趣味としての語学(トルコ語編)#2: アルファベットが"覚えやすい"のはどういうわけか
言語の概説の次に来るのは「文字と発音」のセクションだ。
トルコ語のアルファベットは、a(アー)、b(べー)、c(ジェー)、ç(チェー)、d(デー)…と並ぶ。最後は、v(ヴェー)、y(イェー)、z(ゼー)である。多少の変形はあるものの、西欧の言語のアルファベットとほぼ同じ見た目、ほぼ同じ発音、ほぼ同じ並び順で、英語などの知識があれば比較的覚えやすい。
この"覚えやすさ"は、近代史の産物だ。
私はトルコ語の文字列を、世界地図の地名などで見かけることはこれまでもあった。語学愛好家の性としてそういう時にはカタカナ表記と現地語表記の比較をしてしまう。だから、現代トルコ語の文字が西欧諸語と似ているのは知っていた。
ただ「並び順」もほぼ同じであることは、文法書を手に取らないと分からない。これを見ると、ケマル・アタテュルク(トルコ共和国の建国者)が建国から間もなく1928年に実施した、西欧化を目指す文字改革の徹底ぶりを実感する。
それまでのトルコ(トルコという国はなく、オスマン帝国という広い国があった)では、アラビア文字をベースにした文字でトルコ語を表記していた。アラビア文字は、ا(アリフ)、ب(バー)、ت(ター)、ث(サー)…と並ぶ。オスマン・トルコ語の文字もこれに準じた並び順であったようだ。ABC順とはかなり違う。
だからケマル・アタテュルクの文字改革は、単に、アラビア文字系のアルファベットをラテン文字系のアルファベットに単純に置き換えたということではない。音の配列に関する考え方も変えてしまったということだ。
日本に置き換えていうなら、ヘボン式ローマ字で日本語を表記すべきことが国策で定められ、「あいうえお」の五十音表の代わりに、「ABC」を学校で教えるようになる、というようなものだ。そうなった暁には、「あ(a)」の次に来るのは「い(i)」ではない。"b"である。伝統的な文字に慣れた日本人は大いに混乱するだろう。アタテュルクの文字改革当時のトルコ人たちも、大いに混乱したに違いない。
さて、現代の文法書に載っているアルファベットの配列は、アタテュルクの改革当時の配列と同じなのか? それまでのトルコ語のアルファベットの並び順は、WIkipediaに書いてある順番の通りなのか? そもそも、アルファベットの並び順を意識する機会が、当時の人々の生活の中でどれくらいあったか? 識字率はどれくらいで、辞書はどれくらい普及していたか? 辞書が普及していたとして、それはアルファベット順に単語を配列する辞書だったか? …など、上記のことを言うためには、本当はいくつかの考証が必要だろう。とはいえ、結果として現代のトルコ語の文字体系が、配列も含めて、徹底的に西欧化されたものとなっていることは間違いない。
私のような学習者はその恩恵を受けて、"覚えやすい"と感じる。
語学の入門で文字を学ぶのはいつもなら機械的な過程なのだが、整然と西欧式に並ぶアルファベット表を見て、文字改革の話が思い起こされ、アタテュルクの断固たる意志に触れたような、ちょっとした感動があった。