タイトルもまさに言い得て妙であり、ラストからの余韻で瞳をとじると自分自身の過ごしてきた時間、通り過ぎていった人々が現れて消える
もう一度逢いたい人は特にいない、あの頃に帰りたい時間も別にない、今日と明日が楽しければと思う
それでも過去はすべて私に豊かな実りを恵んでくれた、関わってくれたすべての人たちにお礼を言おう、いまは日曜日の朝なので礼拝よろしくそういうことにしておこう
超寡作でありながら巨匠と謳われ、新作を待ち望まれていたビクトル先生の人徳が最大の謎だ