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目を瞑っていても食べれるお弁当


毎日変わらないものがひとつあると、きっと人は安心できる。だからこそ、忙しない日々でも毎日変わらないお弁当を食べていると、きっとお弁当の時間は安心できるものになるのだ。


わたしは毎朝お弁当を作っている。出社して働く夫の分と、自分の分。わたしは在宅で働いているものの、用意しておかないと作るのが面倒で昼食をスキップしてしまいがちになるので、朝に夫のお弁当と一緒に自分の昼食も用意してしまう。あると食べるから。

もう3年間、平日は毎日作っているし、冷凍食品的なものも使わないので、さぞかし料理上手なハイクオリティ弁当を作っているのだろうと思われるかもしれないが、わたしのお弁当レベルはまったく向上しない。そもそも向上するほど意欲もないのだけれど。それにしたって、お弁当レベルは下の下の下のまま。

なぜかというと、お弁当の中身が毎日まったく一緒で、変わり映えがないからだ。変わり映えさせる意欲もない。毎日一緒すぎて、お弁当レベルは向上しようもない。毎日毎日、おなじものを詰めている。


まず炊き立てのご飯を詰めて、塩コショウで焼いた鶏もも肉、フライパンの上で放置してちょっと焦げた玉子焼き、鶏もも肉を焼いたあとの油で焼いた野菜にポン酢をかけたものをおかずとして詰める。最後にミニトマトとブロッコリーを空いてる隙間めがけて差し込む。ご飯にかつお節を乗っける。以上。完成! 


毎日毎日、このメニューのこのお弁当だ。寝不足の回らない頭でも作れるし、考え事をしながらも作れるし、調子よく歌って踊りながらも作れる。もうどんな気分でも、なにしながらでも作れる。完全無欠のルーティン弁当。

夫は毎日毎日このお弁当を食べている。毎日毎日「お弁当ありがとう。おいしかった」とおなじ感想を言いながらお弁当箱を洗っている。なにかあってどんな気分で帰宅しても、なにしながらでも言えるくらいになっている。

しかし毎日毎日、蓋を開けてなにを考えて食べているのだろう。「毎日一緒だなあ」とか思ってるんだろうか。もうそんなことも思わずに食べてるんだろうか。

できることならもう、なんにも思わず食べていてほしい。わたしもなんにも思わずに食べている。目を瞑っていたってどこになにが入ってるか分かるだろうし。いつも一緒のお弁当だし。「いただきます」「ごちそうさま」の感情だけで、あとはなんにも考えなくていい、ぼーっと安心できる昼食の時間を過ごしたいし、過ごしてほしい。


毎日変わらないものがひとつあると、きっと人は安心できる。だからこそ、わたしは毎日変わらないお弁当を作っている。

な~んていいように思いながら、今朝も手抜きの愛情入り弁当を作りましたとさ。

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tsuki | つき
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