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読書記録

小説の神様/相沢沙呼 著

内容(「BOOK」データベースより)
僕は小説の主人公になり得ない人間だ。学生で作家デビューしたものの、発表した作品は酷評され売り上げも振るわない…。物語を紡ぐ意味を見失った僕の前に現れた、同い年の人気作家・小余綾詩凪。二人で小説を合作するうち、僕は彼女の秘密に気がつく。彼女の言う“小説の神様”とは?そして合作の行方は?書くことでしか進めない、不器用な僕たちの先の見えない青春!

読む前に、先に読んだ友人から痛いよと聞いていたが、本当に痛かった。苦しみだったり足掻きだったりという感情が痛いくらい突き刺さってくる。ラスト、漸く救いが、光が、見えた。しかしそれまでは暗いし、後ろ向きにも程があるし、痛すぎる。(もしかすると、半分あたりで読めなくなる人もいるかも。強気な方で、こうグジグジしたようなものを殴りたくなるような人はたぶん無理かと。

でも、この痛みやら苦しみは、何も小説だけに限らず、自分を軸にして何かを作り出す人には、身に覚えがある痛みであり苦しみなのじゃないかと。

小説が書けなくなる、書き方を忘れるように、声を主体に作品を作られる方なら、声の出し方(演じ方)がわからなくなったり、出来なくなるという苦しさと痛み。絵を書く方なら、絵の書き方がわからなくなる苦しみや痛み。そして、表現者としての納得のいくものが出来ないという苦しみと痛み。

この本のテーマは小説であり、小説家としての苦しみ、存在価値、商用としての価値だけれど、何も小説に限った事ではないような気がして。

商用として作品を捉えた時、好きだという思いだけでは続けるのは難しいのかも知れない。そこには「利益を生む/生産する」という事が、多少なりとも上乗せされると思うから。商用でなくとも、きっと誰しも多少なりとも承認欲求はあって。数字がそのまま価値には繋がらないと思うけれど、それでもやっぱり「誰からも認められない」のは痛いし辛い。

最後まで痛くて苦しかった。(光が見えるのは本当に最後の数ページ。)でも、根底に作品を作ることが好きで嫌いになれないのなら、足掻いて苦しみながらでも、模索しながら手放すこと無くそれを選ぶのだろう。小説に限らずとも。

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