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トルコ語編#16: yol「道」

ただの趣味としての語学 投稿概要

今日も私はトルコ語を学習する。
Bugün de ben Türkçe okuyorum.

Google翻訳:
Bugün yeniden Türkçe öğreneceğim.

Chat GPT添削後の私の訳:
Bugün de Türkçe öğreniyorum.

・「〜も」- de VS. yeniden
yenidenは「再び、もう一度」であり、習慣的に繰り返す行動にはそぐわない。deを使った私の感覚で合っている。

・ben(私) - 含める VS. 含めない
文法的にはどちらでもよいが、動詞語尾に人称が表示されているのでこの場合は含めない方が自然とのこと。「私」を強調するニュアンスを出したければ含めるのだがそこまでの気分ではない。

・「学習する」- okumak VS. öğrenmek
辞書に「英語を学ぶ」İngilizce okumakという用例があったので最初okumakを使ったが、okumakは「読む」なのでテキストを読むことに焦点が当たるようだ。(そんな気はしていた。)必ずしも「トルコ語を読む」ことに限られない学習活動を言い表したいので、öğrenmekを使う。

・時制 - 現在形 VS. 未来形
Google翻訳は未来形(öğrenecek)を出してきた。もとの日本語を「今日もこれから学習する予定である」と捉えればそれでもいいが、今まさに学習しているので、現在形(öğreniyor)を使う。

きょうの単語熟語帳 - yol「道」

  1. su yolu「水道」スヨル

  2. su「水」ス

  3. yol ağzı「交差点」ヨラーズ

  4. ağız「口」アウズ

  5. yol iz bilmek「道をよく知っている」ヨリズビルメク

  6. iz「足跡」イズ

  7. bilmek「知る」ビルメク

  8. yollara düşmek「探し歩く」ヨッララデュシュメク

  9. düşmek「落ちる」デュシュメク

suが水であることをそろそろ忘れそうなので、既習ではあるが改めて登録した。水道はトルコ語でもsu yolu、水の道、である。

「交差点」に口という単語を使うのは違和感があるが、おそらく対象をイメージするときの視点が日本語と異なっている。日本語で「交差点」と言うにしろ、「辻」と言うにしろ、いずれも道が交わるのを上から見下ろす視点にあって、十字の形状をイメージしている。これに対してトルコ語のyol ağzıは、交差点の真ん中にいる視点から、それぞれの道の「入り口」を眺めているのだと思う。

yollara düşmek「探し歩く」が面白かった。yollaraはyolという単語に、複数を表す接尾辞の-larと、さらに与格語尾の-aが付いた形だ。düşmekは「落ちる」である。つまり直訳すると、「たくさんの道へ落ちる」となる。「探し歩く」をトルコ語ではそう表現するのだ。

#14で、çocuk düşürmek「流産する」という表現でdüşürmek「落とす」という他動詞を見たが、このdüşmek「落ちる」は自動詞である。#15で出てきた-dirと同様、düş-ür-mekに含まれる-ir (ır, ür, ur)もまた、他動詞を作る接尾辞のようだ。

#語学 #トルコ語

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