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トルコ語編#11: 所有格
文法書のいう、トルコ語の所有格(私が使っている文法書の言い方では、「ノ格」)の使いどころについての説明が腑に落ちない。
概略、トルコ語のノ格形は、2つの名詞が表す対象が2つのべつべつのものでないと使えないようだ。
とあるのは、所謂「同格」のケースだと所有格にはならないということか、と私などは解釈する。同書が挙げている、「友人のメフメット」という例はそれで説明できる。「友人であるメフメット」とも言い換えられ、「友人」と「メフメット」は同格である。
しかしそれでは、挙げられているもう一つの例、「そこの本」にはしっくりと当てはまらない。同格というのは私の勝手な解釈であるが、「2つのべつべつのもの」という表現に則して考えるとしても、「そこの本」がトルコ語では「そこ-の-本」という形の所有格を使った表現を取らないことの説明として、「そこ」と「本」が「べつべつのもの」ではない(同じものだ)からだ、という説明は、少々無理があると思う。
もっとも、東外大言語モジュールなどを確認しても、所有格の意味については「所有者などを表す」といった曖昧な言い方でお茶を濁しているところを、あえて踏み込んで説明しようとしているのは、この文法書の野心的な部分と言えるかもしれない。(日本語の格助詞の「の」の用法を明快に説明せよ、と言われても難しいのと同じような困難があるだろう。)
結局は格接尾辞についても、代表的な意味と語形変化は文法書や辞書に教わり、意味の広がりについては、個々の用例に則してなんとなく理解していくしかないのではないかと思う。単語と同じだ。
単語熟語帳 ev「家」
ev açmak「家をもつ」エヴァチマク
açmak「開く」アチマク
ev altı「家の一階」エヴァルトゥ
alt「下」アルト
evde kalmak「嫁に行けないでいる」エヴデカルマク
kalmak「残される」カルマク
ev yemeği「家庭料理」エヴイェメイ
yemek「料理」イェメク
evi sırtında「さすらいの」エヴィスルトゥンダ
sırt「背中」スルト
「家」をめぐる表現は、日本のイエについてのそれとよく似ている。「家をもつ」とは「家を開く」ことであり、形容詞のevli「結婚している=家のある」といった語彙ともあわせ考えると、結婚したら自分の家を建てて独立する風習がありそうだ。そして「嫁に行けないでいる」という表現や、evermek「嫁にやる」という動詞があることを見ると、男系社会であって、女性は男性の家に嫁いでいくものなのだろう。いずれ、トルコの文化風習についての本を読むなりして、答え合わせをしたいところだ。
辞書で「さすらいの、流浪の」という訳が当てられているevi sırtındaは文字通りには「家を背中に背負って」ということだと思われる。日本で「さすらいの〇〇」というと、何だかカッコいい響きであるが、トルコ語に訳すと家を背中にしょって移動していることになるのかと思うとちょっと楽しい。私のような農耕定住民が思う「家」は背中に背負うことはできないが、そこは元・遊牧民のトルコ人のことだから、おそらくテントか何かをイメージするところなのだろう。