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トルコ語編#14: çocuk「子ども」
私のトルコ語学習はようやく動詞に差し掛かった。ただ私自身、だんだんこの場で学習の進捗を報告することには面白みを感じなくなってきた。本来この連載は、そういう趣旨のものでもない。
一方で、途中から始めた「単語熟語帳」については、これまで通り文章を残しておきたいと思う。単語やフレーズの翻訳というのは異文化がぶつかりあう前線の一つであり、単語帳を作成するということは、カルチャーギャップを体験することだ。その体験について、その場での感想を書き残し、より相手の文化についての知識を深めてから後で振り返ることに自分でも多少の興味がある。
きょうの単語熟語帳 - çocuk「子ども」
çocuk aldırmak「子供を中絶する」チョジュク・アルドゥルマク
aldırmak 「取らせる」アルドゥルマク
çocuk düşürme「流産」チョジュク・デュシュルメ
düşürmek「落とす」デュシュルメク
sokak çocuğu「浮浪児」ソカク・チョジュウ
sokak「通り」ソカク
çocuk odası「保育園」チョジュコダス
oda「部屋」オダ
arsız çocuk「クソガキ」アルスズ・チョジュク
arsız「横柄な」アルスズ
çocuk aldırmak「子供を中絶する」は、「子供を(産婆に)取り上げてもらう」という訳も同じ辞書の中に書いてあって、ある面で正反対の意味を表しうるようだ。aldırmakが「取ってもらう」という意味なので、子供を「取った」段階がいつかによって、堕胎にもなれば、お産にもなるということだ。
カトリックの国では宗教上の理由から中絶は一般的ではないが、イスラムでは、またトルコではどうなのだろう。
sokak çocuğu「浮浪児」は、直訳すれば「ストリートチルドレン」となりそうだが、調べた辞書でurchinという英語訳が載っていたので、やや侮蔑的なニュアンスがあると考えて「浮浪児」とした。日本語でも「浮浪児」と言えば、若干の胡散臭さのある感じが出る。
浮浪児にせよストリートチルドレンにせよ、基本的には貧困の産物だろう。ただその彼らを侮蔑するのか、保護の対象として憐れむのかは、社会の人口動態や、成熟度と関係があるのではないか。(多産で子どもが多い社会ほど子どもの価値が下がって侮蔑されやすく、成熟するほど社会問題についての意識が高まって保護対象と見做されるようになる…など。)現代のトルコの、子どもの貧困の事情はどうなのだろう。
arsız çocuk「クソガキ」は、侮蔑的なニュアンスがあると明確に土-英辞書に書いてあったので、日本語としてはこの訳語を当てた。このような侮蔑表現を単語帳まで作って覚える意味があるのかだが、あると思う。漫画や映画などでは、この手のフレーズはよく出てくるものだ。