ボロボロの小手から感じる、恩師の存在
高校時代からずっと同じ防具を使っている。さすがにかなり色褪せてきた。
特に顕著なのは小手。
つぎはぎだらけの小手は、その軽さと使いやすさから、かなりのお気に入りだった。
しかしとうとう限界に近い小手の様子を見て、新しく新調することにした。
かねてより待ち焦がれていた新しい小手。
先週新しい小手を持って稽古に行き、使い古した小手を家に持って帰ってきた。
その使い古された小手を改めて見たとき、私は何を一番感じただろうか。
「こんなに使ったんだね」という驚きか。
「相当稽古をしたんだな。頑張ったな」という労いか。
私が一番感じたのは“寂しさ”だった。
新しい小手にはもう刻めないだろう、高校時代からこれまでの時間。
なにより恩師との時間をもう新しい小手には刻めないのだと思うと、寂しくてたまらなかった。
ほぼ毎日稽古をしていた高校時代。
当時は部活までの一日が長すぎた。昼休み終えて午後の時間になると、「あと2限終わったら部活だ、、行きたくない、、」「もう30分で部活だ、、今日も殺される、、」こんな事を毎日毎日考えていた。時にはノイローゼになって剣に触れられないことも。部活が恐ろしすぎて、早く引退したくてたまらなかった。
それでもなんとか瀕死な状態でも辞めずに引退できたのは、恩師から圧倒的な真理を学ぶことができたから。先生の剣道はいつでも剛健であり美しかった。剣道の本質的な美しさ、人生で大事なことを先生はたくさん教えてくれた。
今でも一番しんどい時に頼りになるのは恩師の存在。
普段は恐れ多すぎて話すのさえ憚れる恩師。目を合わせるのだって、相当な覚悟とエネルギーを要するのだ。
しかし人生の底にいる時、苦しい時、いつもよぎるのは恩師の顔。恩師は必要な時に大切なことを思い出させてくれる。
去年ある大会に出場した時のこと。
個人戦決勝で破れた相手と団体戦の一回戦目に再び対戦することになった。その時恩師から散々言われた言葉が頭をよぎった。
「同じ日に同じ相手に二度負けるなんてことは、絶対にあってはならない。二回とも負けたらお前が完敗したことになる。何が何でも勝て。」
そうだ、同じ日に同じ相手に二度は絶対に負けられない。
そう思って試合に臨むも、相手は強い。また先手を取られてしまった。
その時に恩師の言葉が頭をよぎった。悔しさとこのまま絶対負けないという強い気持ちが沸き起こり、目の奥にグッと力を入れた。社会人になって初めて剣道で本気になれた瞬間だった。
その瞬間に試合の流れが変わり、面を取り返す。程なくしてまた面が決まった。
こうして恩師の言葉のおかげで、なんとか同じ日に同じ相手に二度負けずに済んだ。
大会終了後に相手は先輩ということもあり、ご挨拶に向かう。そこで相手からいただいた一言。
「今日は楽しかったです」
まさに交剣知愛。
交剣知愛(こうけんちあい)
「剣を交えて"おしむ"を知る」を読まれ、剣道を通じて互いに理解しあい人間的な向上をはかることを教えたことばである。愛はおしむ(惜別)、大切にして手離さないということを意味しており、あの人とはもう一度稽古や試合をしてみたいという気持ちになること、また、そうした気分になれるように稽古や試合をしなさいという教えを説いたことば。(剣道用語辞典より引用)
30代前半にして六段を取得している、大先輩。まさかそんな言葉をかけてくださるとは。感動のあまり泣きそうになった。相手のこの一言だけで、救われる。相手が少しでも私を認めてくださったことがわかった。
私も今日は本当に楽しかった。お互い日々剣道と向き合い稽古を重ねているからこそ、厳しい勝負所を互角に競り合うことができる。だけど大前提として、そこまで真剣に剣道に向き合えるのは相手が居てくれるから。こうした人との出会いも剣道の醍醐味である。
また、かつて恩師を天使と思っていた中学時代、恩師から「剣道のどんなところが好きなんだい?」と聞かれたことがあった。
そこで私は「気持ちの持ちようによって勝負が変わるところです」と答えた。
恩師は「そうかぁ。お前は将来先生になりなさい!」と言ってくれた。
その時に恩師が少し涙を浮かべながら、優しくニコッと微笑んでくれたことは一生忘れない。
そんな恩師との時間がたくさん詰まっている小手。先生と稽古していたことが、同じ空間で過ごしたことが、なににもまして貴重だったんだなと、使い古された小手を見ることで実感させられる。
同時にこの小手に触れることで、剣道の楽しさや奥深さ、初心を思い出すことができる。
新しい小手ではどんな思いと時を刻めるだろう。今後も”交剣知愛”の如く、剣道の楽しさと奥深さをみなさんと共有できたら嬉しく思う。
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