コロナに勝つとき
「コロナに負けるな」というキャッチコピーが気持ち悪くて嫌いだった。
しかしなぜ気持ち悪いと思うのか、
もともと語彙力(この言葉も本当は好きじゃない)がないのでこの気持の理由を言葉に出来ずもやもやして、余計に気持ちが悪い状態でいた。
そしてまた「コロナに負けない」なんてフレーズを見かけたときに、ふとその理由が頭に浮かんだ。
負けない・負けてはいけないのは、
「コロナに感染する」事?
「コロナを発症する」事?
「コロナで死ぬ」事?
「負け」の判定が不明だし、いずれにせよ「負けなかった」と言い切れるのは死ぬときだろう。
(同じ理屈で、「禁煙に成功」と言えるのも死んだときだと思っている。)
我々は、死ぬまでコロナと戦い続けなければならないのか。
そもそも戦う相手はコロナしかいないのかとも思う。
それとも、
「コロナで収入が途絶えて今の生活を失う」事だろうか。
だとしたら、あの言葉から伝わってくるなんだか恐ろしい気配の正体は発信者の切羽詰まった感情の表れによるものだと納得がいく。
しかし生活を脅かすのはコロナだけなのだろうかとも思う。
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