バラのためになくしたじかん

星の王子さまのキツネの名言で「大切なものは目には見えない」というのがあるんですけど

実はその後の文章がすごく苦しいんですよね。

「バラのためになくしたじかんが、きみのバラをそんなにもだいじなものにしたんだ。」

人を長く応援しているとそういうことがあります。
いつまでもここにいたいって気持ちの中には、この場所を手放したくないって思うことも含まれてて。

過去の時間って
その瞬間楽しかったことも、綺麗だったことも
忘れたくない景色、匂い、音
思い出せる限りは、その時間は永遠だと思ってて。

だからこそ、そのために「なくしたじかん」は確かにあって。
過ごした時間全てがもちろん楽しいものじゃないはずだから。

その時間と体力と気力とお金をかけた分だけその思い出が「だいじなもの」になる。
そうしたからには、その時間には意味があったと思いたいし、正しかったと思いたい。厄介な生き物ですね。

それと同時に
このあとに続くのが、私にとっては呪いの言葉で。

「でも、きみはわすれちゃいけない。きみは、じぶんのなつけたものに、いつでもなにかをかえさなくちゃいけない。きみは、きみのバラに、なにかをかえすんだ」

なにかに期待を持たせたものに対して、諦めるのは背信だと言われている気がした。
簡単に言うと、「応援します」と言葉にしたのに自分がもう応援できなくなったこと。
「世界で1番大好き」と言ったのに。

今までたくさん「なにか」をもらってきたはずなのに。
こちらから、もう会いに行くこともない人がたくさんいます。

誰に責められたわけではないけど、自分は自分のなつけたものに対して責任を背負いきれないから
もう人を応援するなんてことは永遠にやめるべきだって思いました。

私にとってはこの、キツネの言葉は呪いだったんだけど、数年前それを塗り替えることが起きて

緊急事態宣言の時。
ありとあらゆるアーティストやタレントさんが無料でおうち時間を楽しませるコンテンツを提供してくれた。

なににも料金が発生しない人の時間を、しかも芸事を生業としてる人の。

これはシンプルにすごいことだと思います。

もちろん、無料のコンテツを拝受するだけでもいいんです、それがそのプラットフォームなので。

でも、わたしは、いつか、芸術が舞台がライブが、帰って来たら、返さなきゃいけない。こうやって支えてくれて助けてくれたものへの恩は返さなきゃいけない。と、強く思った。

楽しい時に、楽しいのも大事だけど、苦しい時に、支えてくれるもののほうが私は大切です。

こちらも見捨てない、だから、諦めないでいて欲しいなって。

部屋に1人で閉じこもった日々も、苦しかったけど今日の日を作った1日だと綺麗事を言えるのは
その時間を支えてくれたもののおかげです。

私が応援しているアーティストのみなさんに
また、会えるようになって言われた言葉を聞いた時、
この姿を見るために、この声を聞くために乗り越えたんだなって思った。

私は言葉に呪いをかけてでも
この気持ちは失いたくないな、と思います。

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