働き方改革という意識改革

働き方改革という言葉が浸透し始めた時、私が勤務していた会社では「働き方改革に便乗してうちの商品を売る方法を考えよう」と言われて会議をしました。
あれこれと良い案は生まれたのですが、結果的に働き方改革というワードではその会社の商品は売れませんでした。
その頃は働き方改革という言葉を色々調べましたが、ふわっとした言葉だなと感じている。

「働き方改革でモノを売る」という会議が終わった後、「その前にこの会社も働き方改革するべきだろう」とふと思いました。その会社はまだまだ発展途上で、ちょっとブラックな部分もありました。
その後、私はいくつかの会社を転々としたのですが、ほとんどの会社のトップが働き方改革を都合のいいように解釈していた。
組織の仕組みや仕事の仕組みを変えず問題が山積みなのに「今日から働き方改革で残業はなしで帰ってくれ」みたいな指示はよく聞いた。会社のトップの本音は「働き方改革を理由に残業代を払わなくて済む」でした。こういう都合のいい考えのトップが本当に多くて、結局しわ寄せは社員の人たちに来ている。


重ねてですが、最近の私は会社を転々としている。同じ会社で長く働けていない。
さっき話題に出したような「がむしゃらに働け!」という意識の会社ばかりに入りました。昔は私もそういう働き方をしようと思っていましたが、最近は私はそんな風に思っていなくて。
「やることやった後は手を抜いていい」と思っている。いい意味で手を抜くのはありだと私は思っている。手を抜くというと語弊はあるが、やることやったなら長く続けるならそれぐらいの気持ちでちょうどいいと思っている。以前は本当にがむしゃらにやって来ましたが、そうしていると精神が持たない自分に気付きました。なので、最近は少し気持ちに余裕があるぐらいの働き方がちょうどいいと感じている。

でも、がむしゃらに働くことを善としている人からは私のスタンスは悪に見えているようで、目を付けられがちでした。
私の中で納得がいかないのが「やることができていないけどがむしゃらにやっている人が善」「やることやって少し手を抜きながら仕事をしている人が悪」だとされることでした。
もちろんこれは私から見た自己評価なので、トップの人からは「やることもやっていないのに手を抜いている」と思われているのかもしれない。そうだとすると最悪です。もしそうなら私にも意識改革が必要だ。

でも言いたいのは、一緒に働いている人をつぶしてしまったら何の意味もないと私は思っています。つぶれてしまったら意識改革も何もない。

私はいくつかの会社を転々としている中で、「あいつは手抜きをしている」と強く当たられてそれが辛くてやめていく子を何人も見てきました。
その子は傍から見ればちゃんとやっていたし、真面目に取り組んでした。ちょっと不器用だったかもしれないけれど。自分の中の狭い視野でしか部下を見ていない人が多い。
上司が正しいのか、部下が正しいのか、ではなくて。お互いの意識に歩み寄る姿勢がないと何も始まらないと思う。

人それぞれの考え方や価値観がある。生き方もある。会社の中に限らず、そういう人それぞれという意識を今の世の中は忘れがちな気がする。

働き方改革と同時にもっと意識改革をしてほしい。ルールや設備の変化から意識が変わるのもいい。最悪なのは形だけ取り繕って意識の差が生まれて支障をきたすことだと思う。

働き方改革を批判するつもりはなく、私はこれはいいものだと思っている。
せっかくいい風潮なので、中身のある働き方改革が増えてほしいなと思います。

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