それでもカメラで撮りたい
今や写真をとるのはスマホで事足りる、、、
思ったときにサッと取り出せるし、レンズを交換する手間とかない
なのに、どうしてここまでしてカメラで写真を撮りたいのかなあ、と
あまり考えたことなかったので考えてみた
カメラを手にしたのは小学生のとき、
両親はいつも写真を撮るときは一眼レフだった
きっとそこから興味がわいたんだと思う
小学校の何歳かの誕生日でキャノンのデジカメを買ってもらってからは、
わんこの散歩に行くときも、明日も明後日も来るような部室でもシャッターを切りまくった
母親が送った「読売写真大賞小学生・中学生部門」で一位をもらったこともあった
賞ももちろん嬉しかったけど、それより圧倒的に
撮ること自体が楽しかった
そして現在23歳、今やキャノンの一眼レフにシグマレンズを付けた「今日は久しぶりに〇〇に会うし、たくさん撮るぞ!」とかっていう日用のカメラと
「今日の夕日きれいだなー」などの日常を撮るようのサブカメラとしてFujifilmのXQ1を最近迎えた
SDカードの中身を一通り見てみた
まず、二種類の写真に分かれることに気づく
一つは、こんなのなんで撮ったんだろう、ていう、撮った背景がわからない写真と
あーー!なつかしい、これ秋の風になったのが嬉しくて撮った写真だ
と、その時の感情までも思い出す写真。
一見人に見せたらどちらもきっと同じだと思う
でも私からしたら大きな違い
そして圧倒的に、後者の写真が多い
もちろん、カメラでシャッターを押す、カシャっと音がして、こんなのが撮れた、と画面を見てニヤッとする、その一連も好きなんだけど
でもそれ以上に、わたしはカメラで撮るのが好きなのではなくて
私は「私の日常」が好きなだけか、と
10年以上カメラを使って写真を撮ってきた答えが意外とあっさりと出てきた
その、美しい日常を、カメラで撮りたい、というか「残したい」だけだったのかもしれない
写真を見返したときの「あー!懐かしい!これだこれだ」
っていうあの感じ
「これは忘れたくないな」
と思うものに無意識にシャッターを押していたんだと思う
素敵な日常とか思い出を「残したい」、
この思いは、スマホのカメラより
ファインダーを覗いて、ピントを合わせて、シャッターを押すことで初めてその瞬間を思い出化できる
思い出を残したい性格の延長線上にあったのがカメラということか…
だからきっと私は、スマホの性能が一眼レフを越しても、何万円も出してカメラのシャッターを押すんだろうなと思う
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