沖田瑞穂『怖い女』
女は産む性だ。だが産んだからには「回収」せねばならない。それがこの世界の秩序を取ろうとする神話的思考だ。産みっぱなしではこの世に人が溢れてしまう。
だから女は生を与えるのと同時に奪う性でもある。女性、母性の「奪う性」としての側面が強調されると、そこに「怖い女」が現れる。
この本では、世界各地の神話や昔話、現代日本の都市伝説やホラーに至るまで「怖い女」がどのように描かれているかを巡りつつ、その核にある「産出ー回収」の神話的思考を浮き彫りにしている。
ユング派の心理学者・河合隼雄の一節が引かれる。
女ー母性原理には、①慈しみ育てること、②狂宴的な情動性、③暗黒の深さという三つの本質がある。
何ものも区別しない平等性と、すべてのものを呑みこむ恐ろしさの表裏一体ー例えば「女に入れ込んで人生を棒に振る男」がいる。そのとき彼の心のなかで、母性原理への強い郷愁が働いているのである。「狂宴的な情動性」ーつまり激しいセックスへの耽溺を通して、「暗黒の深さ」ーすべてを呑みこむ絶対的な平等性、すなわち「死」へと引き込まれていく。
『累』や『四谷怪談』などの日本の怪談に登場する女の幽霊たちも、また深い執着をもって、「男を引きずり込む母性の権化」として解釈できる。だから、怪談には、ただ恐ろしいだけではない、奇妙なまでの郷愁が感じられるのだろう。
神話的アナロジーにおいて、女は、蛇(龍)であり、蛇(龍)は水だ。女性霊や女の怪物は多く蛇の姿を取る。
蛇は、樹上で天敵のいない生活を送ってきた霊長類にとって、例外的な天敵だった。人を含む霊長類の遺伝子には、蛇への根源的な恐怖が刷込まれているという。さらに、蛇は、大きな口を開けて獲物を丸呑みする。丸呑みされた先は、深い暗黒の世界ー絶対的な平等性の世界ー死の世界である。
大きな口を開けて生を呑みこんでしまう蛇ーこの神話的形象は、例えば都市伝説の「口裂け女」などにも展開する。
民俗学者・人類学者の小松和彦は、口裂け女の意味について、こんなふうに論じている。
この小松の見解を踏まえて、マイケル・フォスターはさらに「マスク」に着目した、こんな見解を示している。
女性の両義性ー産むことと回収することーつまり、生を育むことと呑みこんで死に至らしめること。「怖い女」の恐怖の核にあるのは、この女性の両義性である。だから、ただ怖いのではなく、そこにはロマンチックな郷愁が表裏となっている。
上田秋成『蛇淫の性』などを見ても分かるように、男は、まず女のセックスに耽溺する。そのセックスへの耽溺には、しかし、そこに呑みこまれて死に至る契機も含まれている。その元型的な引力が世俗的な形で作用したところに「女で身を持ち崩す男」のモティーフが出てくる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?