趣味としての語学(トルコ語編)#1: チャガタイ語
語学の入門書は、その言語の概説から始まることが多い。今から学ぼうとしている言語は、どの地域で話されている(あるいはいた)言語なのか。誰が話している(いた)のか。どのような言語学的な特徴を持っているか。歴史的にはどのような変遷を辿ってきたか。といったことである。
語学愛好者の端くれとしては既知の事柄も多く、「ふーん」とか「そうだね」とか思いながら流し読みするところであるが、トルコ語の出自である中央〜東アジアの言語の歴史には私は明るくなかったので、興味深く読んだ。
その中の一節が目を引いた。
リンガ・フランカと呼ばれる言語がある。異なる言語を話す人々の間で、国際的に共通語として用いられる言語のことだ。有名なところでは、かつての儒教文化圏における中国語(漢文)、近代までのヨーロッパにおけるラテン語、そして現代世界の英語などがそれに相当する。そうしたリンガ・フランカの一つとして、15世紀以降の中央アジアでは、チャガタイ語が使われていたということだ。
それほど影響力のあった言語であるにもかかわらず、「チャガタイ語」という言語の存在自体知らなかった。最近誰かが、日本人はアジアについての知識が乏しすぎる、と言っていたが、実にそうだなと思った。
もっとも、チャガタイという音には聞き覚えがある。モンゴル人チンギス・ハンの子孫が13世紀にユーラシア全域に散らばって建てた国家の一つが、「チャガタイ・ハン」国だ。
最近読んだ『イスラームの歴史』では、モンゴル人たちは、軍事的な優位をもって13世紀ごろのイスラーム世界に君臨したが、文化的に何かをもたらすことはなく、むしろ非支配者の文化に同化していった、と言っていた。ではこのチャガタイ語ーーWikipediaによれば、この言語で文学が書かれ、現代の中央アジアの文語にまで影響を与えているというーーは、モンゴル人の数少ない文化的な遺産ということになるのだろうか。
ある意味ではそうとも言え、ある意味ではそうではない。言語的には、チャガタイ語はトルコ系諸語に分類され、モンゴル語族とは言われていない。(だからこそトルコ語の文法書の概説にも登場する。)モンゴル語による言語活動が後に残る文化を形作ったわけではない、ということだ。しかしモンゴル系の国家が地域の軍事的・政治的安定を作り出したことが、文化活動を促進したということは言えるのだろう。これは、かつて世界史の授業で習った、モンゴル人によるユーラシア大陸の政治的統一が、陸路・海路での広域的な交流を活発化させたーーという大きな流れの中で理解することができそうだ。
これもWikipedia情報だが、チャガタイ語は文化的には、ペルシャ語文学の流れを汲むようだ。中央アジアのあたりはさまざまな文化的な要素が混淆し、ナショナリズムに毒された現代人の言葉遣いで表現するのも正確ではない気がするが、ここまでのことをまとめて言えば、トルコ語を母語とする人々が、モンゴル人のもたらした政治的な安定のもとで、ペルシャの文化的伝統を継承して創造したのがチャガタイ語の文化だということになるだろう。
チャガタイ語の学習にまで手を出す気にはなれないが、中央アジアという世界が、私に馴染みのある儒教文化圏とも欧米系文化圏とも違う、独自の文化的伝統を持っている、という感覚を持てた。これは私の世界認識にとっての、ささやかな前進だ。