ダブル•ファンタジー それぞれの男性と奈津
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。」
その印象的な言葉が繰り返されるので、これは母の娘だった女性が男性達との関わりによって女になっていく作品のようだが、実際は依存関係に縛られていた人間が精神的な自立に向かっていく、そういう物語だったと感じる。不倫ドラマだし、性的な描写とかそういう刺激的なものに目を取られてしまいがちだけれど、シンプルに捉えると、1人の人間の成長物語というだけだったように思う。不倫について「絶対だめだろ!」という自分の気持ちを全面に出したままだとそもそもこのドラマを観られなくなるので、とりあえず自分の感情は脇に置いて観たけれど、リアルで考えると奈津は相当奔放な人だなと感じる。奔放というか、女性が夢や現実逃避として考えるようなことを実現してしまっている人という意味で、恐ろしい人、というか。
奈津のそれぞれの男性達との関わり、そして母について、感想を書きたいと思ったので記録。
奈津をとりまく男性たち
夫(省吾)
感想はもうほんとにもやもやした、だけなんだけど、こう、
自分の支配下に彼女を置いているようで、実はその言動は自分への自信のなさゆえに自分を満たすために行なっているものであって、この夫は相当奈津に依存していると感じた。仕事に自信を持てない(明確には描かれていないけど多分そうだったんじゃないか)中、奈津に頼りにされるのが嬉しかった。奈津の脚本家としての成長は自分のお陰だという自負も持てた。本当は自分の実力不足(才能の無さというより、もっと頑張ればすごい人になれるけど、根本的な自尊心の無さやプライドが邪魔をしている?)かもしれないけど、そんなんじゃなくて俺は奈津のことを応援するために主夫になったのだ、奈津のために、あえて俺は主夫をしている。そう言い聞かせてるような、「やってやってる感」を常に感じた。主夫という立場はこの夫にとっては屈辱みたいな、恥ずかしさを感じるようなものだったらしい、と感じた。
なんか、全てを完璧にやろうとする人なのが怖かった。家庭菜園もあんなに沢山やっていて、家事も満遍なくやって、妻の帰りは必ず駅まで迎えに行く(徒歩では帰れない距離だからというだけかもしれないけど)。でも、妻を頑なに自分のつけたあだ名で呼び通す頑固さも持っている。尽くすことで、相手にとって自分を離れがたい存在にさせて、相手が離れようとすれば強硬手段で呼び戻す。モラハラだなと思う。奈津も、別に志澤先生に恋をしなくてもいずれは離婚しただろうなと思う。けど、奈津が行動を起こすには彼女を突き動かすような強い衝撃が必要だった。そんな衝撃が、司澤先生や岩井に出会わない世界線で彼女に訪れるか考えると、多分なかったんじゃないかなと思う。とにかく、夫との別れは訪れるべくして訪れた別れだったと感じた。同じ状況でも一生夫婦でい続ける人もいると思うけど、奈津は志澤先生との出会いによって自分をこじ開けられてしまったから。
志澤先生
うわーこういうドンいそう!うわー!とゾワゾワニヤニヤしながら観ていた。
奈津と関係を始めたかと思えば、すぐ突き放して放置。数回会ってバイバイみたいなやり方もうわこんなヤツいそうだなと感じてニヤニヤした。ドラマだと分かっているからニヤニヤして見ていられるけど、実際にこんな人と会ったら絶対嫌だなと思った。
母や夫に縛られていた奈津にとっては、志澤先生の圧倒的な自信や奔放さがとても魅力的に見えていたのかなと思う。自分はそういう風には生きられないから。でも、志澤先生に突き放されてから、奈津はだんだん自我に従って生きるようになっていく。奈津が変わるための最初のきっかけを与えた意味で、志澤先生と出会って良かったねとちょっと思った。でも一方で、最終話で「さよなら」と彼との決着をつけたところもナイスだった。
岩井先輩
好き!!好き!!!先輩なのに敬語で話すその、すごい脚本家になっちゃった後輩にちょっと恐れ多いみたいな気持ちを抱いてそうな感じ。髪型も人柄の柔らかさと合って、好き〜と思った。
奈津と司澤先生の場合は、奈津だけが彼に大きな影響を受けていたのに対して、奈津と岩井先輩の場合はむしろ岩井先輩の方が奈津との出会いで内なる感情の栓を開けてしまい、変化していたように感じた。岩井先輩にとって奈津は、なんか忘れられない存在で、結婚した今でもふとした時に思い出して「あの子と添い遂げてたらどうなってたのかな」と考えちゃうような女性だったんじゃないかなと思った。そして再会して、自分のことを覚えてくれてて、あの頃のような関係を再スタートさせて。奈津の視点で見たら、岩井先輩は不倫しつつ今の家庭生活もうまくやるようなずるいヤツだ。だけど、岩井先輩と奈津はちょっと似てて、岩井先輩も臆病でなかなか自分の気持ちの通りに行動できない人で、本当は奈津に気持ちが向いてしまったのに妻や子どもに与えるショックを考えたら怖くてなかなか動けないもどかしさがあったのかもしれない、と思った。もう時間を戻すことはできないけど、「できることなら奈津と一緒にいたかった」という思いが溢れて止まらなくなってしまって、後悔やら何やらで押しつぶされそうになってしまったのかな、と思った。岩井先輩にもし繊細な部分が無くて、もう少し図太く生きられる人だったら、もしかしたら離婚して奈津と恋愛関係になったかも…?でも、繊細で奈津の感情を言い当てたり傷ついた心に寄り添ったりしてくれる彼だからこそ、奈津は好きになったし、心の内をさらけ出せたんだよな。
奈津に夫がいても、他に身体の関係がある人がいても平気、という感覚はちょっと、手繰り寄せようとしてみても分からなかった。省吾のような「尽くしてやってる感」も無かったし。
大林
この人も岩井先輩と同じで、相手への気持ちの強さでいうと大林<<< >奈津という感じだったと思う。もう大林と関わるようになった頃の奈津は、最初の頃の奈津とはだいぶ違っている。大林に対して「あなたなんかに」みたいなこと言ってなかったっけ。あなたみたいな人がこんなホテル取れるの?的なこと。この一言を言った奈津に、少し母親の影響を感じた。あなた「なんか」のような言葉を言われ過ぎてきたせいで、他人に対しても無意識にそういう視点(自分より上か下かを明確に判断する視点?)を抱くようになって、今までは人に対してそういう感情を抱いても頭の中で言うだけだったけど、自我を解放しつつある奈津はついに口に出してしまっている、みたいな。大林は動じていなかったけど。
男性たちの中で唯一、恋愛に関して常識的な?感性の人だと感じた。本能で動きがちな所もあるけど、好きな人を他の誰かとシェアするのは無理だっていう感性があった。
母
この母は、何か満たされない思いがあるがゆえに自分の生き甲斐が子育てに全振りしているというか、「奈津を立派な人間にしなくちゃ」という思いが強すぎるように感じた。この母の母も固定観念がすごい人だったのかな。認めるとか許すとか、あらゆる台詞がエゴの塊だった。
どうしてこうなっちゃったんだ、子どもの頃は素直でいい子だったのに、みたいな台詞もぞわっとした。どうせ強い言葉で従わせて、奈津が我慢していただけだろうに。その光景を想像すると、母の方が子どもで、奈津の方がそんな母に対して大人にならざるを得なかったのだと思う。子どもの頃に甘える経験や愛を当たり前のように受け取る経験が不足して、大人になった今、バランスを取るように様々な男性に甘えているのだと。悪い意味では無く。志澤先生からは自立の力を、岩井先輩からは理解され寄り添われる心地良さをもらっていた。母にはもらえなかったそれらを。
不倫をして幸せになる人はいないと思っている。
でもなんかこういうドラマ観てると、私はまだ恋愛の深い部分を知らないのか、だからそう思うだけなのか?と分からなくなってくる。
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