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トルコ語編#12: 所有と存在

ただの趣味としての語学 投稿概要

「所有」を表す構文は言語によって様々である。日本語では、最もストレートな表し方は、「◯◯は△△のものだ」という構文だろう。この場合、◯◯は所有されるもの、△△は所有者であり、◯◯に対して、所有者△△によって所有されるもの、という規定を加えている。

ロシア語では、「△△のもとに◯◯がある」(У △△ есть ◯◯.)という言い方をする。こちらは所有関係の現実的な一側面、△△のもとに◯◯が存在している、ということに着目している。逆に言えば、文字通りには必ずしも所有関係を意味していない。△△と◯◯は無関係だが、たまたま△△のもとに◯◯があるということもありうる。「◯◯は△△のものだ」という言い方の方が、所有関係という観念を、そのものずばり語っていると言えよう。(ロシア語でも、そちらの言い方もしようと思えばある程度はできる。)

トルコ語ではどうかと言えば、「△△の◯◯がある」(△△'in ◯◯ var.)という言い方をするそうだ。

上記の3言語の構文は、いずれも所有関係を表しているとして相互に翻訳可能な構文同士ということになっているが、これらの文のニュアンスは果たして同じなのだろうか。むしろ、「所有関係」そのものについての観念が少しずつ違うような気もする。

単語熟語帳 araba「車」

  1. öküz arabası「牛車」オェクュザラバス

  2. öküz 「役牛」オェクュズ

  3. el arabası「手押し車」エララバス

  4. el「手」エル

  5. araba kullanmak「車を運転する」アラバクッランマク

  6. kullanmak「使う」クッランマク

  7. araba fabrikası「自動車メーカー」アラバファブリカス

  8. fabrika「工場」ファブリカ

  9. iş arabası「社用車」イシャラバス

  10. iş「仕事」イシュ

世界の他の地域と同様、牛が労働力だったようだ。

車を運転する、と言う時の日本語の「運転する」は、日常会話ではほとんど、「車」専用の動詞である。(もちろん、発電所を運転する、とか、他の対象にも使えるが、日常会話ではまず車しか話題にならない。)英語のdriveもいろいろな意味があるが、日常的にはcarとの結びつきが強い動詞というイメージがある。しかしトルコ語のkullanmakは、いくつかの用例を見る限り、メガネを「かける」とか、人を「使う」とか、タバコを「吸う」とか幅広い対象に使える。英語や日本語の状況と異なり、自動車というものが特権化されておらず、他の数ある道具(使われるもの)の中の一つとして、フラットに存在している。それは社会への、自動車の浸透具合と無縁ではないのかもしれない。

fabrikaが(辞書によれば)イタリア語からの借用語というのも、地理的な位置関係を考えれば当然だが、面白い。もしfabrikaが近代の工業化とともに受容された単語の一つだとすれば、トルコの工業化の少なくともある段階ではイタリアが深く関わっている、ということになる。(史実に照らせば全くの勘違いかもしれない。要確認)

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