最近
最近は院試の勉強でヘトヘトですが、勉強時間の半分は大抵違うこと考えています。
最近好きな詩がありました。
自分の感受性くらい
っていう詩です。
茨木のり子さんの詩です。
個人的には、すごく大事にしたいなぁと思う詩でして。
この詩自体は、昔に読んだ本の中にあったのですが、つい最近まで忘れてました。
こういうもんなんでしょうね、記憶って。
あの時大事だったものでさえ、忘れていく。
大切にしていこうと思っていても、気づけば、
そんなことは忘れて普通に過ごしてる。
なんと、まぁ、尊いような悲しいような、、、
しかしこんなこと書いてても、今の私にとっては、記憶でさえ、脳内のグルタミン酸の反応。勉強勉強。
この詩をきっかけに、この方の詩を少し調べてみました。
すると、なんとびっくりするほど何言ってるかわからない。
いやぁ、面白いと思いました。
あんなにグッと刺さった詩を書いた方なのに、他のことは、理解ができない。
自惚れであることは、重々承知なのですが、
私は人に対する共感能力や文書の理解力などは優れている方だと思ってます。
でも、やっぱり何回読んでも何言ってるか分からない。
あとちょっとでわかりそうな気もするし、全然遠い気もする。
でも、この分からない原因は、日本語的なすれ違いではなく、圧倒的に私の経験が足りないからなんだとはっきり分かる。
ここ数年で初めて、自分の経験の無さを深く思い知らされましたね、、。
て、ことで、私は院試が終わればこの人の詩を読み漁ってみようと思いまふ。
いまはとりあえず、院試。